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■編集元:ニュース速報板より「なぜ人を殺してはいけないのか?」
1 ノイズc(東京都) :2009/10/25(日) 20:44:22.63 ID:EuI3aeNl ?PLT(12000) ポイント特典
中西讃5市4町などで組織する協議会が開催。啓発パネルや小中学生による絵画や書道作品を展示するほか、この日は人権をテーマにした紙芝居や絵本の読み聞かせなどが行われた。
同体育館では、市内の各種団体が集うイベント「いきいきキラッと☆善通寺フェスタ2009」も同時開催。 健康やまちづくり、農業などに関するブースが並び、大勢の家族連れらでにぎわっている。
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/locality/article.aspx?id=20091025000090
いいよ
おまえは殺されてもいいのか
まだ死ぬ覚悟がないから
お前らに会えなくなるから
自然は人殺しを許してるよ
ゴミクズだから
なぜ「〜してはいけない」のか?という設問自体無意味
法律で決まってるから
撃っていいのは撃たれる覚悟がある奴だけだ
ひとをころしたらいんたーねっとができなくなるからです
なぜ人を殺してはいけないと思ってるのか
罪を償えれば何をやってもいいよ
何この女王の教室
ゴルゴ13じゃないから
俺は殺されたくないから人殺しはするな
死刑で殺してるだろ
1人が1人殺せば人類滅亡するな!!!スゲェ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
オナニーだから
なぜゴキブリは頃していいのか
いけなくないよ
しかしグロ系に脆弱なおれは、殺人事件で相手を包丁で刺すという心理が正直理解できない
子孫繁栄と国家安泰
殺されるのが嫌な人達によって形成された法律でありルールであり道徳だから
別にいいんじゃね?
宗教だから
自分が半殺しに遭ってみれば少しは解るんじゃない。
やりたいならやっていいんだよ
人の生きる権利を奪うからでしょ
腹上死しちゃいかんの?
国にとっての金づるである国民を減らす行為が認められる訳がねーだろ
俺は俺を肯定するとかなんとか
精神的に追い込んだりすれば無罪だよね
自分がされて嫌なことは他人にはするなよクズども
災害時に仕方なく合意の上で食うのなら許されるんだっけか
人を殺した時に、もう人ではなくなるからだ。
人を殺してはいけないという前提で社会が成り立ってるから
私が死んでも代わりはいるもの
お前らが死んで誰か悲しむ人いるの?いないだろ
生存権を侵害されるから。
お前らだってじわじわとなぶり殺されたら嫌だろ
哲学的ですな
すんげー痛いから
社会は相互保障だから
殺←漢字がヤバイ感じする感じ
いいことになったら、生きてくの大変だし面倒くせえだろ。皆そんなこと望んでないんだよ
逮捕されて自由を奪われてもいいなら殺してもいいよ。
俺や周りの人はダメ
人を殺す必要があるとかどんだけ負け組み人生だよ
社会契約があるから
苦痛なしで一瞬で殺してくれるなら殺してほしいわ
相手が死にたくないから
いけないと決まったから
自分は殺されてもいいという人は人を殺してもいいんじゃね?
殺人に固執するならそれをできる国にいけばいい
突出した強者を恐れた弱者が集団化して対抗した結果が制度化された
安心して暮らせないお
死体の使い道がないから
いいけど、大変だよ?
自分が殺されたくないから
いいとか悪いとかその規定が曖昧
ばれなければ事件じゃないから殺しておk
掃除が大変だから
社会的不利益になるからだろ
種の存続が危うくなるからに決まってるじゃん。ヒトは群れる生き物だ。
憎しみの連鎖を絶つため…かな(キリッ
呪われるから駄目
むしろ何故人を殺していいのかでスレ立てすべき
社会学的理由「役割理論によると殺人者という役割になってしまい今後コミュニケーションが不利になるから。」
心理学的理由「道徳的不快感と生理的不快感が生まれるから。」
経済学的理由「一人死んで一人刑務所に入ると合計2人分の国内GDPが減るから。」
国際政治学的理由「無差別な攻撃者が一番損をするのは、アクセルロッドのゲーム理論より明らかだから。」
生物学的理由「人を殺す人間は刑務所に入るか死刑になり、適応価が下がり自然淘汰されるから。」
政治学的理由「これも小泉改革のツケにされるから。」
文学的理由「ラスコーリニコフは苦悩したから。」
歴史学的理由「一人殺したら殺人者になり、無罪になるには組織的に大量に殺さないとダメだとチャップリンが言ってたから。」
哲学的理由「殺していい理由も殺してはいけない理由もない、カントのアンチノミーであり理性の能力を超えているから。」
物理学的理由「エヴェレット解釈によれば人を殺せなかった可能世界は必ず発生するので殺せない。」
化学的理由「撃っても煮ても焼いても質量保存の法則により総質量は変わらないので無駄だから。」
これでFAじゃんw
なるほど
面白い
>化学的理由「撃っても煮ても焼いても質量保存の法則により総質量は変わらないので無駄だから。」
質量が変わるなら殺してもいいのかw
変わったらやべぇよ
文学的面白いなw
大体これで説明出来るのが良いな
だけど文学的理由は苦悩しなきゃいいのかって事にもなるから変更の余地がある、面白いけど
赤ちゃんの声を逆再生してみると…w
■【TAS】スーパーボンバーマン 13分45秒
SFCで発売された初のボンバーマンである「スーパーボンバーマン」のTAS動画だよ。
■成人式で配られたDVDで弾幕作った
成人式で配られたDVDがひどい件ってのが前に話題となって、いろいろなネタ動画がニコ動にアップされているわけだけれども、今回は東方風の弾幕ゲームを作ったみたい。
■アフガニスタンの戦地から帰宅した飼い主に大喜びする犬
犬は人懐こい動物なんだけれど、この動画では久しぶりのご主人さまの姿を見て大興奮する様が収録されているんだ。
「掟破り系 ふるぼっこRPG アークサイン」
数の力で敵を制圧するといった一風変わった戦闘コンセプトをもつMMORPG
仲間の犬猫を食わないのか、もし食うとしたらどんな時か、
こういう質問する奴らが尋ねられたら早いのにな
厨二病乙www
これが最近の風潮。殺人鬼かっけーはいまや昔
以前は「人を殺していいって事になったら、あなたも真っ先に殺される事になるけどそれでいいの?あなたが何か特別な人間なら別かもしれないけど?」って答えてたなー
何故法律でそう決まってるのか考えればいい。
こういうの
死ぬ前と死んだ後で重さが3g変わるらしいけど
3gってどこに行くの?
10発くらい殴ったあとで、泣き言を言わなければ返答してあげましょう。
実際の所は殺人を許すと社会的コストが増大するから。
自分の命を守るコストが増大すると、再生産に回すコストが減少する。
社会(もしく国家)の維持を考えると、無駄なコストを増大させるルールを定義する必要は無い。
集団にとって有利なルールだったから法が定義されました。
集団外の人間がどうなるかは、軍隊による戦闘をみればわかるでしょう。
Bは10億円をAから借りた段階でAを殺せばBは得をする
しかしAの関係者によりBは殺されるかもしれない
まさに日本は戦争状態になる
また、こんなのが合法化されれば、日本の経済や社会が成り立たなくなる
誰も殺されると分かってて金の取引なんてしないからね
金と物の取引がなくなればこの国終わるよ
こういう取引がなくなれば、食量たくさん持ってる奴の所にみんなで殴りこみに行こうぜとか昔の奈良時代みたいになる
それこそ社会の秩序が崩れるから
なぜ人を殺してはいけない法律があるの?ってことだな
答えは自分が殺されたくないから
オレもお前を殺さないから、お前もオレを殺すなよ?という契約の一種だよ
文学的理由とか化学的理由をネタで推すのはかまわんが、子供は本気にしそうで怖いわ
その重さは運動エネルギーだから
体中を血液が巡回しているから運動エネルギーが発生する。
重さの測量は死んだ瞬間としているが、死=心臓が止まるとなっているため、死の瞬間に血液の循環が止まるため上から下にかかる力がなくなり下方向への血圧分のgが軽くなる
と嗤ってそいつの顔面を晴れ上がらせてやればいい
「本当は人を殺しちゃいけない理由なんて無い」って持論を頑なに持ってるから
どれだけ丁寧に道徳や社会通念を語ってもムダなのが悲しい
「最近のジャンプってどこが面白いの?」と同レベル
まったくアンチノミーになっていない
自分を守るため。
2.自分が死んでもよいと思っている人には、
人殺しはやったらいけませんと言おう。
3.1.に戻る
殺人が身近に無いからこんなことが言えるんじゃないの
人を殺して捕まって死刑になろうがお前の自由
無条件で殺しても良いという奴は自分自身が殺される事を覚悟しなければ成らない。
問題は条件がある場合だが、これは話し合ってルールを決めるべき。その場合共同生活秩序が崩壊しない事が重要。殺す側にも大きなリスクを与える必要が有ると思う。
この点昔の敵討ち制度は少なくとも義理と人情、互いの人権、秩序保持がバランスが良かったのではと、最近の基地外裁判を見てると思うね。
圧倒的な強者であれば殺すことも許される。
人に及ぼす迷惑や損害がその根拠を失い
法や善悪を想定できなくなるからだろ
社会(集団)の秩序が乱れるからだろ
殺人に限らず犯罪行為は大抵そう
そしてもし、人を殺してはいけないという絶対的な規則を求めて問いかけているなら
そんなものはないと答えるかな。今の俺は。
1 殺される人が感じる、殺人行為の際の苦しみ
2 殺される人が死にたくないと望んでいる人を殺すことはその人の利益を侵害だ
3 その家族の望み(彼に死んでほしくない)つまり幸福の侵害および経済的負担
4 殺人によって得られる幸福は1・2・3の不幸を上回らない
しかし、その人が殺されたいと願っていて、その要求がもっともな状況であれば
殺してもよい。ゆえに末期患者らの尊厳死、安楽死はOK。
戦場で致命傷を負って苦しむ仲間を楽にしてやるみたいなケースもね。
KILLED is KILLING
ってじっちゃが言ってた
一般人なら適当に理由つけて処理できるけど
存在だけで恨みを買ってるような国のお偉いさんだったらきっちり捜査しなきゃならんから
社会に寄生して生き続けることはできても、
社会を食い物にして喰い殺してしまえば、
自分も生きてはいられない。
殺されたくなかったら殺すなという考えでいいんじゃないかなあ。
なぜ?って疑問に思うとしたら後者だろうし
んで前者の理由が即後者の理由にはならないっていうかそうでなきゃ問題だ
私は社会的帰結として損を生じさせないために人を殺しませんとか、不道徳にもほどがある
意図的にその二つを混同して子供に答えることについては、また別だが
・自然界なら自身の行動で頃されない(食われない)よう努めるわけだが、人は頭がいいから安全に暮らせる環境から作るようになって、圧倒的に安全になった。
・頃したり頃されたりが無いように、現代まで連綿と総意工夫した結果が現代社会なんだよ。よる寝る時に食われる恐怖を感じるか?つねに周りを警戒しながら移動するか?
・その安全の上で、独善的に他人を頃したり危害を加えることをどうして許す?頃していい、頃しちゃだめ、じゃあ無くて、頃したいなら、この安全の中から出て好きにしろ、ってこと。
いみなんてどーだっていーんだよ
やならでていけ
こんな簡単なことがわからない人間が多すぎる。
許されないよ。強者であるその人にとって殺人は可能である。それだけ。
自分が殺されなければ殺してよいという事になる。あなたの立場では
・死刑にならないよう気を配り、虐待の末に子を殺すのはよい
・先住民族に対する技術的先進国の侵攻、虐殺はよい
・武装した軍が侵攻した地域の一般市民を虐殺することはよいetc.
