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  • 編集元:三国志・戦国板より「劉備は別に孔明を仲間にしなくても良かった。

    1 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 21:16:33
    劉備がまるで孔明がいなきゃなにも出来ない人みたいな
    評価を覆すべく立ててみた。

    2 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 21:18:22
    >>1
    じゃあわざわざ三度も奴を誘いに言ったのはなぜだ?

    4 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 21:19:16
    >>2
    そういう事ではなく。劉備だけでもやっていけるぜ。
    って感じのスレ。

    7 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 21:26:20
    >>4
    劉備が孔明を欲しがったのは、
    能力もそうだけど声望によるところが大きい
    名士を抱えるのと抱えないのじゃ世間の見方は大きく変わるからな。

    11 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 21:33:10
    >>7
    当時の孔明ってそんな名声高くなかったろ??
    知る人ぞ知るって感じじゃ?

  • 3 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 21:18:25
    やっぱここは簡単に立てれるな。

    まずさ思うに序盤に領土を簡単になくしてるから
    劉備の評価が低いけど。むしろ領土もなく
    あそこまで生き残れた事を評価したい。

    5 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 21:20:01
    張飛関羽もなし?

    6 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 21:25:27
    そこあたりはまあいろいろ。さすがに始まりから居る
    チョウヒカンウを切って話し進めるのは無理あるから。
    劉備の将軍としての才能。軍師的側面などを
    語る。

    前半も曹操がライバル視するぐらいだからそれほど
    無能なんてありえないと思うんだけどあれって演義の創作だっけ?

    8 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 21:27:57
    演義でも別に無能じゃない。むしろ序盤は戦結構強い。
    ちょっと人徳者すぎて優柔不断なだけで、判断力が無いわけじゃない。
    夷陵で負けたのがインパクト有るだけ。

    9 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 21:30:54
    初期は参謀いなかったら敗走しまくってたんじゃないかw

    10 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 21:31:22
    いや演義だとかなり凄いことにされてるじゃん。
    横山三国志とか見ると凄いのになぜか
    領土とれないのが不思議なぐらいなんだが。
    正史だとどうなってるか解からないが。

    イマイチ評価があやふやだと思う。リョフや曹操にすぐ領土を
    取られたのがマイナスなのかな?

    12 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 21:52:51
    演義劉備がまともに負けるのって
    ・徐州で曹操に反旗を翻したとき 曹操に張飛の策を逆手に取られて敗北
    ・汝南で曹操を迎え撃ったとき 兵站を絶たれ、汝南の城も襲われ完敗
    ・ホウ統死後のラク城攻め 窮地に絶たされるも荊州からの援軍に救われる
    ・言わずと知れた夷陵

    これくらいじゃないか?あとはそもそも不利な戦力だから負けたって程度で、劉備の能力のせいじゃない。
    別に格別無能って描かれてないよ。

    27 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/07(日) 02:48:01
    >>12
    でもライバルの曹操は不利な条件でも勝ってたのに劉備だけ擁護されるのはなんかへんなカンジ

    14 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 22:37:14
    劉備は軍事的な才能は高いってどっかの本で読んだ気がする
    理由としては戦ってる数半端ないからそれだけ経験があるということ
    また諸侯がなぜ劉備を客将として誘ったかというとやっぱり軍事的才能があると見られたから
    毎回客将で前線ついてるしね
    まぁ夷陵は年だからでおk

    15 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/05(金) 23:44:03
    劉備負けっぱなしのイメージは、
    196年の徐州喪失から201年に荊州に流れるまでの五年間、流浪しながらの連戦連敗にあるだろう。
    七回は負けたかな。確固とした根拠地の重要性がよくわかる話だが、その前後というと、

    何の官にも就いてなかった人間が、(他人の)私費で義勇軍掻き集めて丸十年で暫定徐州牧。
    曹操の大軍に追われて自前の武力も殆ど持たず、風前の灯かと思われた将軍が、十二年で漢中王。

    年齢で比べると曹操より上昇速度は早い。
    そしてその領土拡張の全てで、劉備は前線に立ち続けた。
    勝とうが負けようが、劉備は部下に主力軍を任せて後方を固めるなんてことをしたことが一度もない。
    (例外は太史慈に兵三千を貸して青州を救ったときだけか)

    後漢末動乱期屈指の怪物だよ。
    で、第二の上昇期の立役者が諸葛亮というわけ。

    17 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/06(土) 13:58:56
    三顧の礼は、大げさに書かれてるが
    基本的に全員そうだろ。

    19 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/06(土) 20:18:11
    三顧の礼は多分孔明が実権握った時に
    作られたんじゃないかな?自分はこれだけ劉備に
    慕われてたんですよ。って言って自分の価値を高めただけなきがする。;

    20 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/06(土) 20:22:37
    三顧を宣伝した人間がいたのなら劉備だろうね。
    若い諸葛亮に大任を与えるために、自分の権威を利用して箔付けしたわけだ。

    24 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/06(土) 23:34:50
    演義で語られる三顧の礼の詳細な様子は脚色だが、原型は三国志本文にあるよ。
    徐庶に連れて来てくれと言ったが、それで来るような奴ではありませんと言われたので、
    三度訪問してやっと逢えたとある。
    本伝の記述に従えば、二度不在でも尚三度逢いに行ったという「三顧の礼」は史書に忠実ということになる。
    別の説も魏略にあるが。

    35 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/14(日) 04:12:45
    劉備はよくわからんなあ
    黄巾討伐の頃は強かったらしいが、徐州や汝南で呂布や曹操相手に戦ってた頃は負けっ放しだろ
    かと言って劉表死後は赤壁の戦い→南四郡平定→ショク侵攻→漢中平定と鬼のような強さだしな

    以前読んだ本では生涯勝率は二割弱とか書いてあったが、もしかしたら軍事能力は高かったのかも知れん
    領土拡張期がちょうど孔明仕官後と重なるから、世間的には劉備の功績も全て孔明の手柄って事になってるのかもな

    65 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/15(月) 19:28:48
    >>35
    俺も生涯勝率は二割弱という本を読んだ事があるが多分嘘だろう
    少なめに見積もっても勝率5割を超えてると思う
    対呂布は、呂布に徐州を騙し取られて、戦力が激減したのが痛かったと思う

    簡易劉備生涯戦績
    VS黄巾 勝ち         VS賊  勝ち
    VS賊  負け         VS袁紹 勝ち(先主伝ではたびたび戦功を立てた)
    VS曹操・袁紹 負け(武帝紀) VS曹操 負け
    VS袁術・呂布 負け      VS呂布 負け
    VS楊奉・韓暹 勝ち      VS呂布 負け
    VS車冑 勝ち         VS劉岱・王忠 勝ち
    VS曹操 負け         VS汝南曹操軍 勝ち
    VS曹仁 負け         VS蔡陽 勝ち
    VS夏侯惇・于禁 勝ち     VS曹操(長坂) 負け
    VS荊州曹操軍 勝ち      VS劉璋 勝ち
    VS夏侯淵 勝ち        VS曹操 勝ち
    VS陸遜 負け

    67 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/15(月) 20:00:17
    >>65
    そもそも勝率とか言い出してどうすんだ
    ほとんど無意味だと思うんだが

    36 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/14(日) 08:41:46
    曹操= 戦略、戦術、政治全て一流
    又それぞれ国家を運営(構想・実現)する専門家を多数配置

    劉備= 戦術は一流半位?他の二つは曹操と比較しちゃうと三流以下。
    理想>現実の夢想家。
    物事を部下に丸投げする、できる事のみ政治家としては一流か?