となる。
可能であることと、よいという事は別だ。
つまり社会で生きているものだから。
何をするにも過去の英知、そしてこれからの技術や発展が必要になる。
しかし殺人が認められてしまえば今以上に人が死ぬことになる。
そうすると安心して生活を送ることが困難になり、発展や工場を目的とする人が少なくなる。
つまり今の文明を築くことが出来たのは人間が群れで生活してきた結果だから。
群れを維持するのはそう容易いものではなく、だからこそ人々は法律という名前の秩序を設けたのだ。
「人を殺してはいけない」
というルールを。
ず〜っと考えてたら、それは人として当然なんじゃないかって考えたんだけど、国によっては、正当防衛もありそうで怖い。
>>86が近いかな?自らの意思で殺人を実行したら、確実に自分の中の一番大切な何かが壊れるよ
つまり、>>190とも言えるw
アレ見て、本気で人殺そうと思うのも馬鹿らしく思えてきた。
そもそも俺が人殺して逮捕されたら、俺の部屋が全国ネットで公開されるわけじゃん
親にもばれたくない俺のコレクションを全国にさらすわけにはいかない
あとテレビでまたオタクが人殺した〜とか騒がれるのが不愉快
勝手に理由こじつけて、声優の人とかアニメ、エロの業界に迷惑をかけたくない
恩を仇(あだ)で返すほど俺は不義理な人間ではないからな(`・ω・´)
「なぜ(絶対的に)人を殺してはいけないの?」という問いについては一考の余地があるだろう
つってもそもそも記事の内容とタイトルとが全く噛み合ってないんですけどね
さすが管理人きたない
人殺しは基本的に死刑にすべきだと思う
法律には、人を殺した人間には懲役や死刑などの罰を処するって書いてるだけ
要するに、人を殺してもいいけど、殺したらお前も殺し返されるか、人生をパーにするかするぞと書いてある
人を殺すのは自由だけど、それには社会的責任が伴うよと
それでも構わないと思うんなら殺せばいいさ
1・殺される覚悟があれば、刑というルールに服す覚悟あるなら殺してもよい?
これも法律における刑罰というルールを守ってることになるけれど。
2・治安の悪い地域において、法が十分に執行されない地域において圧倒的暴力で
人を殺すことはよい?
例えば北斗の拳のような世界、アフリカのヨハネスブルクやウガンダをはじめとする
貧困国での殺人。
3・魔女狩りはよい?
社会のルールとして組み込まれていたよね。
なぜ人を殺してはいけないの?というのはなぜ税金払わなきゃいけないの?と同じ
自然の中では殺しは許されてるし、人間が住みよいために決めたルールにすぎない。
「勝手に決めたルールだから俺は知るか、俺は同意してないから自由だ」という馬鹿がいたら
「じゃあお前以外の全員が人を殺したお前を死刑にするのも拘束するのも自由だ」と言ってやればいい。
人は傷つけてもいけないんだよ
ましてや、殺人は法によって定められているから、自分を大切にした方がいい
魔女?
刑法199条
人を殺した者は、死刑または無期もしくは5年以上の懲役に処する。
これは国民ではなく裁判官に対する命令であって、この条文に違反できるのは裁判官だけである。
死刑を覚悟の上なら人を殺すこともできる仕組みになってます。
今こうやってあんたが私に殺されるからよ〜って首絞めるんだっけ?
よく覚えてないけど、あのいじめっ子は名優だ。
大抵の場合とはどんなケースかな?そしてそのケースで殺人がゆるされる理由は?
現に自分たちと関係ない社会に対しての殺人は、歴史的に許容(どころか推奨)されていることが多い。
進化の過程においても群れて生きてきたから、身内の殺人を「感情として拒絶する」精神構造を持つように進化してきた(そのように考える個体、群れが子孫を残しやすかった)。
例えば、親殺しや子殺しなど動物に見られる現象だが、進化において種を残すという点で不利にならない範囲で、自分の遺伝子を残しやすい方法であるため行われる。
正しいものとして殺人の否定があるわけではなく、生存ゲームにおいてそのように考えることが種、個体の生存に有利であったという、ただそれだけのこと。
同じ事が言えるかって事だわな
治安も何もないいつ殺されてもおかしくない場所なわけで
…まぁそれで嬉々として銃ぶっ放しまくって戦果上げまくれたとしたら
それがそいつの居場所だった、って事だろうが
たとえば、もしも「人を殺した者は〜(刑法199条)」の条文が字面どおりの意味しか持たず、
「人命を尊重せよ」という行為規範を内包したものではないとすれば、
不作為による殺人(殺意を持って乳児を放置し餓死させるなど)は観念しえなくなるなど
不都合が生じるわけで、ああいった条文は行為規範+制裁規定の組合せと解釈しなければならない
啓発の実態は部落問題ばっかりだったりするわけで。
はっきり言って社会的に成熟してない国の殺人を咎すのは理屈的にも難しい。
極端な話動物が同種で争うことなんて自然、倫理的にも別におかしくない。
人間として成熟した社会になって始めて法やルールが施行されるんじゃないかな。
ただし外部から「これはおかしい」と社会的な国(アメリカや日本など)が法を作らせ圧力をかけるのもまた自由だ
人間以外も含め命はみんな同じ重さでそれは量れないだろ
>>殺人は法によって定められているから、自分を大切にした方がいい
自分を大切にしなくてもいい、法に罰せられても構わないと考えてる人は
どうなんだろう。死刑を望んで大量殺人をする人間は、ある意味で自分の幸福を
追求し、重視した結果殺人におよんだわけだろ?
>>魔女?
社会のルールを根拠に殺人を禁止する立場への問いかけだよ。
ルールで認められていればどんな殺人でもしてもよいか、ということ。
堕胎とか姥捨てとか間引きとか。食料が無い場合の殺人→人肉食無罪とか。条件付で自殺が認められるとか。人殺してなくても死刑になるとか。戦争とか。
殺していい場合と殺しちゃいけない場合があるだけだろ。
ただし、人を殺したのがバレると罰があるから殺さないだけ
人を殺した時の罰則が無ければ、俺なんかもう数え切れないくらい人を殺してる
殺したいけど罰のせいで殺せないジレンマ
また、内乱などにより法がまともに機能してない国だったら、
また、戦争中などの特殊事情状況であれば、
殺人はアリだろ。
結局はそういうことだよ。
死にたくないから殺すな、なんつーても、
それだけじゃ、足りないんだ。
きちんと法がととのってて、守れる状況じゃなきゃ、通らんの。
だからね、法律ってのは大事なんよ。
治安がいいってのは、とても大事なんよ。
>不作為による殺人(殺意を持って乳児を放置し餓死させるなど)は観念しえなくなるなど
なんで観念しえなくなるのか理解できないです
それは「人を殺した者」をどう定義するかの解釈の問題であって、いけない、いけなくないの問題とはまた別だと思うんだけど
おかしいかな?現にそういう殺人は起きている、あるいは起きていたんだし。
社会的に未成熟だろうと中世の国家でも貧困国でもルール、法は存在する。
その中で魔女狩りという虐殺は法によって認められていたわけだ。
法や社会が未成熟だからそのような地域での殺人はよい、という事だろうか。
>>社会的な国(アメリカや日本など)が法を作らせ圧力をかけるのもまた自由だ
自由であることとその圧力が正しいことは別ではないかな。
社会的な国の圧力は全て正しいのだろうか?
あなたの主張には先進?国の法が正しいという前提があると理解した上で聞くけれど
アメリカという大国が火葬やめろ、と圧力をかけてくることは自由だ。
ではこの圧力は正しいか?殺人とは離れてしまったけど、自由であるという事と
それが正しいということは別であるという反論として受け取ってほしい。
なぜ人を殺してはいけないの?
ばっかりなのが全て。
なぜ物を盗んではいけないの? とか、
なぜ電車の中でお尻を触ってはいけないの?、とか
でもいいはずなのに、そうは問わない。
極論を言いたいだけ。問うている人も答えは心の中にもう持っている。
>>哲学的理由に「元に戻らないから」
残虐な殺人犯や幼児性愛者によるレイプ殺人犯が元に戻らないからといって
何の問題があるだろう。
まもなく死んでしまう癌の末期患者が苦痛に喘ぎ、安楽死を望んでいる。
法で禁じられているからといって彼を殺すことが間違ってるだろうか。
ましてそれが最愛の人ならなおさら。
法律が許すなら勿論OKだよ
まあ、琴平でやるよりはマシか…?
※1088
なんで法律でそう決まってるの?と聞かれたらどーすんだよw
まぁ、なぜ人を殺すのがいけないのかは、人殺しが許される社会になったらどうなるか考えれば簡単だよ。食べ物は殺して奪っていい、金は殺して奪っていい、レイプ端放題、気に入らない奴は殺し放題。拳銃片手に安心して眠れない日々を送りたいと思う?みんなそんなこと望んでいないじゃん。法で禁止されたるから殺人がダメというようより、みんなそっちの方がいいからって無意識に思ってるからじゃないの?だからみんな自発的に法律を守るんだよ。
殺した本人にしかわからんよ
どんだけ頭いいやつがゴタク並べても言っても
「あんたは人殺したことあるのかよ?」
それを言われて
はいお終い
知識だけしか持たん人間に経験者の気持ちなんてわからんって
空しいけどこれが事実だよ
どうなんだろ。反モラルの人も現実的には多いと思う
ただ、自分ならどう説明してあげれるかなぁ?を知りたくて参加してみた
大事な事だし モノシリダナ-
1.人は人を殺すことは可能。だが駄目。
人を殺してもよいか、は殺すことが可能か不可能かではない。
人を殺してもよい、と「思う」のは勝手。だが殺すのは駄目。
2.正当防衛以外はやはり駄目。法律が破られがちな社会でも、
法を破ってもいい、わけではない。
3.魔女狩りは過去のある地域で「よかった」。今は駄目。
今廃れているのはそれが間違いだと悟ったから。
「みんなが望んだことだからだよ」
とでも言うしか無いな
全ての人は言わんが、多くの人間は
殺されたくない、生きていたいと願うものだろ?
逆に「人殺しも場合によっては許容され得る」ともみんな言ってる
それを明文化したのが法律であり死刑制度なんだよ
アリだとしよう。ではしてもよいかな?法が無力=殺人は容易に可能 とは言える。
しかしそれが正しいとは俺には思えない。あなたも同意してくれるだろう。
あなたの主張は倫理にとって法という力は重要、必要だというものだろうから。
しかし例のような社会で、実際に殺されたくないと望む人を殺すことに対して、
法にあるから殺人はだめという立場は無力だというのが俺の問いかけなんだ。
法は大事だ。が、法の無力な地域での殺人を、なぜしてはいけないと言えるのか。
これは別の問題だ。
戦争は個人間ではなく、国家間の争いであるから難しいね。自国が負けることは
自国の国民の不幸へとつながる。国家としてそれは避けなければいけない。
つまり責任の種類が違うんだね、個人の殺人とは。
海で自分しか支えられない木の板に捕まってて、誰かがそこに掴まりにきた場合・・・どうするね?
つまり、環境次第でルールは変わるって事だな。
犯人が何もしていない以上、“殺す”という行為をしたとはいえない
不作為では人を“殺す”ことはできない(“不作為による殺人”も比喩でしかない)以上
「人を殺した者」そのものの定義によっては、不作為の可罰性の問題は解決しない
したがって、条文を読むにあたっては、その規定が何を“当為(なすべきか、なさないべきか)”と定めているか
解釈しなくてはならない
理解が不正確じゃないかな。
裁判規範としての「人を殺した」という文言に、作為のみならず不作為を含むか、という問題点が不作為による殺人という論点。
今ここで問題となっているのは、刑法199条が直接的には裁判官に対する裁判規範でしかない、という間違った認識がまかり通っている点。
確かに、刑法199条は直接には裁判規範であるけれど、裁判規範のみが単独に存在するのではなく、当然の前提として国民に対する「人を殺してはならない」という行為規範を含んでいる。
刑法の目的としての行為規範がないのに、手段としての裁判規範だけが存在するという法令はナンセンスかつ有害でしかない。
すぐ本質を超越したがる2ちゃん脳恐るべしだな。
そんなWikipediaで子供が人殺しを止めようと思うと思うか?