    諸葛孔明= 政治、戦略(国力分)は一流。戦術は三流

    新国家を創る上、敵対する国家・勢力がある為、劉備と諸葛亮は互いに補完しなければならなかった。
    一勢力なら互いに不要かつ邪魔な人間。


    戦略=情報は現代も不偏。かの時代は知識人のみが情報を占有、交換していた。
    劉備はそもそも知識人ではない為、戦略も無ければ国家を創り政をする意識すら無かった(行う気もない)。
    故に勝率が悪かった。

    戦略=情報源の知識人である諸葛亮が劉備の求めに応じていなければ三国志にはならなかったし戦乱も早く治まっていたかも。

    蛇足かもですが、諸葛亮が曹操とは異なる政をする為に、劉備の声望が必要だった(粗暴なヤクザが大学教授の指示通りに動くと思います?)。

    38 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/14(日) 13:37:10
    実際孔明が有名になったのは無視してた蜀が北伐で攻めてきた為
    能力まで美化されたのは死後

    41 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/14(日) 15:44:39
    孔明の人脈が欲しかっただけなんじゃね?
    そもそも劉備が死ぬまでは孔明ってそんなに重要な役職もらってないよな。

    49 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/14(日) 21:44:10
    実際ドレくらい頭のよさだったんだろう?劉備
    蒼天航路の漫画だと魅力だけでわたって来たみたいに
    描かれてたけど
    正史だと結構馬とかで遊ぶのが好きで
    コウソンサンだっけ?と同じ塾行っててもあんまマジメにやってなかったらしいし。

    51 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/14(日) 21:55:56
    >>49
    そうそう
    遊んでばかりでだったけど人がよく集まったとある
    あと商人の護衛もやっていたとある

    52 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/14(日) 21:58:46
    演義だとお茶買うのにも苦労してた親孝行息子なのにね。
    正史だと塾行かせてもらってまともに授業受けないという
    性格なんだよな。

    53 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/14(日) 22:07:20
    >>52
    勉強よりも人脈を優先したんじゃないか?
    好意的に考えたら

    56 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/14(日) 22:43:16
    けどカンウとチョウヒがいるからあんま劉備って強いのか
    解からんな。正史だと三人でリョフと戦ったんだっけ?

    勉強してないなら政治とかもできなそうだけど
    最初に職に就いたときはリッパにやってるんだよね?
    賄賂あげなかっただけで

    戦闘では
    個人的な武力 はカンウがいたから必要なかったけど
    将軍としての能力はどうなもんだったんだろう?
    軍師もつけないで頑張ってたみたいだけど。

    57 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/14(日) 22:53:22
    >>56
    >正史だと三人でリョフと戦ったんだっけ?
    正史では確か他の場所で黄巾軍の残党と戦っていたはず
    その功績によって公職についたはずだよ

    >将軍としての能力はどうなもんだったんだろう?
    曹操に劣るけど敵には回したくないって思うほどの軍才があったようです。

    58 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/14(日) 23:22:56
    >>56
    それ全部演義の話ナ
    演義では黄巾討伐で武勇を見せてるよ
    koeiの武力70台は結構当たってると思うな

    59 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/14(日) 23:44:06
    コウキン退治のときにトウタク助けたのは
    演義だけだっけ?

    60 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/14(日) 23:46:51
    >>59
    正史に書いてなかったと思うけど

    61 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/15(月) 00:15:50
    大して頭良くないのに上にも下にも好かれてのし上がったってことは、「こいつ頭いいぞ」って思わせるのは上手かったんじゃないかなと。

    63 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/15(月) 00:30:38
    >>61
    実際荊州でも苑付近制圧したんじゃなかったか?

    69 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/15(月) 20:52:11
    >>61
    孔融は曹操も一目置く秀才だったけど青州の支配は上手くいかなかったな。
    頭の良さと政治家としての能力は必ずしも一致しないんだろうな。
    先主伝注の魏書に劉備は治安維持と経済政策の両方に優れていたと書かれてるから
    政治家としての才能はあったんだろう。

    64 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/15(月) 18:53:35
    リョフあたりの所は散々だよね。そこまでリョフは強かったんだろうか?
    リョフ倒す策が思いつかなかったのか>?

    68 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/15(月) 20:10:50
    てか、劉備陣営って劉備の指揮下以外で勢力拡張したことが殆ど無いからな。
    入蜀時の諸県平定くらいか。
    宿将の関羽にさえ荊州刺史の任を与えず、督荊州と典荊州事(潘濬)とで分権していた。

    良くも悪くもワントップだね。

    73 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/15(月) 22:48:58
    清濁併せ呑むのは孫権だな。
    北に部下に言うことを聞いてもらえない都督がいると聞けば行って傷の数を数えてやり、
    西に喧嘩している一族と子飼武官がいると聞けば懇切に手紙を書いて仲直りさせてやる。
    最も上手く行ったのが呂蒙の抜擢だろう。

    曹操は好悪が激しく、一度裏切った旧友をつい赦してしまう一方で
    心情的に赦せない者を罪に落としたという激情家の面と、
    外では一族や古参武官を上手く使いながら内では名士儒者を辟召して政府基盤を固める
    という怜悧な政治家の面が同居している。扱いが難しい天才型だろう。

    108 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/17(水) 20:11:51
    >>73
    曹操はあくまで『漢王朝』の運営担当だから、組織内部での反対勢力を常に身近に抱えていたから。
    皇帝を推戴しても、いい事ばかりじゃなかったんだよなぁ。

    ・・・派閥の領袖を気取っていたほかの勢力とは、ちょっと事情が違う。

    74 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/15(月) 22:53:22
    孔明の役割は劉備が前線に出ているときに
    本拠地を守るって感じですね

    109 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/17(水) 20:16:14
    >>74
    『ショウカ』タイプだよね。
    法制、行政・・・国家戦略

    でもたまに思う。
    『天下三分』が定着した場合、統一は絶望的に難しくなるんじゃね?って。

    漢王朝の再興って、劉性の者を王にすることが最終目標で、三国統一は考えて無いんじゃね?って。

    75 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/16(火) 14:18:20
    劉備は蜀のみんなと仲いいイメージ

    76 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/16(火) 14:57:44
    魏延とよくない

    78 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/16(火) 16:15:56
    >>76
    魏延を抜擢したのは劉備だぞ

    79 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/16(火) 17:40:29
    >>76
    魏延を嫌いだったのは孔明

    81 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/16(火) 20:54:08
    孔明の人の見る目の無さは異常だよね。

    劉備は人を見る目があった。

    91 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/16(火) 21:57:11
    >>81結果的にはそうだが、バショクには期待していたんだ。

    82 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/16(火) 20:57:11
    孔明の場合は人格重視だからな
    劉備は人格にはあまり重きを置かなかったと思う

    133 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/21(日) 03:27:25
    劉備が孔明と会わない三国志

    赤壁までは史実通り
    孫権は周ユの献策に従って荊州→益州と攻め込む。劉備はその過程で孫権に取り込まれる
    曹操も名声回復に史実通り西へ

    ちょっと早い南北朝時代到来

    135 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/21(日) 10:47:36
    >>133
    劉備が孫権に取り込まれる程度の奴だったら
    その前に曹操の配下になってるでしょ

    孫権の客将になれば基本的にホウトウは劉備につくだろうから
    独立ぐらいできる。

    137 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/21(日) 15:01:36
    >>135
    言いたい事は135が言ってくれたけど