三歳の子供にお母さんやお父さんが殺されたらどう思うか聞いてみろ。
答えはまずそこだろ。
そんな思いしなくていいように法律や宗教で教えや規律をry
確かにそちらの議論のほうが直接的に妥当すると思うけど、不作為による殺人を認めうるかという論点は
>「人を殺した」という文言に、作為のみならず不作為を含むか
とは別問題、というか「人を殺した」という文言に不作為は含まれないよ
判例も不作為も殺人罪の実行行為性を満たすとしただけで、「人を殺」すことにあたるとは一度も言っていない
むしろ作為義務(結果不発生に向けた一定の行為をなすべき義務)を認定した上で、不作為による殺人を肯定している点、
やはり不真正不作為犯は条文から行為規範を読み取らなければ観念しえないものが大半であるはず
むしろ人を殺してはいけないっていう社会のルールが必要
臆病さというものを理解し、共感しあえる唯一の生物だったんだよ、人間てのはね・・・
うむ、ACの好きそうな感じだ
と聞いてくる奴は自分の中に既に答えを持っている
なので「お前はなぜだと思う?それが答えだ」って対応が正解
と言う話を聞いた事ある
死ぬ寸前まで殴り続けてやれば体で理解できると思う。半分程度本気。
悲しむ人が増えるから
人間と動物の違いは他人を思いやれることだって。
勉強になる
不作為も殺人罪の実行行為性を満たすっていうのは、=「人を殺した者」という構成要件に該当するってことだから、要するに不作為でも人を殺すに当たると言ってるんじゃないの
あと、行為規範云々も解釈次第でどうとでもなるから不毛な話になると思うよ
それこそ人を殺してはいけないのかどうかを議論するのと同じように
人間じゃないな、俺w
でも突き詰めていくと答えの出ない議題だと思うんだがなぁ
お前の力が勝ってないからだ」
ってのはどうですか?
もし>>1が「人を殺してもよい」と思っているならば「なぜ人を殺してはいけないの?」などという疑問を持つことは不可能であるため「なぜ人を殺してはいけないの?」という疑問自体が無意味であり、既に答えそのものであると言っても過言ではない
>要するに不作為でも人を殺すに当たると言ってるんじゃないの
現実的に作為義務のある者が、殺意を持って不作為により人を死に至らしめれば
199条に内包される「人命を尊重せよ(特に人を殺してはならない)」という行為規範からみて
「人を殺した」ことと“等価”であるから構成要件該当性が認められるという話
この点、不作為による殺人が「人を殺」すことそのものだと主張している論者を俺は知らない
>行為規範云々も解釈次第でどうとでもなる
条文に行為規範が含まれるか否かが焦点だから、その内容の解釈についてはほんらい問う必要がない
そして条文に行為規範が含まれること自体は、立法趣旨からしても明白だから不毛な話というわけでもない
・・・君みたいなバカでも踏みとどまっちゃう理由もあれば、割と頭よくても踏み越えちゃうのもいる
ふうむw
「殺してはいけない」とかではなく
「なぜ一般的日本人は中国人・韓国人、同和団体にひれ伏して、
言われるがままに金を出さねばならないのか?」を
教えていただけるようなイベントなんじゃねーの?
殺される不安のない人間に、死の恐怖なんてわからない
・・・のかな?
死の恐怖は、人類の共通認識じゃないのかな、もしかして
「〇」てのはさw
そして殺人を肯定することは、実は殺人者にも不都合でなのである。殺人者にしても、人を殺す機会を得る前に、自分を殺されるわけにはいかない。つまり、殺人を原則的に否定する社会のほうが誰にとっても都合がいい訳である。
もちろん人を殺すことそのものだと言っているわけじゃないよ
あなたの書きこみにある"等価である"と同じ意味で、「人を殺すに当たると言ってるんじゃないの」と言ったつもりだった
なぜそう言ったかというと、あなたが「人を殺した」という文言に不作為は含まれないと言ったから
不作為でも「人を殺した」という構成要件に該当性が認められるのであれば、「人を殺した」という文言に不作為が含まれるということになるんじゃないのかな、と
後半については不作為や条文に行為規範が〜云々とはまったく関係なくて、なぜ人を殺してはいけないかという議論においては、まさにあなたの言う"その内容の解釈について"こそが論点になるのでは?と言いたかった
お前らもこんな何百回も使われたスレタイで釣られて語ってんじゃないよ
ダメなもんはダメ、そんだけ
「なぜそういう規範が人間社会に浸透しているのか」という問いと
「自分が人を殺さずにいなければならない理由は何か」という問いの二通りに解釈できる。
両者は一見良く似ている(というか後者への答が前者に根本的に依存しているように見える)が、質問者の心理を推定する上では大きく異なる。前者は主に学究的な動機から発せられるものだろうが、後者はその限りではない。「もしかしたらこの問いに対する明確な答などないのかもしれない」という、自分が持つ社会への反抗心が満たされることへの期待が窺える。
前者への回答は比較的たやすい。最も単純なのは、社会のルールなど所詮は恣意的なものであり、殺人を許す規範も許さない規範も過去には存在してきたが、構成員同士が潰しあう社会は極めて不安定なので、長い歴史の中で結果的に殺人を許さない社会が優勢になってきた、というものだろう。
後者への回答は、教育的な意義を考えるなら、かなり慎重に用意しなくてはならない。少なくとも前者に対する回答はあまり意味がない。
「自分や家族が殺されたらどう思う?」と逆に問いかけるのは、一見マヌケだがそこそこ的を射たやり方だと思う。
でもその場合、ちょっと自分が殺されそうになったくらいで
命の重みを知ったり改心したりすることが絶対悪扱いになるので、
よっぽどの求道者でない限り殺人NGなほうが楽なんだと
略奪者の視点からものを考えてる
結果として自分や自分に親しいものの命を差し出すということを分かってんのかね
自分がされて嫌なものは人にもするなとしか言えん
差し出しても惜しくないというのならそれは薄っぺらい人生を歩んでる
真面目に答えたところで難癖つけてくるんだから、相手にするだけ無駄だ
自分と同じ種族を殺してしまうと、だんだん周りもする(かもしれない)→自分の種族が根絶やしになってしまって、自分が存在しなくなる→それは勘弁みたいな。
わからんね。
この間の耳かきの娘刺した奴にしろ
人を殺したクズ野郎と社会生活を共にするなんて勘弁だよね
被害者になった可愛い娘達には生きていて欲しかったけど
なにが当然なのかわかんね、話飛躍させすぎ
死刑=国家による殺人だからね。あながち飛躍とは言えないよ。
全ての殺人を否定することは死刑の否定につながるのだから。
本スレや米欄において、主張の根拠がないレスや説明の不十分さは相互理解を
妨げてると言えるね。それでは単なる主張や非難の合戦で、議論にならない。
みんな自分がどう思うか書いてるだけでしょ。
そうかもしれない。でも僅かでもいる。そしてその議論を見た人が何かを
得ことはありうる。だから俺は1058のように問いかける。議論したいと思う。
そのせいで実は今、連投規制食らってるっぽいんだけどねw
それが出来るか否かは殺人の是非とは別だろう。元に戻せるからといって
無実で善良な人を殺していいわけがない。彼はまず死にたくない、苦しみたくない
と望んでいるのだから。
法が禁じている国での安楽死は是か?誰にもなれなければ殺してよいか?
なぜ駄目なのか、その根拠はなにかな。
現在において間違いだとされている、その判断は正しいのか。そしてそれはなぜか。
苦しみの中で安楽死を望む人を殺すのは、むしろ為すべきことではないか?
そういう社会システムが構築されてるんだぜ
ようは勝手に歩みを止めるようなマネをするなってことだ
流動することがデフォの世の中なんだから
殺されたいと望む、殺されても構わないと思う人は殺してよいのだろうか。
また、ホームレスやヒキニート一人を殺したところでその歩みとやらを止めることに
ならない。法という社会システムは殺人犯を裁く、つまり社会は正常にあり続けるのではないか。
また、流動することがデフォの世の中というのはあなたの個人的見解であり、
何の証明も根拠を述べていない。デフォであるとして、それを守るべきという事は
別の問題だろう。むしろ変えることこそ流動、歩みなのではないか。
法として安楽死や死刑を禁じる国が、それを認めるようになるといった変化が。
しかしその結論の基準があやふやだと、別に守らなくてもよいという立場も
生じてしまう。ゆえに何故?を問うことは有意義であるといえる。
この質問やその相手を馬鹿にしても、それは自分が正しいという事にはならない。
自身の主張で正しさを証明しなければならない。
これって、殺すことに何も感じない人間が問うことで、はじめて価値の生じる疑問じゃないだろうか。
殺人ダメとか言ってる限りこの国は絶対変わらない
ゼロリセットを
問う人のステータスは凡庸な聞き手の態度には影響を与えるかもしれない。
しかしステータスは、問いの内容や重要性自体には何の影響も与えない。
大事なのは聞き手がこの問いから逃げないことだ。
ぜひとも手本を。
法律とは、秩序を守る為に存在し、秩序とは、国家を守る為に存在し、国家とは、国民を守る為に存在する。
法律が無くなれば、人々は容易く自らの欲望に流され行動する。結果として秩序は破壊、身近な人同士での争いが起こる。長い歴史の連続性の中で産み出された道徳は完全に消滅し、国家や社会という概念は跡形もなく消え去る。他者を圧倒する力こそが絶対の権力となり、人類は停滞し、失ったものを取り戻すのには長い歳月を要する。
その間の動乱は、暗黒時代と呼ばれ、後生の汚点として永遠に残る。
現在の北朝鮮が、まさに暗黒時代の真っ直中である。
「殺してはいけない」ということを完全に理解できない人間なら
「いけない」という言葉の意味・概念もわからないはず
「川で遊んではいけない」という呼びかけがそれを読む(聞く)者の生死に関わるような禁止事項はどうだろうか
これは、これを書いた人・社会が、「自分が(間接的にせよ)人を殺してはいけない」という意味を読み取れる
つまり、「なぜ殺してはいけないのか?」という質問は、質問者が質問の意味を理解しながら、していないことになり、文たりえていないといえる
レイプされた女が法によって死刑に処される事は正しいのか。
また、安楽死が禁じられている国で、安楽死を望んでいる親を楽にしてやるのは
間違いだろうか。
「法律がなくなったら」というが、現に法がある社会から人を殺すことを
認める社会への変化が生じるとは考えにくい。条件設定が非現実的だと思う。
どのようにしてそんな変化が起こり得るのか、条件設定を厳密にすべきだ。
そして、法律のない世界はあなたの想像力よってのみ想定されていて
例として不適当だ。それならば、人々は自然に共同体を構成し、その中で
他人への配慮からルールを作り、復興していくことも十分あり得るだろう。
殺されたくないと望んでいる人を殺すことはなぜ悪いのか。
相手も殺されたくないと思っているだろうから殺してはいけない。
つまりだ、こんな質問する奴は相手の立場になって考える事が出来ないバカだという事。
・・・説得力ねーかな?
社会がなりたたなくなる
YESと答えたら?死にたいけど自分では死ねない、じゃあ人をいっぱい殺して
死刑にしてもらおうというやつがいたわけだけど。
そして殺されたくないという欲求を持たない存在、つまり赤子や重度の痴呆老人は
殺してもよいのだろうか。
でも、人殺したくてたまらん奴は危険だから隔離しねーとな
全ての殺人を否定するか、全てを肯定するかの2択しかないわけじゃない
殺人がいけないのはいかなる場合も絶対的ではない、戦争では命令によって兵隊が殺人を許可されてるし、警察だってやむを得ず射殺する事もある
つまりはケースバイケース
殺人がいけないなら死刑はどうなんだ?