    仮にそんな状況で独立しようとか考えてたら曹操南下で統一魏王朝だったかもね
    下手に南北朝で南が呉一国になったから守るところ多いし内紛は許されない。

    139 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/22(月) 00:36:24
    >>135
    曹操に取り込まれてないっつっても実態は反乱に失敗して散り散りになって逃げただけだぜ?
    孫権の所にいたら辺境に移されるか軍隊取り上げられて飼殺されるに決まってる
    劉備閥の人間だけじゃ孫権には対抗できない
    親劉備派の魯粛だってそういう対立関係になれば孫権につくだろう

    145 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/22(月) 21:10:48
    孫権は多分、側近のチョウショウとかが優秀だったんだろう。
    晩年は暴君じゃん。

    156 無名武将@お腹せっぷく :2008/12/24(水) 03:44:18
    >>145
    あれは暴政ではない。戦略的な弾圧

    もともと孫策が陸一族弾圧したから周辺の名士と仲悪かったんだよ
    でも大名士の周ユがまとめたからなんとかなってたしその死後は張ショウとか陸ソンを重用してまとめてた。
    しかし名士の重用は君主権の縮小になるから、孫権は名士を弾圧して君主権を強くしようとした
    これが後継者争いを巡った家臣の粛清(ex陸ソン)
    結果としては自ら弱体化しただけだけどね

    ちなみに蜀は諸葛亮という名士に全てを任せてこういうゴタゴタはなかった(こういう意味では劉禅は良君)
    魏は司馬一族という名士がジワジワ権力を握って晋を建てた

    名士を勉強するとよく分かるよ













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    1001  おぉぉおしま!!  :2009年01月01日 18:12  ID:M6kBejBiO
    はじめてしった
    1002  :2009年01月01日 18:21  ID:oK73z6eyO
    私だ
    1003  学名ナナシ  :2009年01月01日 18:27  ID:Y5EUBpYc0
    このコメ欄は伸びる

    しかし歴史なんて、確たる証拠があっても
    また違う見解が出てきて色々変わるから嫌いだ。
    1004  学名ナナシ  :2009年01月01日 18:37  ID:X.F9hDEe0
    取りあえず、史実を知らない人は図解雑学三国志おすすめ。
    名士のありがたみが分かる。
    1005  学名ナナシ  :2009年01月01日 18:38  ID:f4YeLaHA0
    それが歴史の面白さなんじゃないかな。
    1006  学名ナナシ  :2009年01月01日 18:47  ID:0XJ9I2FS0
    その土地の豪族に悩まされるのは、日本の戦国時代も同じだな
    1007  学名ナナシ  :2009年01月01日 18:50  ID:NwhBCNPb0
    孔明から天下三分の計を教えてもらわないままで、最初の目標通りに
    天下統一を目指して戦ってたら自分の国を得ることすらできなかったんじゃないかと思う。
    1008  学名ナナシ  :2009年01月01日 18:51  ID:lJtQjfRC0
    久々に三戦板の名無しを見た気がする。
    4年ぶりくらいだろうか?

    この板は過疎板だけど全板人気トーナメントで
    他の板と同盟組んで(まさに三国・戦国時代)投票してもらう戦略で
    いつもベスト8以上に食い込んでくるんだよなw
    1009  学名ナナシ  :2009年01月01日 18:52  ID:tHGlYO2m0
    孔明<<<仲達
    1010  学名ナナシ  :2009年01月01日 18:53  ID:Mt.xJ.Qe0
    演技書いた人って元蜀の人なんでしょ?
    1011  学名ナナシ  :2009年01月01日 18:53  ID:YDVREEpI0
    孔明は戦が滅茶苦茶上手い
    自分の権力固めのためだろうけど人材運用に問題ありすぎ
    1012  学名ナナシ  :2009年01月01日 18:57  ID:l0cziFDu0
    酒見賢一の泣き虫弱虫諸葛孔明オススメ
    1013  学名ナナシ  :2009年01月01日 19:00  ID:X.F9hDEe0
    言いたいことは156が言ってくれたから良いとして、ちと趣旨が変わったか?
    1014  学名ナナシ  :2009年01月01日 19:05  ID:.lR59e8j0
    ※1010
    演義できたのは明代だぞ。
    正史を書いた陳寿は確かに蜀出身だが。
    1015  学名ナナシ  :2009年01月01日 19:17  ID:L.VUGe0K0
    それ以前に蜀には人がいなかった
    蜀は地理的に人材登用には向かないし
    関興・張包はいい武将だけど
    父と比べると、どちらもかなり見劣りする
    結果、武は嫌いな魏延頼み
    姜維の北伐は蜀を残さんと思えばこその行動
    結果失敗し、蜀は魏に負けることになったが
    一武将としては忠誠心の表れ
    後に、姜維は魏に反乱を起こしている。その位の蜀思い
    孔明がいなくて、ホウトウが生き残っていればまた変わっていただろうけど
    1016  学名ナナシ  :2009年01月01日 19:20  ID:rwvIfg.c0
    天下三分の計は当時、荊州の名士の間では普通に流布してた説だったから、
    別に孔明が言わなくても劉備は知っていたはず。
    赤壁は孫権が最初から戦うつもりで、実際の戦は周郎率いる呉の水軍がやったし。
    そうなると、後は劉備の出る幕まったくなくなりそうだなぁ・・・
    孔明はそれなりにいた方が良かった、って事か?兄を通じて呉との交渉が出来てたし。
    1017  学名ナナシ  :2009年01月01日 19:25  ID:qbjI5qNX0
    米1010
    それって陳寿のことか?陳寿は蜀出身、演義じゃなくて三国志の編者な
    ちなみに陳寿は父親を諸葛亮に処罰されてる
    1018  ()  :2009年01月01日 19:34  ID:CQBjGRxuO
    三国史オタクに「どうせ三国とも駄目じゃん」って言ったらぶたれた
    1019  学名ナナシ  :2009年01月01日 19:35  ID:T4C7wbRL0
    書に残ってるとはいえ、
    日本史でも真実かどうか疑わしい記述なんてうようよあるし
    ましてや広い中国全土、全て把握して真実に書いてあるか疑問も残るし
    数千年前のことなんで確かめようも無いので
    結局、演戯じゃなく正史で語っても・・・
    1020  学名ナナシ  :2009年01月01日 19:47  ID:7hJXCf7z0
    熱く真面目に語るの好きだぜ
    1021  学名ナナシ  :2009年01月01日 20:00  ID:bDMLEeW30
    歴史上の人物の評価は、視点によってコロコロ変わるから難しい
    よな。。。
    でも、劉備の息子が実は優秀だったって話は聞いたことが無いん
    だけれど、その手の話ってあるの?
    1022  S  :2009年01月01日 20:05  ID:502eKxTcO
    ついに三戦に手を出したか
    1023  学名ナナシ  :2009年01月01日 20:12  ID:NPiGPUgFO
    孔明って軍師としては大したことないんでしょ?
    演義じゃなくて正史の方で。
    1024  学名ナナシ  :2009年01月01日 20:18  ID:Zf1m1a0h0
    三国志演義は羅漢中の作で、三国志演義の諸葛孔明は様々な奇跡を起こしたことを差し引いても実像の諸葛孔明とは全くの別人で、喩えれば徳川吉宗と暴れん坊将軍の違いみたいなもん。
    まずは孔明が名を売ったのは今のマスゴミと同じで、散々に誇大広告をやっていたから。三顧の礼の実情は、劉備じゃなく孔明が3度の就職活動をしただけ。
    あと三国志で忘れてはいけないことは、正統論の話。
    三国時代を統一したのは魏から禅譲された西晋だから、西晋は魏を正統王朝と見なし、西晋が逃れて成立した東晋は亡命王朝ということで蜀を正統王朝と見なしたというように、後世の王朝の特徴によってどの国が正統だったかという評価がころころと変わっている。
    その中で劉備の評価は落ち、それを補う形で諸葛孔明が化け物と化した。その結果が明時代にできた三国志演義。

    米1021
    劉備の子供はウツケを装っていただけだという話なら結構ある。
    1025  学名ナナシ  :2009年01月01日 20:18  ID:p2.3X1pz0
    みんな詳しいな、面白いがついて行けん
    1026  学名ナナシ  :2009年01月01日 20:47  ID:Zf1m1a0h0
    中国史では、馬謖の無能ぶりは戦国時代の趙括と並び称されている。馬謖の先祖が趙括だという説もあるみたいだが。
    趙括の父親は名将として知られた趙奢だが、趙括は父の名声だけで将軍になり、趙の軍勢40万を犬死させてしまう大敗をした。趙括は兵法に通じていて父の趙奢を散々に言い負かしたが、趙奢は生前に趙括は将軍の器でないと言い、趙括を将軍に任命しようとした趙王に対して趙括の母もそれに反対をしたという逸話が史記にある。そして戦国期は、将軍が失敗をした時には推薦者も処刑されることが当たり前だった。
    翻って、馬謖は無能将軍でその器にないのに、諸葛亮が強引な推薦をして将軍にしたことになっている。そして案の定失敗をやらかした。
    「泣いて馬謖を斬る」というのが半分美談として伝わっているが、これが事実ならば何のことはない、その実は諸葛亮が馬謖に大敗の全責任をなすりつけて自らは責任逃れをしただけの話になってしまう。

    結論、諸葛亮は変に過大評価されている。内政面で優秀だったことは評価できるが、軍事面ではまったくの無能と言ってもいい。
    様々な戦いで奇跡をやらかしたというのは、ほぼ全て、演義作者の演出。
    こうした過大評価は、内政の名実務家であった実像の諸葛亮に対しても失礼だと思う。
    1027  学名ナナシ  :2009年01月01日 21:03  ID:Zf1m1a0h0
    三国志演義では例の3兄弟+趙雲、姜維ら蜀系の将軍が大きく取り上げられているけれど、実はそのレベルの猛将名将は魏には吐いて捨てるほどいて、曹操が目立ちすぎたのと三国志演義が蜀を主人公に仕立てようとしたことの2つからほとんど扱われていない、あるいは低く扱われている、というようなことを、前に中国史作家の陳舜臣が何かで書いていたような。
    1028  学名ナナシ  :2009年01月01日 21:09  ID:rwvIfg.c0
    三国志では孔明が一番好きだけに、過大評価というか演義のような神様扱いのものがすごく嫌だ。
    軍事面で才がなくとも、内政外交での才だけで十分だと思うよ。
    再三行って勝てなかった北伐も、そうでもしないといがみ合いの多かった蜀内部を纏められなかったと言う状況もあった。
    その中で最低限「勝てはしなくても、致命的な(国を滅するような)負け」にはしないように務めた努力は評価されて良いんじゃないかなー、と。
    でも魏延が主張した、一気に魏へ攻め込む案も魅力的だったけど(たぶん勝ててもあとが続かなかっただろうけどね)
    1029  学名ナナシ  :2009年01月01日 21:20  ID:KSW1H6a40
    >>米23
    軍師という言い方をすると難しいな。戦略眼はあったし交渉能力
    も高い。普通に考えれば標準以上の『大した奴』である事は間違
    いない。

    司令官としては優秀で、前線指揮官としては曹操とかと並び称さ
    れる程のもんではない、というところだろうか。孔明無能論とで
    もいうものは『演義ほど凄い奴じゃねえよ』って意見の後半だけ
    が暴走している部分もある。
    1030  学名ナナシ  :2009年01月01日 21:26  ID:qQ90YTL80
    いいよねー三国志。
    個人的には蜀以外にスポットを当てた作品が
    もっと増えて欲しいなぁ。
    1031  名無し  :2009年01月01日 21:27  ID:CgHsYoFUO
    なんだかんだ言って劉備陣営で一番戦争上手いのは劉備だけどなぁ
    というより劉備以外で外征成功してない

    諸葛亮が戦争下手なのはしょうがない
    劉備在命中は主に後方支援が仕事だし、何より彼の得意分野は人事や補給だから
    魏延を干してたのは何故だかは知らんが
    1032  学名ナナシ  :2009年01月01日 21:50  ID:9bmAL.dj0
    そもそも孔明を軍事的な見地で語るほうがおかしい。
    戦術家じゃなくて戦略家でしょ。
    政治と外交には優れてたけど、軍事的成功を納めた事なんて
    ほとんどないし
    1033  学名ナナシ  :2009年01月01日 22:00  ID:Vmz4vn0dO
    孔明外交上手いか?
    結局呉とも仲違いしてるし、ていうか三国鼎立してからの外交戦なんて荊州をめぐる争いぐらいじゃないか?
    1034  学名ナナシ  :2009年01月01日 22:19  ID:VOzNksAd0
    ここは暴論も多いけど、為になる話も多いな。
    と言う訳で自分も暴論を一つ。

    劉備は自分の家族より臣を大切にする人物だから多くの名将を得ることが出来て、かつ三国の一つと数えられるまでになったんだろうね。代わりに家族は何度劉備に見捨てられたかw
    人となりについては俺は蒼天航路の劉備が近い気がする。横光のはどっちかというと劉グとかっぽい。
    で、入蜀した後劉備下には実質3つの軍勢(昔からの奴、荊州の奴、蜀に居た奴)がいる訳だけど、それぞれが力を持っていて利権問題で一触即発の状態。
    これを各派閥に一つずつ拠点を与えておさめた劉備は結構な政治的手腕を持っていたと思う。

    諸葛亮は演義だと無敵超人だけど、劉備が漢中王僭称を渋ってるとき
    「俺は金と名声が欲しくてあんたの下に付いてるんだぜ!」的なこといってるよな。
    実際かなりがめつい奴だと思う。
    実際孔明が来てから、国はかなり潤ってるし後方指揮については申し分無いけど、孔明が前線に出た戦はかなりの確率で負けてるよね。
    カク昭の守る城を落とせなかったのも、カク昭が凄いってよりは孔明が・・・


    劉禅は無能かどうかは知らんが、判断は悪くないと思う。
    天下三分、内七を魏が握る状況で時間が経てばたつだけ勝ち目が消える状況で長期的な献策をした孔明は無能か、他に目的があるかにしか見えない。
    しかもそんな悠長な事してる間に、魏は帝位相続のゴダゴダが収まってるし。
    魏延の推した単軍特攻の策の方がまだましに思える。
    1035  学名ナナシ  :2009年01月01日 22:20  ID:ZO.BqKPT0
    >1019
    歴史はそういうもんだってわかって語ってると思うがw
    そんなこと言って議論そのものの潰すなよw
    1036  1034  :2009年01月01日 22:21  ID:VOzNksAd0
    投稿してみたら超長文だね・・・推敲してないから読みにくいし。ごめんね
    1037  学名ナナシ  :2009年01月01日 22:35  ID:ghzeZXa40
    劉禅は宦官に踊らされた無能扱いになってるがどうかな
    1038  学名ナナシ  :2009年01月01日 22:59  ID:xpmKXyXfO
    諸葛亮より、法正とホウ統が仲間になってない方がやばいと思う
    1039  学名ナナシ  :2009年01月01日 23:07  ID:Ipo2I7UQ0
    というか、実際は劉備が立てた軍功を、演義では儒教的な都合上、関張趙の活躍に置き換えられてるケースが多い、てのを読んだことあるな。