と聞くのは話が違う、死刑はまた別の問題になってくる
植物も生命と考えたとき、何も殺さずに生きていける人間なんか居ない。
つまり「他の生命を奪う」事そのものを「悪」とする理由は根本的には存在しない。
結局は、殺害によってもたらされる状況が自分にとって悪いなら
「殺害はしてはいけない」というだけであって、
そうでないなら「してもいい」のだ。
逆に言えば、「殺害しないこと」によってもたらされる状況が
自分にとって悪いなら「殺害した方がいい」。
現在の日本では死刑などがこの状況に相当する。
前者でも後者でも
殺す奴はその価値観により何度でも殺しをする。
そいつらを社会的に省くとなると、もう方法なんてどうでもいいんじゃないか?
殺しを脅迫に置き換えてみ?
最後に言っておくけど
>あなたの書きこみにある"等価である"と同じ意味で、「人を殺すに当たると言ってるんじゃないの」と言ったつもりだった
「人を殺すにあたる」のであれば、それは「人を殺す」と“同義”であると捉えるべきだけど、実際は“(構成要件的に)等価”であるにすぎず、不作為による殺人は「人を殺す」ことそれ自体にはあたらない
いずれにせよ行為規範を一枚噛ませないと、不作為による殺人を認めることは無理
>あなたの言う"その内容の解釈について"こそが論点になるのでは?
けっきょく俺は刑法という法律が罰則しか含まないという考え方(たとえば>>1056)に対して、刑法は行為規範をも内包すると異を唱えた(>>1069)だけ
仔細な内容については二の次
殺人がいけないなんて誰もがわかってる事だろ
全くそう思ってない奴は異常者
そこに疑問を挟む議論をしたいならもっとレベル高いとこあんだろwwwww
死刑を問題視しない快楽殺人犯が人を殺しまくるのはよいわけだね。
被害者がどんなに理不尽に殺され、遺族が悲しもうとも。
殺人犯の快楽は被害者らの不幸より重視されるのだろうか。
そして避妊しなかった中田氏大好き女が胎児をおろすのもまた正しいわけだ。
>>14おもしろいね でしまいだろ
それがあるから死刑廃止に賛成なんだよねぇ
日本で暮らしてて一人で大きくなった人間もいないだろうから
大きい意味で死刑になるような人間を日本が作ったといえなくもないしさ
さらし者というか今後減らす研究のためにも生かしておく方がいいかなと
前半についてはちゃんとコメントを読んでくれとしかいえない
後半はあなたの主張を否定はしないけれど、解釈次第だよねって話
なるほど。では殺人を区分したあなたの基準は何かな。ちょっとした思考実験。
生きた人間1人を殺して4人に臓器を移植することは正しいか。
4人はその人の臓器を移植しない死ぬという前提でよろ。
そして、その殺す対象である一人があなたの恋人、家族であった場合あなたは
4人を救うために彼女あるいは彼を殺すべきか。
別に良いんじゃない?
何かの理由があって、あえて社会と敵対する道を選んだ人間を、
「悪」と断ずることを俺は良しとしない。
ただし、俺や俺が大事にする社会にとっての「敵」ではあるので、
思う存分社会的に攻撃すればいい。それだけ。
善悪なんていう、人によっても、国によっても、時代によっても
激しく揺れ動くしょーもない基準を持ち出すのが滑稽で仕方ない。
重要なのは「敵か味方か」それだけだよ。
意味わかんね、殺される対象の意志を確認しないのか?
単なるエゴじゃん、殺人犯となんら変わりない
まぁ例え殺される対象がいいと言っても俺は殺さないがね
4人を救う為とはいえ、1人を殺す事は認められない
死刑にしろ、戦争にしろ、警察にしろ、実際に殺す人間の意志は含まれてはいない
誰から見ても正しい、という絶対的な基準は無い。
色々なものの捉え方があるんだなーって
殺人はいけないと決めたのは僕たち人間であって「人間としての常識」みたいに思ってるなら君はアホだね。
これから先犯罪や殺人は消えないだろう
だからこそ僕たちはそのことに警戒し怯えながら生きていく必要がある
人に恨まれるようなことしたら自分の身に降りかかってくるぜ
どうでもいいけどなんでこいつこんな上から目線なの?最初から自分の考え曲げる気ないんだろが
自分の手を汚したくないというのはわかるよ。けどそれは正しいのかな。
普通の殺人と異なるのは、その行為がより多くの命を救うことにつながり、
それはより多くの利益、快を生むという点だ。そして殺さないことはより多くの
不幸を生む。ちなみに、あなたの殺さない理由は何かな。
米1188
俺は自分の考えが絶対に正しいとは思ってないよ。むしろより良くしていきたいから
こうして質問してるんだ。
自分が殺されることも、自分の大切な人が殺されることも認めると言うこと。
実際殺人を行う人は人間関係が希薄だったり、身内がいない(周りに大切な人がいない)うえに、生きていることに喜びを感じない(自分自身の命を大切にしない)ことが多い。世界に絶望しないと普通は出来ないね・・・一時的に頭に血が上ってと言うタイプは又別だけど・・・そういうタイプは殺人を肯定するタイプは少ない。後で後悔して保身に走るのは殺人を認めていないのに行ってしまった場合。
自分の言ってる事客観的に見れてる?その考えは一歩間違えば宗教の教祖の様だよ。
俺が殺さないのは、はっきり言って4人の命よりも彼女の命の方が大切だからと、なにより法律で認められていないからだよ
普通の殺人と異なるなんて関係ない、法律で許されない殺人はどんな理由があろうとも許されない
黒人と白人に能力の差はないのに、白人は自らの利益を守るために黒人を奴隷扱い
したようにね。つまり善よりも自己の利益を優先する愚かさが問題なんだと思う。
そして今までなかったからといって、絶対的な基準がないとは言えないだろう。
また、正しい基準があってもそれを正しいと認めないことが可能であることも
愚かさに拍車をかけている。
ちなみに俺は人の幸福や快を増やす行為を正しいとする基準をとってるんだ。
基準は一つだけど、安楽死は良い、快楽殺人は悪という異なる結論が出る。
異なる文化は規則も異なるけど、その根底にある基準は一致しているかもしれない。
この問題を「正しさ」の問題として考えたところで、選択を迫られる本人の正しさ、一人の家族か恋人の正しさ、四人の臓器移植をしないと助からない人々それぞれの正しさによって、全く異なる解答があると思う。
恐らくあなたは「多くの利益(快)のためには少しの犠牲は仕方がない」という意見の元、この問いを発しているものと思われるが、数の論理における正しさは必ずしも現実的正しさとは限らない。論理的思考のみで解決できるほど、人間の問題は合理化されてはいないよ。
そういう意味でも、君は一度、ドストエフスキーの「罪と罰」を読みたまえ。
ある人にとっては快でも、ある人にとっては不快な場合はどうするの?
OK。四人を見捨てることの是非はともかく、あなたの基準はわかったよ。では
彼女がガンの末期症状で、それが与える痛みに苦しんでいて、安楽死を望んでいる。
しかし、あなたの国では安楽死は認められていない。あなたが彼女を殺さないことは
正しいだろうか。そして法で認められている殺人なら正しいだろうか。
魔女狩りや、レイプされた女が死刑に処されるようなケースをどう考える?
理由も添えてくれるとありがたい。
快楽殺人犯Aの快は人を殺して気持ち良くなりたい、Bさんの快は生きたい。
この条件でAがBを殺すと快と不快が生じる。そしてBを殺すことで生まれる結果は
Bさんの快、彼の家族の快(Bに死んでほしくない)や社会の快(そんな殺人が起きてほしくない)
などの侵害である。一方Aの快はA自身の快楽のみである。この結果を考慮して
より多くの不快を生むこの殺人は、それゆえ悪だ。と俺は考えてる。
独り身の人を、集団でリンチ殺人した場合は?
殺人側も、家族親戚いなくて、周りに迷惑は無い。
ニュースで不快な思いをする人よりも、
本人達の快楽が上回っていたら?
俺が言いたいのは、快、不快は君の基準で、
それは人によって違うから、善悪の基準にするには、
ちと難があるんじゃないかと。
殺さない事が正しいかどうかと言う基準が法に基づくのなら正しいだろう。
安楽死が法で認められるのなら、本人がそれを強く望むのなら、殺すのかもしれない。
だがそれが正しい判断だとは思わない、間違ってるとも思わないが
人は正しいか正しくないかの基準だけで行動するものではない
魔女裁判については、俺はその時代に生きていたわけではないからその時代の常識がわからない…知識もないしな
なので想像力だけで判断しなければいけないが、それは例としては不適当だろ?
今の時代の日本人の常識から考えれば、狂ってる時代としか
でもそれは国が行っていたんだろ?その時代の人からすればそれが正しい行いだったんだろうさ
選択を迫られる本人(自分)はその中で何らかの行為の実行が要求されてる。つまり
それぞれの正しさがあるからという理由で行為を選択をしないことは許されない。
そして、現実ではなにかを選ばなければならない。その上で出来る限り良い判断は、その基準は何かを考えようというのが俺の姿勢なんだ。
そして行為の選択者としての俺は、四人を救う事がより正しいと今は考えてるんだ。
しかし恋人を見捨てることが正しいとも思えない。ここが俺の悩み。
できないならそれが人を殺してはいけない理由
臓器提供は別にお前でもいいんじゃね?
人を殺すことは彼の将来における快も奪う事を意味する。そのリンチを行わない場合
彼の苦痛と死という大きな不快は生じない。単なる人数だけでなく、その結果の
重大さも考慮に入れるべきだ。リンチ被害者の不快(痛いのは嫌だ、死にたくない)
は明らかじゃないか?でも快の判断、快の程度の判断が困難なことは認めるよ。
俺はあまり価値のない人間だし、他の人が生きたいと望むならそうする。
ただこの四人がまともな人間であることが条件。
人が群れで生活する生き物であるから外部の群れとの争いはおきて、他の群れの人間を殺すことは当然のこととして許容される。だが群れの内部に対して攻撃を行うものは群れから排除されなければ群れは存族できない。この原則はそこらのチンピラから国際テロ組織にしても共通。
現在は群れが国家/国際社会と広がってきたので殺人をしてはいけないものとして規定された。
群れの内部に攻撃を排除する機能が現在の法と警察。暴力を行使する権利は個人には許さず、群れの安全を守るものに与えられている。
まあ、早い話が安心して眠りたいからってことだ。
そうだね。でも現実にこのような事態に直面した時、選択を避けられない。
なら、より良い行為をすべきだ。そのために行為の判断基準を養う、善悪について
考えることは大事だと思うんだ。
魔女とされた人は自白を拷問によって強制され、その上で殺された。
その時代に生きた当の「魔女」たちが魔女裁判を正しいと認めていただろうか。
多数派によって正しいと「されている」ことは本当に正しいのだろうか。
それを判断する基準として、快と利益の基準は役に立つ。
自文化の押し付けはよくない。しかし客観的規準を用いて異文化を批判することは
その国で虐げられている人を救う立場を裏付ける。
そんな悲観すんなって、価値とかお前が決めるもんじゃないんだぜ?
もしその4人の中に恋人が含まれるなら、俺もそうするかもな
遭難とかして、みんなで餓死寸前なら自分を差し出すかもしれない。恋人には生きて欲しい
人の迷惑になること、かなしませることをしてはいけないと幼稚園で習った。
>>1193だけど、なるほど。詰まるところ、「この状況において、俺ならどうするのか」を言えばいいわけね。
まず俺なら、この閉塞的状況の外に、全員を助ける道を探すね。もし、それが叶わないなら、>>204のような、前提つきの自己犠牲を選ぶ。
ただ、「臓器移植をする能力を持っている人間がこの中にいるのか?」ってのは気になるところ。能力を持ってるのが俺自身だとしたら、自己犠牲は成り立たず、俺は窮極の二択に立たされることになる。
>>1199的には、やっぱり移植をする能力を持ってるのは本人っていう前提での話?
行為の判断者たる俺が自身に価値を認めないなら、その認識に従って俺は行為を
選択すべきだと考える。
そして俺にとって恋人や四人の命は俺一人の命、快より多くて重い。ゆえに
俺は俺を差し出すべきだと判断したんだ。たとえ俺の価値や快を多少は認めると
しても、それが四人の快より重いなんて事があるだろうか。
俺の前提は、誰を犠牲にするかという判断の権利を自分がもっているというだけで
あって、移植処置はこのメンバー以外の部外者ということになるかな。
より多くの快のため犠牲はやむを得ないか、というのがこの思考実験の意図だから。
俺のみが移植技術を持ってるとなると、恋人以外の誰かを殺す。
さらにその四人が全員俺の大事な関係者だとすると、誰を生かすことがより多くの
快を生むかを考えるかな。娘と祖母なら、娘のほうがこれから生きる生は長く、
より多くの快を得るだろうから娘を生かす。
ただ1199で述べたように、特定の人物の快をまず優先することは果たして悪なのか
という悩みがある。親として優先すべきではないのかと。
それが人間らしいってことなんじゃないかな
誰だって自分の命は大事だろ、周りの人を犠牲にしても生きたいと言うのは自然な事だ、正しい間違ってるよりも、もっと根本の
もし自分と恋人を含む5人が遭難したとして、食糧もなく餓死寸前に追い込まれた…そしたらどうする?
自分以外の誰かを殺して食べる?自分が食べられる?全員で餓死する?
あー! この平仮名表記イライラする!
でもこの程度でこの表記定めた奴を殺してたら世の中滅茶苦茶になるわなw
殺人に限ったことではないけど、ルールやマナー、道徳、常識として定められた「するべきこと」「してはいけないこと」には、それなりの必然性があり、それを破れば本人や周りの人が苦しんだり悲しんだりと何らかの不利益をこうむる。
殺人ってのはその中でももたらす不利益が大きいから絶対にダメ。
ところが自分はその不利益から外れてる(と思い込んでいる)とかとんでもない自己中だったり想像力が働かない奴がいるからこそこういう質問してくるんだろうな。
こういう奴の犯罪の抑止力として刑罰が必要。
しかし、その刑罰も覚悟の上でやらかす奴に対してはどうにもならない。
アキバのアレみたいに死刑ですら抑止力にならない奴には死後の世界や地獄という概念が有効かも知れんが、それすら効果がないならもうそいつらは力で抑えるしかないわな。
この理屈もどうかと。
モノ壊しても直したり弁償すりゃいいってわけじゃないんだし。
>魔女狩り
危険な思想を持っていて強大な力を持っているため、皆の安全のために始末。
個人の命<皆の安全
表向きはこういうこと。
戦争や死刑、姥捨てといった具合に、殺してはいけないことと同様に殺すことにもそれなりの必然性が成立してしまう状況ってのはある。
もちろん殺さずにすむ現実的な方法があるならそれに越したことはないが。
そういった質問をあえてするのは無能の証明
ただし、ほとんどの場合、遺族や殺人を良しとしない社会を敵に回すことになる。
それでもいいなら好きにすればいい。
それを「悪」と言えるほど明確な根拠なんかこの世に存在しない。
1993だが、この命題は、どの正しさを選んでも、必ず、ある正しさを犠牲にする以上……だいぶ実も蓋もない意見になるが、この選択は論理よりは感情に委ねるべき問題ではないかね。
更に無粋なことを言えば、この思考実験で提示されている状況でなら、少なくとも自分を犠牲にして他の全員を救えるわけだし、俺は自分を犠牲にするかな。更に言えば、移植手術を行える外部の人間がもしなんらかの移動手段なり外部との連絡手段を持っているならばそれを奪ってでも使ってみんなで生きてこの状況を脱出するとか。なんにしても、俺は最悪の選択の前に、もっと可能性を探すよ。
納得のいかん解答かもしれないが、俺の結論は以上。
自分の命や快を不当に優先することはできない。俺にとっての他人も自己を
もってる自分だから。恋人や家族を大事にしない風潮は社会の不快となる、
より良い社会のために家族や恋人は大事にしようというところかな。
まず自分の腕や脚の肉を食う、もしくは分け与える。つぎに、最初に餓死した人を
食う。死期の個人差を考えると的外れではないはず。恋人が死にそうならば、
俺が死んで助ける。恋人が俺を食ってくれることが前提だけど。
今回のケースでは全員が同じ立場であり、俺が身を捧げることが必ずしも全員の
生存を意味しないところが難しい。もし救援まであと二日という確定があり、
誰かが死ななければ全滅するなら、俺が死ぬ。
>>表向きはこういうこと
実際、事実無根であった以上魔女狩りは間違っている。教会の権威を振るうための
見世物というのが魔女狩りに対する俺の考え。
死刑や姨捨などはあなたと同意見だ。
最初に餓死した人ってのは誰なんだい?
その人が大人しく死ぬもんかな?
1人死ぬ事が全員の生存を意味しないが、それによって確実に何日かは生き延びれるわけだ
そんな極限状態で理屈だけで行動できるのかい?
俺と恋人を除く誰かだね。恋人が最初に死にそうなら俺が死んで助けるから。
もし皆が死者を食う事で意見が一致しており、救助の可能性が少しでもあるなら
やはり俺が死ぬよ。少し訂正。
殺してはいけないと明言されてない
だっけ?
でも仮定としてでも他人を信頼
したいから、共同体のルールがある
でなきゃとっくに人類は自然淘汰されてる筈
社会、人々が良しとしないことなら悪という言葉で呼んでいいだろう。
物や行為の価値づけは人間によるものだ。そしてたとえ悪という言葉による
価値づけを否定しても、殺される側は殺されたくないと望んでる。
それゆえ彼を殺すべきでない。
殺人はしてもよい(可能)という事と殺人は善だ、正しいという事は別だ。
では家族の命で100人の命が助かるとしたら?
下半身不随になれば100人の命が助かるとしたら?
1億の借金を背負えば100人の命が助かるとしたら?
・・・
100円払えば100人の命が助かるとしたら?
逆に100人の命と引き換えに家族の命が助かるとしたら?
100人の命と引き換えに100億円もらえるとしたら?
・・・
100人の命をどうしようと自分には何も起こらないとしたら?
しかし俺はそうは思わない。どれを選択しても「自分の都合のために他者の命を切り捨てた」ことに変わりは無いのだから。
そして本来一個の生命としては自分の都合が最優先するのは至極当然のことであり、そのこと自体は他人に責められる筋合いのことではない。
結局「善悪」などというものは、「コミュニティを運営し、生活するに当たって『都合が』善いか悪いか」というだけの話、つまり「敵か味方か」、それだけである。
そして、そんな基準は時代、環境によっていくらでも変わりうる。
危険思想だな。隔離しとけ。
>>「自分の都合のために他者の命を切り捨てた」
自分の都合のためにではなく、より多くを救うためだろう。そのために自分を
犠牲にすることもあるし、それは善と呼ばれる。本当に自分の都合だけなら
自己犠牲などあり得ない。
人は絶対的な善を求めてるわけじゃない。より良い善を求めている、それゆえに
時代や環境によって善は変わっていく。それでいいんだ。
あなたは絶対的善悪という観念の不在から、実際の対立関係を表す敵と味方という
言葉を用いているのかな。それは理解できるけど、人の善悪という意味で善悪という
言葉を使うなら、構わないんじゃないか。
俺はそれを「悪」と呼ぶことに抵抗がある。と言うよりそもそも何かを「悪」と言うことに抵抗がある。
自己の都合を優先するのは生命として当然のことであり、当然のことしているだけの存在を「悪」と呼んでいいと思わないからだ。
そもそも、俺たちもまた自分の都合のために「コミュニティの価値観」を優先しているだけに過ぎない。そういう意味ではその「悪」も俺たちも何も差が無い。
単純に立場、価値観が違うだけ。そして違うがゆえに「敵」であるだけ。それだけだ。
>>自己の都合を優先するのは生命として当然
自己の生を意欲することは当然だろうね。狩りを悪だなんて言えない。しかし
何が何でも優先という態度はやはり悪だ。それは共同体の価値観というより
共同体に属する個々の成員の利益を侵害するがゆえに、悪だと呼ばれる。
俺たちは共同体の価値観を尊重してるのではなく、もっと現実的な個々の相手の生を
尊重してるといえる。そして相手もこちらを尊重する。お互いの都合を尊重しあう。
これは群れ、共同体の成員としての当然な立場だろう。
殺人はそのような尊重関係よりも、何が何でも優先されるべき当然の行為だろうか。
自分だけの尊重は共同体の成員としてあるまじき行為、悪と呼べるんじゃないかな。
そして相手への尊重が自己の尊重と同様、それ以上のときそれは善と呼べるのでは。
その人の意思を、殺す側が汲まなければならないかどうかは別問題。
その人の遺族やコミュニティとよろしくやっていくつもりが無い人間にその理論は通用しない。
>自己犠牲
自己犠牲もまた「自分の価値観」という都合のため、と考えられる。
自己犠牲を無批判で善とするのには問題があると思うし。
>人の善悪という意味で
すいません、どういう意味かよく分かりません。
その理屈だと害獣、害虫も「悪」となってしまいます。
やはり「悪」と言うよりは「敵」と言う方が適切だと思うのですがね。
>殺人はそのような尊重関係よりも、何が何でも優先されるべき当然の行為だろうか。
それこそ「価値観次第」としか言いようが無い。
他者の尊重が善であるという価値観は俺も共有するところだけど、
その価値観を持たないものを「悪」と断ずるに足る十分な根拠であるとは言いがたい。
人が個々人の利益を配慮して作り上げた善悪、を意図したんだ。説明不足だった。
あなたは自分の都合を追求するという行為を当然のものとしたわけだけど
自分の都合を優先しない、相手のための行為は当然ではないもの、善と呼べる。
そして自分の価値観の中に相手を尊重すべきという考えがあるなら、その価値観は
善と呼べるだろう。自分の都合を尊重することは当然だが、それが相手の都合を
ひどく侵害することは当然ではないもの、悪といえる。
>>その人の遺族やコミュニティとry無い人間にその理論は通用しない
そのような態度は可能だろうね。でも共同体に属する以上、それは悪だ。
通用しない=悪ではない という事にはならない。共同体の成員としての当然を
別の成員の当然を侵害する形で破った。故に悪だ。
それを「善」「悪」と言い切ってしまうところに、他者の「価値観」を認めない傲慢さがあると思います。
そして俺はそれを他者の「生命」を尊重しないこと以上に危険な考え方だと思っています。
>でも共同体に属する以上、それは悪だ。
「共同体に属する」という条件はどこから出てきたのですか?
共同体にとっての「悪」ではあっても、共同体に属するつもりも無い者にとっての「悪」であるとは限りません。
他者の尊重を善と認めるなら他者を尊重しないことは悪、で良いじゃないか。
悪について、あなたの表現が少し変わっている。どうしてだろう。
>>その理屈だと害獣、害虫も「悪」
なぜそれが問題になるのかな。害を与える行為をするから悪なのであって、
獣や虫がそれ自体で悪であるとか、悪意を持って人に害を与えようとしてるから
悪といってるのではないよ。
しかし、殺人はまず悪意があるし、しかも相手を尊重しない行為だ。
あと、殺人者にだって相手への尊重という善の価値観はある。理解できるだろう。
それを蔑ろにして自分だけの当然のみを、相手を尊重しない形で優先するから
悪なんだ。行為の悪と意志としての悪の揃い踏み、ゆえに殺人者は害獣よりも悪だ。
>>共同体に属するつもりも無い者
人間に関して言えば、望もうと望むまいと生まれた時すでに共同体に属している。
そして成長して、たとえ共同体に反抗してもそこから抜け出せない。
殺人者は「共同体、社会の法」によって罰せられる。そのことこそ、彼が共同体の
一員であることを意味している。
獣に関して言えば、善悪の価値観を持たないゆえに悪意がないという意味で
殺人者よりましだろう。しかしその行為、畑あらしの被害は人間にとっての悪だ
といえる。あくまでも人間にとってのね。
ハラハラドキドキの無秩序状態を回避して、
社会の構成員みんなが平和な毎日をおくるための
安全保障条約。
盗んじゃだめ、とか
ケガさせちゃだめ、というのも同じ理屈。
それが獣だったら価値観の尊重もなにもないからさておき、問題は人間だね。
価値観でとどまっているならまだしも、その価値観から実際に殺人を犯した殺人者の
意志、その行為をどうして悪だと呼んではいけないのかな。殺人者が人々の価値観や
生命を尊重しないことを。
殺人者のこんあ価値観が殺人行為を生むなら、その価値観は悪だと俺は思うよ。
俺はその価値観を否定する。けれどそれを持ってるだけで危害を加えたり弾圧したり
すべきだとは言ってない。ところで、
共同体からの離反を望み、行為した殺人者が共同体の成員に認められることを
望むなんて虫がよすぎやしないか?