    実際の劉備(軍団)の実力=演義における関張趙の武勇と考えると、当時でもかなり強い傭兵軍団と見られてたんじゃないかと思う。
    1040  学名ナナシ  :2009年01月01日 23:44  ID:NK.kX4110
    三国志ネタは読んでるとむずむずしますわな。
    色々語りたい気はしますが一点だけ、
    劉備が強いかも?説にはちょっと反対かな。

    法正、字(あざな)は考直のことを忘れてるかと。
    法正がいたからこそ劉備は漢中を取れたわけだし、
    曹操も漢中を取られたときに
    「あいつ(劉備)に知恵をつけたヤツがいたに違いない」と言ってたし。

    いりょうの戦いで劉備が惨敗したとき
    孔明が「法正が生きていればこんな惨めなこと(負け)にはならなかったろうし
    そもそもこんな戦いを始めることもなかった」と嘆いていたように
    孔明より戦に明るいと彼自身が言ってますしね。
    演義は孔明のいいとこどりで考直のよさがでてないのが寂しい。

    黄巾軍との戦いは要は盗賊レベルのやつらとの戦いと考えれば
    劉備の人徳を慕って集まった関羽や張飛らとの結束力に
    比べたら勝敗は明らかかと。こんなとこでしょうか。
    1041  名無しワイドガイド  :2009年01月01日 23:47  ID:PLbak2pkO
    これは…
    なんとすばらしい良スレだ!
    1042  学名ナナシ  :2009年01月02日 00:17  ID:cBb70vvm0
    法正が長生きしてればねぇ、益州は法正で荊州は諸葛亮と押さえができたはずだし。
    そもそも諸葛亮は内政の人じゃないか、それがトップにつかなきゃいかんというのが
    蜀の人材不足を如実にあらわしてるよ。
    名士だけじゃなく武将だって先細りの一途だったわけだし、任侠的な魅力で人を
    ひきつけた劉備がいないとなると、やっぱ苦しかっただろうね。
    1043  学名ナナシ  :2009年01月02日 00:27  ID:QklsNybr0
    横山三国志の中で一番好きなのは南蛮編。
    メインキャラが次々と死んで落ち込んでたが南蛮編のおかげで明るさを取り戻しました。
    1044  学名ナナシ  :2009年01月02日 00:46  ID:bHPXKvT30
    諸葛亮が戦争弱い、というのはきちんと読んでるのかな。
    決して弱いわけじゃない、特に野戦に強く、自身が軍を率いた場合、ほとんど敗北していない。
    蜀取りでは張飛らを従えて軍を率いてるし漢中の防衛線構築なんかもやってる。
    人を見る目云々も、正史での致命的失敗は馬謖ぐらいのもの。
    李厳は立場上気を使ってた感があるし、
    人を見る目がない、というのは諸葛亮が抜擢した他の人物の活躍をスルーしなきゃ出せない暴言。
    ただ、正史で評されているように、戦術レベルにおいては応変の才略に欠けている。軍事統率を行うトップではあっても、奇策機略の軍師ではなかった。

    あとカク昭に追い返された際、カク昭の名が挙がったのは、自身が軍を率いたときには無敗の諸葛亮に対し、寡兵で増援が近づくまで持ちこたえたからだ。
    カク昭死後、あっさり陳倉を放棄する辺り、カク昭の能力がなければ蜀相手に陳倉を守る事は出来ないだろうと、魏上層部は考えていたと思われる。
    1045  学名ナナシ  :2009年01月02日 00:46  ID:hYVNu9Fk0
    三国志に限らず、中国史を見る時には、中央政府と地方軍閥という視点で見ると案外と分かりやすいことがある。
    中央政府が完全に地方軍閥を潰したのは秦と現在の中共だけ、逆に中央政府が事実上存在感が無かったのが春秋戦国時代と南北朝時代、五代十国時代で、あとの時代は中央政府と地方軍閥が常にシーソーゲームをやっていた。長らく矮小化されていた始皇帝を毛沢東が復権再評価したのは偶然じゃない。
    三国志の時代の場合、中央政府は献帝の朝廷であり、事実上は曹操の軍閥である魏がそれを代行し、やがて魏が中央政府になった。正統論の観点からの異論はあるかもしれないが、客観的に見れば魏が中央政府で、呉と蜀はただの地方軍閥でしかない。
    そして軍閥自体も、実はそれを支える小さな組織(小軍閥)の集合体であることが多く、三国志時代の場合はその小軍閥が貴族豪族だった。
    名士という言葉が出ているけど、名士にも2通りあって、そうした小軍閥を形成している貴族豪族と、そうでない層とに分けられる。劉備は小軍閥から地方軍閥に成りあがったわけで、その過程で他の小軍閥を支持層に組み入れる、あるいは従わせることを行っている。そうした組織上の管理の中で諸葛孔明は存在感を持っていた。
    劉備が諸葛孔明を従わせていなくても蜀の国を得て地方軍閥に成りあがることはできただろうけど、組織を保つためには諸葛孔明が必要だった。このタイトルに関する結論はそれに尽きる。
    1046  学名ナナシ  :2009年01月02日 01:14  ID:hYVNu9Fk0
    ※1044
    軍を率いることは、軍法さえしっかりしていれば、それこそ馬謖のような無能な将軍でもできるわけだが。というか、諸葛亮が実際に軍隊を率いて戦争に勝っていれば、無能論なんて最初から出てこないんだよ。
    史書の記述だけを見れば、諸葛亮は戦争の前線にほとんど立ち会っていない。つまり現場の将軍としての才覚は図ることが出来ない。ならばということで、評価の対象になったのが、魏や呉との駆け引きや、あるいは馬謖や姜維を推挙したことで、結果として戦争という面では無能だという烙印を押されているわけだ。
    諸葛亮が手本としたという、戦国時代の名将楽毅のような働きが軍事面で見られていれば、誰も諸葛亮を無能だなんて呼びはしない。もちろん、楽毅に影響された「出師の表」に代表される、軍事面以外の内政面や前線へのバックアップといった部分については、高く評価されていて、それに異論を挟んでいる人はいないと見えるが。
    1047  学名ナナシ  :2009年01月02日 01:57  ID:fr53YYvq0
    いい人をいくら採用しても
    無能を採用すれば台無し
    1048  学名ナナシ  :2009年01月02日 02:04  ID:MSkKppzM0
    は、はわわーん
    1049  学名ナナシ  :2009年01月02日 03:23  ID:5ebRe2Ue0
    みんな三国志大好きだな。

    俺もだが。
    1050  学名ナナシ  :2009年01月02日 04:37  ID:hJv1Orr60
    孔明を仲間にする是非はともかく、劉備の構築したシステムを孔明が台無しにしたのは事実。

    日本人が「家」を大事にするのに対し、中国人は「里」を大事にする。
    曹操だって孫権だって、周りを血縁や同郷出身者メインで固めた。
    つまり、同郷でなければ出世どころか仕官すら覚束なかったりする。

    だが、劉備だけは違った。あらゆる州から集まった人間が揃っていた。
    よく関羽の敵討ちの出兵で劉備は批判されるが、劉備にしてみれば「里」で集まっていない集団を統率するためには、同郷でない部下でもその死を悼み全軍で復讐するほど大事にしていることを内外に示す必要があった。

    しかし、孔明はそれを崩した。劉備の死後、馬謖をはじめ重要ポストを自身と同じ荊州出身者で固めた。劉備は里・家柄の人間でも受け入れたから劉備の下には人材が集まったのに、それを崩した孔明は世間で騒がれているほど有能ではなかったと思う。そりゃ魏延だって叛乱を起こすわ。