害獣、害虫が悪なの?evilなの?さすがに暴論だと思う。
俺はその定義を共有することはできない。何が何でも稚拙すぎる。
>そのことこそ、彼が共同体の一員であることを意味している。
お話にならない。
その理屈だと、ある海外の人間をとっ捕まえて、その国でしか通用しない法律で裁いたとしても「その人間が共同体の一員であることを示す」となるが、そんなバカな話があるか。
単にある価値観を持つ集団が、別の価値観を持つものを「悪」と断罪し、罰と言う名の攻撃を加えた、ってだけじゃないか。
価値観は人それぞれだから答えなんかない。
拉致監禁し毎日強姦する犯人に抵抗し殺してしまった被害者。
通行人を殺しまくる連続通り魔をやむを得ず射殺する警官。
侵略者に抵抗し祖国のため戦争で敵兵を殺す軍人。
凶悪犯に対し法に基づいて死刑を下す裁判官。
職務にのっとり絞首刑のボタンを押す看守。
快楽殺人のためなら、すべてを犠牲にしてもかまわない狂人。
人によって、時と場合によって、判断が異なるもんだ。
やって良いこと、悪いこと。そんなん自分で決めろ。
>>そんなバカな話があるか
俺もそう思うよ。どんな状況なんだそれは?いきなり外国に住む外国籍の人間を
誘拐して罰するなんて。今の社会でそんなことあり得るだろうか。
反論の例に非現実的なことを持ち出されると参るよ。俺の説明が悪かったのかな。
A国で生まれた人はA国の国籍を持ち、A国の成員である。彼が独特の価値観を
もっていても、A国という共同体に反抗してもA国の成員であることは変わらない。
彼がA国で人を殺せばA国という共同体、法によって罰せられる。
それは彼がA国という共同体の成員だから。
善といっても椅子を譲ったり身を呈して命を救ったりピンキリだ。
それと同様に、なにも害獣が殺人犯と同程度に悪だと言ってるのではないよ。
その価値観を共有する人の間でしか通用しない、普遍性の無い論だから。
>共同体からの離反を望み、行為した殺人者が共同体の構成員に認められることを望む
誰がそんなことを言ってるんだ。
いったい俺の文章のどこからこれを読み取ったのか理解に苦しむ。
離反した者、つまり価値観についての合意の無い者相手に善悪を語っても無意味で、
その作業もせぬまま自分の価値観によってのみ善悪を断ずるのが傲慢だと言っている。
現状まずありえないが、物理的に不可能な事例じゃ無い。
事象をモデル化し、それを説明するための架空の具体例を出すことなぞ、君もやっているように議論ではごく一般的な手法だろう?
君の論の危うさを説明するために必要だからその例を出したまで。
>同程度に悪と言っているのはない
本気でお話にならないね。およそ善悪の価値観を持たない獣、虫の行動まで善悪という軸で語ることに違和感はないのかね?
殺人に使われた包丁は「悪」なのかね?毎年死者を出す台風は「悪」なのかね?
「仮に」子供の頃から海外で「悪い」大人に人殺しが善だと徹底した教育を受けて育った少年がいて、その少年が日本に乗り込んで人殺しをした場合、少年が「悪」なのかね?
なあ「共同体の一員に害悪を加えるモノ」は全て悪なのかね?
この話は言葉遊びにしかならない気がするぜ
この話は定義論争になって不毛な話にしかならんと思う
どの辞書?goo辞書だと違うぞ。
あく【悪】
1(名)(1)わるいこと。否定すべき物事。道徳・法律などに背く行動や考え。⇔善
(2)演劇で、敵役。悪役。(3)〔近世語〕悪口。悪態。
わるい【悪い】
(形)[文]ク わる・し
補足説明望ましくない状態を広くいう語
(1)好ましくない状態である。よくない。(2)品質的に下級である。粗悪だ。(3)美的に劣っている。醜い。(4)能力的に劣っている。劣等だ。(5)身分・家柄が低い。経済的に恵まれない。(6)倫理・道徳に反する。道にはずれている。(7)規範・標準に合わない。適格でない。(8)友好的でない。むつまじくない。(9)人格的に好ましくない。(10)都合がよくない。具合がよくない。(11)不利益になる。得でない。(12)快くない。不快だ。(13)調子がよくない。病気・故障だ。(14)好ましくない結果に対して責任がある。(15)迷惑がかかって気の毒である。申し訳ない。
以上。
つまり善は認めるわけだね。そして俺は米1236で
「他者の尊重を善と認めるなら他者を尊重しないことは悪、で良いじゃないか。
悪について、あなたの表現が少し変わっている。どうしてだろう。」
これに関してはスルーしているわけだけど、見逃してないかな?
そして行為の(害)悪と意志としての悪(意)は米1236で分けて説明したよ。
見逃してるんだねきっと。
包丁という物は悪意もないし、行為もしない。台風もしかり。台風は現象だけど。
少年に悪意はないだろう。しかし行為は悪だ。動物もしかり。
それもそうだ。一般的な手法なのは認めるよ。では
A国で殺人をした彼がA国の法で罰せられるのは、彼がA国の国籍を
もつA国の成員だからだ。つまり国という共同体から離反できてない。
A国の国籍をもつ=A国の成員であり=A国の法で保護されること、罰せられる
ことから離反できない。そしてA国という共同体で他人を尊重しない悪意を持った
殺人犯が悪人として扱われることは避けられない。A国の成員なんだから。
交通事故の加害者は悪人でない。悪意がないからね。被害者にとって害である
事故については罰せられるけど。
確かに自然害は人間にとって「悪影響」だが、決して「道徳、倫理」という軸で語れる代物ではない。
そして「道徳、倫理」という文脈において、獣や虫を「悪」と言い切ったID:PPdO4HCg0はやはり俺はお話にならないと思う。
1、よくないこと。天災・病気などのような自然的悪、人倫に反する行為などのような道徳的悪の総称。正義・道徳・法律に反すること。仏教では五悪・十悪などを立てる。
2、みにくいこと。不快なこと。
3、おとること。
4、たけだけしく強いこと。
5、歌舞伎の敵役
何が言いたいのか伝わらなかったみたいだけれど、定義を曖昧にしたまま話し合ったところで、俺が思う悪の意味はこうじゃなかったっていうことになって話が進まないor平行線になるってことね
たぶんあなたの言っている悪と、あなたが語り合っている相手の言う悪は微妙にニュアンスが違うと思ったから
殺しても良いかダメか、それを決める者って誰なんだ?
社会か?社会は殺人を禁止してない。殺人者には厳罰としてるだけだ。
この問いは、万人共通の意思で決められるものじゃない。
決まってるなら、意見が分かれたりはしないからだ。
結局のところ、人に拠るんだ。
良いという人も居て、その理由もあって、
ダメという人も居て、その理由ももってる。
>>1がその設問を特定の誰かに対して問うた訳ではないのだから、
その答えは正に十人十色。回答者は皆正解だ。
1236を見てくれよー。
日本という共同体のもつ善悪基準からあなたが完全に離反できているとしよう。
あなたが日本人だとして話を進めるけど。とにかく、日本国籍をもってる以上
あなたは日本の成員だ。つまり日本という共同体からは離反できてない。
そしてあなたは他人の尊重は善という価値観を持っている。
そんなあなたが日本国内で、相手を尊重しない悪意とともに殺人という害悪を
犯したなら、いくらあなたの倫理観が日本のそれと離反してる!といっても、
あなたは同じ日本の成員から悪人呼ばわりされることを避けられないよ。
そして日本の法によって裁かれ、刑を終えてあなたは悪名を返上することになるんじゃないかな。
「価値観が違う者、そもそも『価値観』を持たない者」それに対して「善悪」で断罪することは愚かしく、危険だ。俺が言いたいことはそれだけで、そのことに対する反論に全くなってないからスルーしてるだけに過ぎない。
熊が人を傷つけるのが「善悪」つまり「道徳、倫理」的に悪だと?そう言うなら、もはや何も言うことはない。君の価値観なぞ何一つ理解できる自信が無い。
めんどくさくなったなぁ。もういいさ、他人を好き勝手悪人呼ばわりすればいい。そうやって他者を自分の価値観でもって独善的に断罪し続ければいいさ。俺はそんな道はごめんこうむる。それだけだ。
>社会か?社会は殺人を禁止してない。殺人者には厳罰としてるだけだ。
基本的人権に生存権、てのは当然あんじゃないの?
他人の生存権を認める、なんて文明社会成立の一番最初の部分じゃん
まあ本気なら日本人やめたら?
国籍離脱が認められてるかどうかは知らんがさ
だな。すまん、刑法しか意識してなかった。
「法で制定されてるから」も正解の一つになるな。
お礼を言い忘れてた。わざわざ転載してくれて、ありがとう。
そうだね、そもそもの定義や、受ける印象が違うんだろうね。
ただ、俺としては、ここで言う「悪」は、「善悪」つまり「道徳、倫理」としての「悪」で、「道徳、倫理」は人間だけが持ちうるものだと思ってるから、「動物が人を傷つけるのが悪」という文言に混乱、というか呆れるしかなかった。
たぶんID:PPdO4HCg0の言う「悪」は「道徳、倫理」という意味での悪では無いのだろう。単純に、自分や自分のコミュニティにとって都合の悪いモノを「悪」と呼んでるだけに過ぎないのかも知れない。
ただ、そうだとしたら、俺はその言葉の定義はかなり問題があると思うし、その定義に合わせてやる必要は無いわな。
>俺はその言葉の定義はかなり問題があると思う
岩波書店ホームページ
www.iwanami.co.jp/index.html
広辞苑の出版社だよ。
悪の説明が間違ってると教えてあげれば、何かくれるかもしんないよ?
害としての悪=害悪。道徳云々でないよ。利益損失の観点。害獣は悪意をもたない。つまり動物を悪だとは言ってない、その行為が人間にとって実害、悪だといってる。
そして意志としての悪=悪意。これは道徳の範囲だね。
倫理観がどうであれ、あなたは共同体に所属してる。その個々の成員から悪意を
持った殺人犯は道徳的に非難されることは避けられない。
俺の倫理観は特殊だから悪人呼ばわりするな、ってのはまぁ、面白いよ。
あなたは他人を尊重は善という立派な倫理観を持つ人間なのだから
道徳的に非難される立場にいるのにね。
・・・なぁーんも理解されないって哀しいね。まあ俺の言い方が悪いんだろうな。そう思うことにする。
とりあえず「日本人の一般的な価値観が問題」と言っているんじゃなくて、自分の価値観でもって他の価値観を断罪するという姿勢に文句言ってただけです。
まぁ俺は別にその姿勢を「悪」とは思いませんよ。
そりゃ狭量な世界で生きてりゃそういう考えを持つのも分からないでは無い。
ただ「価値観の押しつけ」を行うやっかいな人、敵である、と思うだけです。
そして、意図的な悪意とともに相手の幸福を侵害し、殺人を犯した人間。
この殺人者には悪意があり、それを実行して害悪をもたらしたのだから
倫理や道徳で語れる範囲だろう。なのに悪人呼ばわりするなとはね。
望んで共同体の倫理観から離反したのなら、その共同体から悪人呼ばわりされる
ことなど意に介さないものだろ。
あなたは行為者側の善悪にだけ目を向けている。たとえ虚栄心からでも、座席を
譲ったのなら、譲ってもらった人にとってそれは善だ。ここでは利益の意味でね。
同じように「社会通念で」「道徳で」「倫理的に」もあまり良くない
「〜でも良いなら良いよ」は論外だとして、なかなか難しい
他国や歴史を見る限り、究極的には「いけないということは無い」だけに
どうでも良いが、GDP=国内総生産だから国内GDPという表現は頭痛が痛い
>経済学的理由「一人死んで一人刑務所に入ると合計2人分の国内GDPが減るから。」
>そりゃ狭量な世界で生きてりゃそういう考えを持つのも分からないでは無い。
>ただ「価値観の押しつけ」を行うやっかいな人、敵である、と思うだけです。
話がすり替わってないか?
「その姿勢」は「敵」なのか?
あんたは「その姿勢を保つ"人"」を「敵」としている。
その点、PPdO4HCg0は一貫して、「行為や意思が悪」と言っている。
>害悪も悪の形の一つだろうに。
や、そりゃ一つの言葉が多用な意味を持つのはもちろんそうだが、「善悪」を語る文脈で「悪」を「害悪」と理解するのが普通なのかい?
多用な意味を持とうと、使用する時は普通は一つの意味に絞って使うモノで、文脈によって意味は固定されるモノだと思っていたが・・・
うーん、俺の常識がずれているのだろうか?納得がいかない。
>人間にとって実害、悪だといってる
ふむ、それは俺の誤読か君の誤用のいずれかだ。俺は君の誤用だと思うが、まあどっちでもいいや。
>悪意を持った殺人犯
それが「悪意」かどうかなんてのも結局は一つの価値感だよね。もっと言えば君から見たら「悪意」があるように見えるってだけでしょ。ま、別に悪人呼ばわりしたけりゃして良いんじゃない?
ただあんたの言い分は「日本国にいる以上、日本国の法律が定める善悪の基準に納得しなければならない」っていう一種の全体主義者に思えて仕方ない。
>俺の倫理観は特殊だから悪人呼ばわりするな
なんて悪質な曲解をするんだお前は。「他の価値観」の存在を認めろって言ってるだけだっての。他の価値観を持ってる奴に「お前は悪だからおとなしく罰を受けろ」って言うのがナンセンスなんだよ。
>なのに悪人呼ばわりするなとはね。
や、最終結論としてそう言うなら止めないけど、そんなに単純な話なのかい?
その少年を「悪人」と断じてホントにいいのか?少年のどこに落ち度があるの?
>その共同体から悪人呼ばわりされることなど意に介さないものだろ。
うん、だから、もう良いよ。相手の価値観など理解もしてやらず、好き放題悪人呼ばわりすればいい。どこまでも独善的になればいい。
>譲ってもらった人にとってそれは善だ。
そりゃそうでしょ。まあ相手の意図を理解しようとしないと言う意味では五十歩百歩だが。
どうでもいいが、「善悪」を語る文脈で「善」を「利益の意味」で使うのにやはりすごく違和感を覚える。
ん?じゃあ、殺人を是とする者がそれを犯したとして、
その行為を罪に問い、逮捕し裁判を経て刑期を定め、
服役させるのはナンセンスだったのか?
裁判で「さつじんはわるくない!」って言えば無罪放免か。
あんたが何人なのかは知らんが、日本ではそうはいかないんだよ?
悪意と言えるのは、それが被害者の快や幸福の不当な侵害行為につながるからだ。
価値判断の基準は批評できる。改善できる。
その判断の基準が現実の問題に適応可能で、より良い個人および社会の幸福を
生むか、または論理的客観性の程度などを議論、考慮して批評しあえる。
「人を好き勝手に殺してもよい、俺が人を殺すのが好きだから」という倫理基準が
あるなら、その存在は認めよう。その人がそう考えている事実は。
しかしそんな基準を是とするなら、その基準から生まれる行為を是とする事になる。
故に俺はこの基準を非難する。
矛盾点を指摘したり、あるいは参考にしたりすることもあるけれど。
実際にそんな基準に由来する行為が生じたなら、それを非難することになんの
問題があるだろう。
>>日本国の法律が定める善悪の基準に納得しなければならない
国で禁じられていても快の基準からみて安楽死は正しい。その人が死にたいと
望んでいるなら、彼を楽にすることは快を生み、殺さないことは不快を生むからだ。
俺の私益のための身勝手な判断ではなく、相手の快を考慮した客観的な判断だ。
俺がこういう判断基準を持っていると認めたうえで、誰かがこの判断基準を
批判することは何の問題もないだろう。
あなた自身の判断基準はどんなのかな。他人を尊重することを善だと認めた、あなたの基準は。
>話がすり替わってないか?
すり替えるもなにも、もう彼とは根本的なところの意見を争う気が無いもの。
結局「俺の所属する集団の多数派の価値観から見て悪と思う奴は悪と断じて良い」としか言わないんだから。何を言っても無駄。
俺の中では、彼が独善的で、俺がそう思っていることを表明できればもう十分。
>一貫して、「行為や意思が悪」と言っている。
俺も一貫して「君の言う善悪の判断は、所詮一つの価値観に過ぎず、別の価値観を持つ者を善だ悪だと言って良い理由にならない」という旨の事を言ってたんだけどね。
ま、もうこの辺は言葉の定義が違ったってことでおしまい。
個人的には彼の言う「善悪」は、「利害」とか「利益、不利益」とかいう言葉に置き換えた方がどう考えても適切だと思うけどね。
その少年の行為は被害者の快や幸福を侵害した。たとえ善意であってもね。
彼を快楽殺人者と同列に扱うことはできないけど、かれの倫理的規準に基づく行為は
他者の快を無視してる。そしてより多くの苦痛や不幸を生むことになる。
故にその基準は悪だ。
善とは奨励されるもの、その行為。人はより良い生や快、幸福を求める。
故により良い快を生む判断基準、行為の実践は善だ。その逆が悪。
そして善行を求める意志をもつことは、善行の実践を促進する。ゆえに善を肯定する
意志も重要だ。これが俺の考え。現実での行為の結果、実践を念頭においてる。
あなたは善悪をどんなものだと考えてるのかな。俺の前提に違和感を感じたのだろう。
俺と違う価値観をもってるから非難するんじゃないよ。その基準に基づく行為が
人をより苦しめる結果を生む時に、俺はその基準を非難し、実際にそれを
行為に移した彼の意志を非難する。
彼が基準をもっていることは認める。しかしその基準の是非はまた別の話だ。
そして別の基準でもそれがより良い快を生むなら、俺の問題点を気付かせて
くれるなら俺は多いに賛同する。
突き詰めていくと、「善悪という概念は存在しない」って事になりそうだな。
人間に限らず、ありとあらゆる全ての存在の共通意識がない限りは、
どのような行為も善悪で図れないって言いたいのか?
>服役させるのはナンセンスだったのか?
善悪を語るのがナンセンスだから刑罰を与えるのをやめろと、俺は一言でも言ったか?
そりゃ刑罰を与えないと共同体秩序に不利益なんだからバンバン与えたらいい。それを「善悪」で語ることがナンセンスだと言っているに過ぎない。
法律違反、つまり共同体秩序に対する攻撃をしたから罰則という名の報復攻撃を与えただけ、という側面から考えれば、単なる報復攻撃に善も悪も無い。そう考える人に対し「善悪」で断罪することに何の意味がある?
まあ、犯罪者の更生という形の「価値感の共有」を目指したいからこそ「善悪」で語るんだろうけど、それは全犯罪者に対して有効であるとはとても思わないな。
偉そうに「善悪」で語るなんてはずかしいと思う。単にたまたま自分の考えが多数派だった、あるいは多数派の考えに自分の考え方を合わせたってだけだ。
に聞こう。
「なぜ人を殺してはいけないの?」
違う。人がより良く生きる指針として共有可能なものを考え、改良していきたいと
考えている。絶対的、最善の指針でない。より良い基準へとすこしずつ。
・・・こうして見ると誤解が本当に多くあるんだなと実感するよ。すまんかったね
>人間に限らず、ありとあらゆる全ての存在の共通意識がない限りは、どのような行為も善悪で図れないって言いたいのか?
共有された価値観をベースに善悪を語るのはアリじゃない?