    1051  学名ナナシ  :2009年01月02日 04:52  ID:Z8shXFfY0
    ※1011
    孔明は戦はあまり上手いとは言えないが優れた内政手腕を持っていた
    という記述を見たことがあるが
    1052  学名ナナシ  :2009年01月02日 05:04  ID:hJv1Orr60
    劉備は自身が幽州出身なこともあって誰彼構わず採用していたようだが、孔明は露骨に荊州出身者を贔屓している。
    諸葛亮亡き後、蜀漢の大将軍は四相の一人である蔣琬が勤めた。四相とは諸葛亮、蔣琬、費禕、董允なワケだが、四人とも荊州なんだよね。
    北伐でも斬新な戦術を披露した魏延を無視して経験の無い「荊州出身の」馬謖を起用してる。

    あと姜維は故郷に帰りたかったんだと思う。
    益州から涼州までは目と鼻の先だし、姜維の故郷は涼州の南端にあるんだから、北伐
    に成功すればいつでも故郷にいけるようになるんだから、そりゃ頑張るわな。

    ちなみに、董卓軍の中枢は涼州勢だが、涼州出身の董卓を裏切った呂布は并州出身、扇動した王允も并州出身なんだぜ。
    1053  学名ナナシ  :2009年01月02日 06:11  ID:4I7wDkLG0
    諸葛亮は君主に劉備を選んでいる時点で人を見る目が無いのは解るな。

    詐術には長けていたみたいだけど君主としての才覚は無く、しかしそれを自覚し臣の言をよく聞き、負け続きで放浪しながらとは言え死なずに曹操と渡り合い続けたのが劉備だ。

    劣勢になるとほぼ毎回裏切って逃げたり降ったりしてはいるけど、陶謙や董承みたいに曹操と敵対する事を選んだ人間にとっては、関張を従えある程度戦える劉備は貴重だったんだろう。しかも劉姓で、皇族を自称している。
    官軍である曹操に対して、逆賊とならないだけの大義名分を備えてる存在だ。

    まぁやってる事は正に悪役のそれなのに、こいつが何故正義の主人公のような扱いをされてるのかは全く理解できないけど。

    >>1040
    賊相手ではあるけど、他の官軍と違い後方の支援無く黄巾の乱で一定の戦果を上げた劉備は曹操、孫堅、呂布に及ばないながら、ある程度戦える人物だったんじゃないか?

    >>1044
    諸葛亮が、率いた戦の大多数で勝利を収めてるってのは新しい見解だね。
    俺には負けつづけている様に見えるけど。
    1054  学名ナナシ  :2009年01月02日 06:53  ID:4I7wDkLG0
    諸葛亮は過大評価され過ぎだから嫌いな人も多いんだよな・・・
    >>1028の様に本当の意味で孔明が好きな人も辛いだろうに

    ・・・何が言いたいかと言うとコーエーの三国志で知力100とかマジで許せんw
    良いとこ80後半だろjk
    政治は荀の98、張昭の97、陳羣の96に次いで張紘と同列の4位(95)だから許す。
    個人的にはもう少し下な気もするが。
    1055  :2009年01月02日 07:09  ID:mlOr4My.O
    歴史のもしもを語る事ほどむなしいことはないね。

    なぜ劉備(すなわち蜀)がさも正統であるかのように言われてるのか。みたいな事言ってる人がいるが、それは正史である『三国志』の作者である陳寿が蜀出身であったのが大きいみたいだよ。といっても彼は晋に気を使って、魏が正統って書いてるけどね。(ちなみに蜀帝、魏帝に比べると呉帝の扱いはひどい)
    でも1番大きいのは羅貫中の書いた『三国志演戯』みたいだけどね。
    これはほんとに蜀万歳!な物語なんだよ。
    たぶんこっちが皆が知ってる三国志の話だと思う。
    まあ詳しくはウィキみればおk
    1056  学名ナナシ  :2009年01月02日 07:31  ID:xfRBfFHv0
    もし、三国にならずに曹操が天子を擁して中華の覇権を握る形に落ち着いていたら、日本のようになっていたんかね。
    そう考えると、劉備が台頭してくれたおかげで今の世界の形があるわけだ。
    良かったのか悪かったのかわからんが
    1057  学名ナナシ  :2009年01月02日 07:52  ID:KatrlDwL0
    ※1055
    ※1024を1000回読み直せ
    1058  学名ナナシ  :2009年01月02日 08:15  ID:KatrlDwL0
    米1055
    陳寿は晋の時代で、あくまで司馬氏の晋を正統と位置づける視点で「三国志」を編纂しているから、漢→魏→晋という禅譲を表に出す必要があり、結果的に魏を正統扱いしている。この時点で、陳寿の生まれが後世の正統論に関係あるはずがない。
    後世の正統論は、東晋や南宋が「亡命王朝」だったという事から「亡命王朝」的立場を唱えた蜀を正統だとみなしたということは知られているし、逆に北宋は魏を正統扱いしている。特に中国では、普遍的な歴史評価なんてものは存在しない。

    米1056
    >三国にならずに曹操が天子を擁して中華の覇権を握る形に落ち着いていたら
    曹操は周の太公たらんとしたという有名な言い回しがある。
    日本の政治形態と中国とは構造が違う。日本の場合、天皇が大王と呼ばれていた頃から祭祀的性格を強く帯びていて、政治の実権と祭祀的性格とが上手に分離共存できて現在に至っている。ちょうどヨーロッパでローマ法皇とフランク王国〜神聖ローマ帝国以下の「ローマ皇帝」とが共存していたのと似ている。
    中国の「天子」はその両者を分離できないから、どうしても力のある者が「革命」を起こして天子交代が起こるし、曹操一族のような場合、逆に力をつけた者がいつまでも「革命」を起こさないと自分がやられてしまうから、おのずと革命は起こる。中国史で周王朝が戦乱が続く中でひ弱な割に意外に長生きだったのは革命思想がまだ未熟だったからで、革命思想が定着してくると前王朝はあっさり倒されるようになる。
    1059  学名ナナシ  :2009年01月02日 08:19  ID:KatrlDwL0
    米1058で一部訂正
    「周の太公たらんとした」→「周の文王たらんとした」
    1060     :2009年01月02日 09:20  ID:6BL95uROO
    益州攻略に関羽&張飛を連れてって、荊州に趙雲を置いてけば良かったと思う。
    1061  学名ナナシ  :2009年01月02日 09:21  ID:9oAZ2rmW0
    曹操は最後まで「漢の臣」で留まろうとしていた印象。(実質上は曹家の天下だったとしても)
    ある意味、自分の立ち位置をわかってたんだろうね。
    その辺りも含めて、三国志中では(孔明と並んで)好きな人物だ。
    昔、プレジデントと言う雑誌で、陳舜臣(だったと思う)が曹操の事を「日本で言えば織田信長に近いが、それよりスケールが大きい」と言ってた。(ただ、曹操には信長のようなある種の潔癖さはなかったと思うけど)
    劉備は史実系(とされる)人物像を知って好きになった。
    演義の方はむしろ出来すぎてて、孔明も劉備もウソ臭さが強く惜しい感じだったな。
    孔明がいなくても、劉備は局地戦では勝てたかもしれないけど、一国を保つほどの強さは持ってなかったんじゃないかな。
    1062  ひみこ  :2009年01月02日 10:45  ID:vjQYtcrLO
    リュウビはだな〜
    (゚Д゚)
    1063  学名ナナシ  :2009年01月02日 11:02  ID:z2QbTBkOO
    天に確たる意志などなく、地に確たる歴史もない!
    1064  学名ナナシ  :2009年01月02日 11:10  ID:bHPXKvT30
    >>1046
    だーかーらー。局地戦では諸葛亮は自ら軍を率いて勝ってるんだって。
    それとも君の言う最前線ってのは自ら槍を振るって戦うような事を言うのか? 諸将に命じて軍を動かす事は前線に入らずバックアップに入るわけか? だとすると認識から訳が分からんが。
    さらに軍法を理由に馬謖を出すとかもう分けわからん。軍法が正しかったとしても、馬謖の命令が煩雑で軍が上手く動かなかった事は史書に載ってるが?
    対して諸葛亮が軍を上手く統率し、陣営の築き方で天下の奇才と司馬懿に評されたのは史書にある。これは軍法が強固だから、だけではない。彼の能力によるものだ。
    諸葛亮は前線での指揮も行ってて、局地的な勝利は重ねてるっていうの。そして戦略面でも、きちんと資料を読み込んどけば無能と評価する事は難しいと思うがね。
    さらに言うなら馬謖はともかく姜維を無能扱いする時点できちんと資料を読んでない。姜維は魏に姜維一人で蜀は持っていると評されたとおり、軍事的にはかなり有能。諸葛亮以外に芝にも評価され、王平を置いて蒋琬の後継になるだけの実力はあった。蜀防衛戦において、上奏を黄皓に握りつぶされなければ、まだ追い返せた可能性はあったしな。
    1065  学名ナナシ  :2009年01月02日 11:15  ID:mHBMEKuqO
    だーかーらーw
    1066  学名ナナシ  :2009年01月02日 11:21  ID:SzjO8oeY0
    劉備は、俺よりお前らより、すごいやつだと思うがwwwwwwwww
    1067  学名ナナシ  :2009年01月02日 11:27  ID:bHPXKvT30
    >>1053
    戦略レベルの決定打はないけどな
    街亭で馬謖が破れた際→西県を制圧する
    カク昭に凌がれ食料不足で撤退→王双を討ち取る
    このカク昭に関しては、城が整備されてないと聞いていたのに、カク昭がおり整備されていた事から、蜀の情報網の脆弱さも分かる。

    陳式に武都・陰平を攻撃させた際、魏の郭淮の退路を断とうとし、撤退させる。結果、武都・陰平を手にする。これは土地の価値よりも、この前に行われた明帝の発言から、むしろ政治的な意義が大きい。

    魏延らを用いて張コウを破り、司馬懿を撃破。李厳のミスで食糧不足に陥り撤退せざるを得なくなるも、伏兵にて張コウを射殺。

    ここで見れば分かるように、食糧不足での撤退が非常に多いのは、地理的条件から兵站を太く繋げられないから。
    諸葛亮が軍事面で無能だというのは、自ら指揮した撤退戦で敗走がなく、追撃してきた魏将を悉く敗死させていること、231年の祁山の戦で司馬懿を敗走させていることから明らか。
    1068  学名ナナシ  :2009年01月02日 11:37  ID:bHPXKvT30
    軍事面では無能ではない、だなw
    1069  学名ナナシ  :2009年01月02日 11:37  ID:YqiWxLk20
    予想通り、にわかの知ったかが多い米欄だな
    1070  学名ナナシ  :2009年01月02日 13:16  ID:T0Wc1DDT0
    私は劉表を評価したいね。
    結局、劉備は、劉表の死後に息子から領土を奪った。
    劉表は客人として歓迎したというより、警戒して僻地で飼い殺してだけだから、人を見る目はあったと思うよ。
    1071  学名ナナシ  :2009年01月02日 14:43  ID:OpWTM.kt0
    正史韓遂はもっと評価されていい
    1072  学名ナナシ  :2009年01月02日 16:02  ID:qsks3HHb0
    諸葛亮が局地戦で〜とか撤退戦で〜とか言ってる人はどの戦いの事を言ってるのか西暦と戦乱の中心地位書いてよ

    >>1067
    色々と間違ってる。

    >戦略レベルの決定打はないけどな
    >街亭で馬謖が破れた際→西県を制圧する
    まず街亭の戦いは蜀の中でも有数の惨敗。
    蜀軍は総撤退、天水南安安定が魏に平定され、数千にのぼる兵を失いそれ以上に多くの兵站を失う。
    趙雲、王平の活躍が無かったら全滅コースで、諸葛亮も三階級降格し馬謖を始め多くの将が処断されてる。

    >カク昭に凌がれ食料不足で撤退→王双を討ち取る
    史実で見ると、確かに諸葛亮は王双を返り討ちにしてる。
    ちなみに演義で見ると、王双を討ち取ったのは魏延な。
    演義では王双は虎威将軍に任じられ、流星槌を操って蜀将2名を殺し2名に重傷を与えているけど、
    史実ではほとんど記述も功績も無い凡将で、諸葛亮と同じく演義で過大評価を受けている武将。

    >伏兵にて張コウを射殺。
    この部分は司馬懿の判断がおかしい。魏の中で司馬懿に匹敵しうる知謀と権力を持ち合わせていたために司馬懿の謀略によってわざと諸葛亮に殺させたのでは無いか、って言う説がある。

    >自ら指揮した撤退戦で敗走がなく
    >追撃してきた魏将を悉く敗死させていること
    明確な記述を頼む

    >231年の祁山の戦で司馬懿を敗走させていること
    「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」の事かな?
    魏の方から見れば兵の消耗はほとんど無く、諸葛亮の挑発を無視して兵站の消費もおさえつつ
    蜀の呼びかけに応じて動いた呉を大敗させてる。
    蜀の食糧不足はかなり深刻なものだから、100日に及んで陣を組ませ相手を疲労させた司馬懿の策も成功をおさめていると思うけど。
    むしろ魏延の強行策を上策とし採用していたら結果は解らなかった様に思う。

    とはいえ司馬懿を持って、天下の奇才と言わしめた諸葛亮は無能ではなかっただろうね。
    1073  学名ナナシ  :2009年01月02日 16:56  ID:KatrlDwL0
    撤退戦で敗走がないって、日本語でOK?
    祁山の戦は司馬懿が様子見に来たやつ?
    挙げている事例がよりによってその2つとは、はぁ〜と(笑
    1074  学名ナナシ  :2009年01月02日 17:11  ID:wapWGxSF0
    孔明は攻めるのが苦手な印象
    司馬懿に陣を見せて天下の奇才と言わせれたのは守るのが上手かったってことじゃないかな
    1075  学名ナナシ  :2009年01月02日 18:12  ID:jgCtOkPj0

    つか、正史では孔明の評価はすこぶる低い。

    1076  学名ナナシ  :2009年01月02日 20:05  ID:KatrlDwL0
    孔明の戦の評価ということだろうけど、一般に戦線での将卒としての能力と、軍隊の采配ということでの能力は明らかに別物。

    孔明は戦線で実際に武器を持って戦ったわけじゃないので、局地戦の勝敗を孔明に結びつけるのはナンセンスであり、軍隊の采配ということで評価をしなければならない。

    司馬仲達は孔明とは違って前線で兵卒を率いてきた百戦錬磨の将軍だけど、「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」に限らず、孔明との戦いではあまり積極的に打って出ていない。
    これは魏あるいは仲達が孔明を過度に恐れたのではなく、戦略的な視点によるもので、ぶっちゃけて言えば魏が要害の地である蜀を本気で攻めるにはそれ相応の環境整備が必要だということ。
    環境整備には、呉やその他の勢力との戦い、あるいは魏の朝廷内の権力闘争などがあり、司馬一族が事実上魏を乗っ取って抵抗勢力をあらかた潰し、おまけに蜀の内情がおかしくなるのを待っていて、その環境整備ができた時点で、蜀は滅ぼされている。