「人を傷つけるのは悪」だという一時代のある一つの価値観に過ぎないモノを「皆で共有されたもの」として語ることには違和感を覚えますが。
あ、念のため言っておくけど、別に「人を傷つけるのは悪」という価値観を共有してないワケじゃないからな。
ID:PPdO4HCg0 は自分の価値観を基準に考え過ぎてる。
価値観なんて人や地域、文化諸々で違ってくる。
まず俺の基準は、善とは奨励されるもの、その行為。人はより良い生や快や幸福を
求める。故により良い快を生む判断基準、行為の実践は善だ。その逆が悪。
そして快とは、その人が好んで選ぶ事柄。
これをもとに殺人の是非を考慮する。人を殺すと快と不快が生まれる。
殺人者の快(殺したい)の実現。これに対して被害者の快(生きたい、死にたく
ない)の非実現。死ぬ際の苦しみの発生さらに被害者遺族の快の非実現。
このケースにおける殺人を行う事はより多くの、より大きな不快をうむ。
したがってこの殺人は悪(奨励されない)だ。あと、安楽死や尊厳死を肯定する。
これが俺の立場の簡単な説明。質問、批判あればよろしく。
他人の命は貴方の所有物ではありません。
・・・って価値観を人に押し付けてる矛盾。
人それぞれと言うならば、自己の価値観で語ってこそだろ。
「人によって違うんだから、自分の価値観を語るな」って方がおかしい。
>しかしそんな基準を是とするなら、その基準から生まれる行為を是とする事になる。
「自分の価値観からして悪だ」と語ることは全く問題ないと思うが、単に「悪だ」と言うのは価値観の共有ができていない人間にとってはナンセンス以外の何者でもない。
>あなた自身の判断基準はどんなのかな。他人を尊重することを善だと認めた、あなたの基準は。
おそらく君とほとんど変わらないよ。君と俺は、公然と他者を悪と論ずるほど傲慢か、そうでないかぐらいしか違いがない。そして俺はその傲慢さに違和感を覚える。それだけ。
と思っただけ。
911テロもある人達にとっては善じゃないか?みたいに。
しかし、善悪についてはID:PPdO4HCg0の中では、明確な基準を設けてるみたいだから
俺の勘違いと言うか、読み違いだったな。
申し訳ない。
異文化の倫理規則の是非を実例から考えてみる。黒人差別はかつて白人によって
認められ、正しいとされていた。その根拠は白人至上主義に則った倫理基準だ。
つまり、白人は黒人より優れており、それゆえ白人の幸福は黒人の幸福よりも
重視されるというものだ。重視どころじゃなかったけどね。
ではこの基準は正しいだろうか。俺はそうは思わない。痴呆の白人、赤子よりも
健常な黒人の成人のほうがあらゆる面で能力が優れている。そして両人種の成人同士
の能力において、根本的な差はない。白人より優れた黒人も多くいる。
従って「白人は黒人より優れており」は誤りだ。そしてこの前提が崩れたいま
白人の幸福を贔屓する要素は無くなった。ゆえに黒人は差別してもよいという
倫理規則は間違っている。
発生などが批判材料としてある。黒人差別を正しいとするなら、差別を是とするに
足るだけの確固とした前提を持ってこなくてはならない。
>他者の快を無視してる。そしてより多くの苦痛や不幸を生むことになる。故にその基準は悪だ。
はい、そういう価値観の一つとして拝聴いたしました。
「他者を蹂躙しないと生き残れない」という世界では全く通用しない考えだと思いますがね。
現代世界も分かりづらくはなってるけど、多かれ少なかれ他者を蹴落とさなきゃ生き残れないという事実は変わらないわけで、より多くの苦痛や不幸を生むからと言って、それが悪だとは限らない。
いろんな価値観があり、それが違うだけで善悪なんてがらっと逆転する。
そんな状況で、価値の共有もできてない段階で、「コレは善だ!善だって言ったら善なんだ!」って主張されても、「それ別の価値観持つ人にとっては違うよね。」と一言で終わってしまう話なんだよ。
一方から見たら正義でも、他方からは悪。それはそうだろう。
しかし、それ故に、絶対的な考えでは善悪を区別できない。
善悪なんてのは相対的なものだ。
分ける必要があるのならば、どうしても主観的に語るしかない。
この場合の主観ってのは、自己のみならず、自分と考えを共にする共同体も含めてな。
価値観の語り方が問題だっての。合意の取れてない価値観を元に論を展開し、普遍的な結論であるかのごとく語られたから違和感を覚え、それを指摘してただけ。
腑に落ちます。
私にとっては、なので、批判する人の意見も尊重します。
>>安楽死や尊厳死を肯定する。
同意。肯定する人は今後増えると思う。
そんなことが言えるくらい裕福で健康で幸福なのかもしれません。
G5IBT59N0さんにも聞きたい。
「なぜ人を殺してはいけないの?」
多様な価値観を認めるならば、その価値観も認めるべきだとは思うがね。
つまり社会において人々がこの基準を共有すること問題ないと。さておき
あなたの言う世界では倫理そのものが尊重されないのだから、俺の基準だけでなく
あらゆる倫理基準が通用しないだろう。しかしそのことと俺の基準が誤りかどうかは
別だ。また、むやみに他人を蹴落とさないことはそんな世界でも可能だ。
もちろん、平和な社会での実践よりも実現率が下がるだろう。しかしそれは
その人が悪いのではなく、環境が悪いせいである。
>>それ別の価値観持つ人にとっては違うよね
その人にとっては違うとしても、自己の基準を説明して、相手の基準の問題点を
批判しあうことで理解は深まる。俺も熱くなってたから文脈や理解に問題はあった
ことはすまんと思ってる。けど、倫理基準の議論は否定されない。これは譲れない。
少なくとも価値観の共有ができていない時点で公然と使用する評価軸じゃないと思います。
んで、少年の話ですが、少なくとも、少年は悪ではない。少年のしたことが悪だとしても、その責は少年に無い。故に少年を悪人呼ばわりするのは間違いだと考えます。いわゆる「責任能力の有無」ってやつですな。
ただし、少なくとも少年の思想、行動は「敵」ではあるので、かわいそうだけど社会から排除するしかない。それができなきゃ少年に全滅されるだけ。
善悪で考えるとこういう「責任は無いんだけど社会にとって害悪」という存在を排除できない。故にこういうことを「善悪」で捉えるのは間違いで、「敵味方」で考えるしかない。
・・・と私は考えます。
まあ貴方は責任能力があろうと無かろうと少年の行動は悪で、少年は悪人だと言う価値観ですから理解できないかも知れませんが、まあそれも一つの意見でございます。
貴方の理論だと戦争の敵兵はもれなく悪ってことになったり、敵兵にとって貴方が悪になったりと、普遍性を欠くことこの上ない理論だと思いますが、その価値観を標榜することに異論はありません。
その価値観の共有頑張ってください。応援はしません。
一概にはいけないとは言えない。と言うのが回答です。
社会や当人にとってのメリット、デメリット、環境、状況などによって総合的に判断されるべきものだと思います。
戦国時代なら殺さないことはむしろ国や家族にとっての悪ですらあったのです。
ていうかぶっちゃけこの社会で生活する以上、間接的には人を殺してるだろうし、今更「俺は他人を殺さない清廉潔白な男だ」と主張するような恥さらしなことはいたしません。
人は皆生存や、豊かな暮らしのため、大なり小なり、直接的にせよ間接的にせよ人は殺してるんです。それをまず受け入れるべきです。
>>善悪で考えるとこういう
その善悪ってなにかな。別に少年は悪意を持ってないけど、持ってる場合より
責任は少ないというだけだ。社会への実害をたとえ善意であっても意図的に
引き起こしたなら、そのことで罰せられるべきだ。
悪人呼ばわりはできない。しかし、それと彼を罰するかどうかは別だろう。
彼の行為は法に反した上に殺人等の不幸を生んだのだから。
そして彼を捕えたり罰しないことは社会へより多くの不幸をうみだす。
ゆえに彼を捉えることは善(奨励される)だ。
敵兵は悪でもなんでもないよ。こちら側もね。でもたしかに戦争という特殊な
状況、単なる個人の行動の結果だけではなく国民全体の幸福に関わる状況において、
個人の行動基準としての倫理基準をあてはめることは困難だ。
ただ、繰り返すが敵兵も味方も悪ではない。俺の主張が押しつけがましく
なっていたことは認める。しかし俺はこの敵兵を悪だとはみなす立場にない。
彼には悪意はないし、彼が殺されることは国の敗北すなわち国民の不幸への寄与と
なる。ゆえに彼が戦う事はやむを得ず奨励される。
>多様な価値観を認めるならば、その価値観も認めるべきだとは思うがね。
ええ、ですから、最終的には「お好きにすれば」と言ったのです。
>つまり社会において人々がこの基準を共有すること問題ないと。
まあ君の中ではそうなんでしょ。
>倫理基準の議論は否定されない。これは譲れない。
ええ、どんどん議論して、大多数と共有できる価値観を見つけてください。別に
良いと思いますよ、賛同者を増やすのは。
しかし、どんなに大多数が共有してもそれを共有できない人は存在して、その人が自身の考えを元にとった行動を「悪」と断罪するのは、貴方の価値観からしたら「善」でも、そうでない人間からしたら「悪」となり得る事をご承知ください。
どんなに大多数が共有しようと「普遍的な物言いで『善悪』を語るのは間違いである」というのが私の結論です。これは譲れません。
他のツールも使え。
>別に少年は悪意を持ってないけど、持ってる場合より責任は少ないというだけだ。
見解の相違ですね。この事に対し、少年に責任を求めるのは無理がある。少年の「落ち度」は何ですか?
まあ貴方の価値観で断罪するのはかまいませんがね。
>>1300
なんだ、まともな感性を持ってるじゃないですか。
その感性を持っててなぜ「他者の利益を損害するのが悪」などという単純極まりない価値観を元に論を展開したのかが心底謎です。
これが答えだな。
>>まあ君の中ではそうなんでしょ
俺がそういう基準をとってることを認めてるのは分る。では俺の基準は
あなたからみてどうなのか。どの程度まで正しく、どの点で誤りなのか。
>>「普遍的な物言いで『善悪』を語るのは間違いである」
論理の客観性という観点から、この論理を普遍的規則としてあてはめた場合に
矛盾や問題が生じないかをテストすることは大事なんだ。気に障ったなら謝る。
そして俺の主張への賛同者を増やしたいわけではない。倫理について考えることで
より良い観点をお互い養う事の意義を重視してる。
俺の主張が普遍的に正しいという事ではない。あくまで点検作業としての普遍化なんだ。
一方的な物言いだったのは謝るよ。その上で聞きたいんだけど快楽殺人者にとっての
快は殺人で、すなわち殺人は快を生むから善だ。彼の基準ではね。
彼がこういう基準を取っていることは認める。その事実は。
ではその基準に基づいて老若男女問わず殺しまくる行為を悪(奨励されない)と
いうことは間違いだろうか。以前の米での悪には絶対的悪という様なニュアンスを
含んでいたから、こうして訂正してみたんだけれど。そしてこのような行為を
もたらす基準および彼という人間の意志を悪(奨励されない)ということは
否定されるのだろうか。
実際に人を殺したことだ。彼は何らかの形で隔離、保護されなければならない。
でないとより多くの死という不幸、不快をうみだすから。彼を野放しのままに
するのは悪(奨励されない)だ。俺は少年をあなたが意図しているよりずっと
年上に想定していたのかもしれない。これが相違のわけかな。
>>他者の利益を損害するのが悪
ここでの悪は奨励されないものとしての悪だ。定義を書いたから共有していると
思ったんだけど、違ったみたいだね。そして基準は単純性も重視されるから
なるべく簡潔な形にすることを心がけてる。
そもそもの言葉の定義が不適当だと考えます。
善悪という表現を用いる場合、「道徳、倫理」的な良し悪しで語られるのが一般的だと思います。
そして、貴方の言う善悪は、奨励されるかされないか、快を生むか否か、つまり「利益になるか否か」ってことです。
それは、およそ「道徳、倫理」から逸脱した意味で、明らかに誤解を生む定義だと考えます。
・・・っとここまで考えてなんとなく分かったのですが、単純に私は「悪」という言葉を使うな、と言いたいだけなのかも知れませんね。
誰かの価値観を一方的に悪と断罪できるほど、貴方の価値観は立派ですばらしいものなのですか?そんな不寛容な価値観ってそもそも立派なんですか?と、ケチをつけてる、と言い換えてもいいかもしれません。
それほど「悪」というのは相手の全人格を否定する強烈な単語だと認識していますので。
殺していいだと社会が成立しないと考えてはどうかな?
殺人にデメリットの無い社会、文化、組織はいずれ消滅する
可能性が高いので、殺してはいけないというルールをもった
集団のみが残り、それがこの社会や文化なんじゃない?
その道徳、倫理的な意味てなんだろうね。倫理とは
倫「ルールを共有してる集団、人間」の理「ことわり、そのルール」だ。
つまり俺の善悪の定義は倫理の範囲内にある。倫理とは人が定める規則、
人のルールだ。そうすると、俺が自己の幸福や利益のみを追求する倫理基準で
人の行為を批判するならおかしい。けど俺の倫理基準はそんなものではない。
俺自身も俺の基準での善悪の対象であるからだ。神の名のもとに「魔女」を断罪した
ような人間から乖離した絶対的倫理基準ではない。
人々はそれぞれ倫理基準を持つ。しかし人は無謬ではない。そしてそれゆえに
倫理基準や規則などについて語り合い、議論し、それを改めていくことが出来る。
あなたは絶対的な普遍性をもつ善悪という概念は無いという立場だろうから
ある人がある人の行為、基準を一つの倫理的立場から非難することに抵抗があるのだ
と思う。しかしどう生きるのが良いか、どういう行為が正しいのかなどを問う倫理学
について語るなら意見の相違は避けられない。そして倫理とは人間の行為は
人間の社会、共同体の中で生じるものだ。それらを配慮しない行為を生む倫理観は
周りに対して無責任で奨励されない。だから俺は批判する。人格の否定ではないよ。
そしてその際に反論を受け入れ、それを吟味する姿勢を俺は持つべき事は当然だね。
俺の悪という定義は行為の結果に関する判断基準。全人格を否定するものでないよ。
少年の意志と行為に俺は異なる判断を与えたけど、それは少年という人格を否定する
ものではない。彼の周りの人の幸福にとって彼の行為が悪(奨励されない)であると
批判している。そしてこの行為者が自己の快楽のみを求めて行為する人間である場合
この人の行為、その基準こそ独りよがりだと思う。
あなたの認識は分ったけど、「悪」という絶対的な概念を後ろ盾に
少年の存在を断罪してはいない。人間が生きる上での悪(奨励されないこと)
として、少年の行為とその動機あるいは意志を批判しているんだ。
あなたのはどちらかというとメタ倫理かな。この類の違いも意見の共有をあれほど
困難にした原因かもね。短なり意見の相違でも、どちらかが間違ってるというもの
でもなかったんだ。もっと早く気づいていれば、あなたの善悪および倫理の定義を
問うてそれを議論することもできたのになぁ。残念ながら、時間がもう取れそうにないんだ。
長い間つきあってくれてありがとう。それじゃあねノシ
人を殺しても懲役刑ですむよ。安楽死が法で認められてる国なら
安楽死という殺人は罰せられもしない。
完全に自暴自棄なったヤツには意味なし。
「人」として認定される条件は何。