    そして「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」に限らず、仲達は蜀との戦いを魏における自分の地位を守るために利用している。あえて言うなら、孔明の軍事面での存在感ではなく、孔明の蜀内政統治あるいは蜀朝廷内の統制という面での存在感を仲達は意識していた。

    そして戦争の勝敗はふつう、局地戦ではなくその戦いによる結果がどうだったのかで評価される。例えば、日本で言えば秀吉と家康が衝突した「小牧長久手の戦い」は局地戦で家康軍が勝ったことから家康の勝利だとする評価が江戸時代にあったが、現在は秀吉軍が家康と同盟していて大義名分にもなっていた織田信雄の本拠を陥落させて家康を戦略的に孤立させていたことから、秀吉の勝利とする見方のほうが多い。
    その点で言えば「祁山の戦」は勝敗がつかなかった戦いでしかない。
    1077  学名ナナシ  :2009年01月02日 20:19  ID:KiJf8hIe0
    >もしも劉備と孔明が出会わなかったら〜?
    というIFを語るスレじゃなかったのだろうか?語ってもしょうがないこととは言え、暴論を述べさせてくれい。

    劉備が孔明に会わない=ケイ州の豪族の協力を得てない状態での曹操の南下作戦に当たる

    単純に逃げるだけなら史実どおりに10万の民で足止めしつつ南下

    関羽と合流で命からがら生き延びるものの、孔明が居ればありえた劉表の息子の劉埼の一万の軍勢が友軍としての合流がなかった

    ケイ州の最南端の弱小豪族として孫権と曹操による赤壁の戦いを見守るだけしかできず、ドサクサにまぎれてケイ州を取ることもできなかった

    多分、劉備の能力や人脈をもってしても埋没してたろうなぁ
    1078  学名ナナシ  :2009年01月02日 20:48  ID:wRjrR6gv0
    日本人は蜀好きが多いと思うんだがどうか
    1079  学名ナナシ  :2009年01月02日 22:21  ID:9oAZ2rmW0
    >>1077
    俺もそうじゃないかなーと思う。
    赤壁の勝ちは呉だけのものになるだろうし。
    それ以降の劉備は、ちょこちょこ顔は出せても結局うだつが上がらないままで終わったんじゃないかと。

    蜀贔屓が多いのは、三国志演義と、それを(実質上)訳した吉川英治の影響が大きいんじゃないかな。内容的に日本人の感性に合うみたいだし。
    孔明が一番好きな俺としては、ぜんぜん面白くなかったんだけど(超人的な描写が多いのが駄目だった)。
    1080  学名ナナシ  :2009年01月02日 22:38  ID:bHPXKvT30
    >>1072
    街亭に関しては言うまでもない。馬謖が先鋒であり、諸葛亮が中軍を率いて合流する筈が、馬謖の敗退で要地を奪われ全てパーになった。これに関しては諸葛亮の抜擢が悪い。ただし、その後、西県の確保を行うなど、ある程度打てる手は打っている。そして、これは諸葛亮の局地戦においての戦闘力を否定できる材料ではない。これは諸葛亮の言葉を無視した馬謖に責任がある。抜擢した罪はともかく、これを諸葛亮の軍事能力の無さに直結させる事は出来ない。
    追撃は本来、もっとも戦果を挙げられる状況であり、これを凌ぐどころか名前の記載されてる将を倒したという事実は評価に足る。さらに言えば、百戦錬磨の張コウ。魏略にあるとおり、張コウの伏兵警戒を司馬懿が蹴ったとのだとしても、局地戦における彼の能力を否定する要素にはならない。司馬懿の謀略とする説は、そうする事で司馬懿が得られるものが薄い。これは張コウが長く活躍していたにも関わらず、司馬懿の配下になっている事からも分かる。理由については色々あるが、たとえ張コウが司馬懿以上の頭脳を持っていたとしても、部下であり、出世速度でも上回っている以上、これを論ずるには、まず張コウを司馬懿が能力以外に警戒する理由を出さなければならない。さらに言うなら、副将は主将の作戦案とは別の案を提示して主将に再考の余地を与えるのが役目の一つである。
    撤退戦に関しては第二次北伐、第四次北伐においてその通りである。第一次はそもそも追撃はない。第三次も同じ。
    そして231年だと明記しているにもかかわらず、234年の第五次北伐と誤認しているようだから言っておくと、その戦いは第四次においてあったものだ。
    1081  学名ナナシ  :2009年01月02日 23:14  ID:bHPXKvT30
    >>1076
    積極的に打って出てこないのは、諸葛亮が得意とするのが陣地戦だからだろう。対抗するには睨み合っているのが一番。どうせ兵站が弱いから、相手は撤退せざるを得なくなる。
    司馬懿がそれをしたのは第四次終盤と第五次だけであり、初任用された第四次においては攻勢に出ている為、常に司馬懿は持久戦の構えだったわけではない。
    四次では諸葛亮軍が麦を刈り取った為に、祁山で睨み合う事になった魏は食糧難に陥っている。また諸葛亮の動きから祁山を決戦の地として整備していたと見る事が出来る。祁山を決戦の場所と認定していないならそもそも下がる必要がないし、撤退しているのであれば、ここで下がるのを止める理由がない。
    李厳のミスがなければ、先に食糧不足に陥っていたのは魏であった可能性がある。郭淮伝には隴西に穀物が無かった事と、関中より穀物を輸送する必要があった事が記されている。郭淮はこつこつと羌族と信頼を結んでおり、一時的に兵糧を提供してもらう事で繋いだが、関中から穀物が来るのを待つまでも無く、長雨で李厳が補給を遅らせた為に撤退せざるを得なくなった。
    1082  学名ナナシ  :2009年01月02日 23:15  ID:bHPXKvT30
    >>1072
    さらに言えば、司馬懿が蜀討伐を政争に利用した、という説はどこから出てきたんだ? 
    要害の地である蜀から出てきた、しかも要害の地形が災いして、出陣しても兵站が細い軍団を撃滅すれば、要害の地を守る兵数を減らせるという事。攻略を期しておらずとも野戦で撃滅するだけで小国の蜀を再起不能に出来る事を考えれば魅力的すぎる。また司馬懿にとって蜀以外にも戦場はある。第一次北伐後、司馬懿と張コウが蜀と戦った後、返す刀で呉と戦ったりもしている。冬で川が凍っていた為に渡れず、部隊戦に留まったが。
    結果が全てであるというとおり、諸葛亮が撤退した事は否定していない。だからといって諸葛亮は無能というのはあまりに短慮だろう、と言っているだけだ。
    諸葛亮の軍略が読みきられていたのは第二次の陳倉、第五次の五丈原であり、これ以外において諸葛亮の軍略そのものは十分に機能している。第二次、第五次以外の問題は人災、天災にある。馬謖はともかく、李厳は必要以上に気を使わざるを得ない相手。天災に関しては、演義の軍師様じゃないとどうしようもない。
    1083  学名ナナシ  :2009年01月02日 23:20  ID:bHPXKvT30
    訂正
    >>1082は>>1076にあてたもの
    1084  学名ナナシ  :2009年01月02日 23:54  ID:8ze3vXKu0
    趙雲は、コウソンサン、エンショウのところにいても活躍してないのを思い出してあげてくださいw

    小説の登場人物のセリフは、自分の失敗を正当化してる感じがしてあんま好きじゃねーんだよな・・・
    蜀とか良い意味で浪士組だよな。
    1085  学名ナナシ  :2009年01月03日 00:12  ID:R7ydxQaj0
    劉備は小泉で、曹操はプーチンみたいなもんじゃね?
    1086  学名ナナシ  :2009年01月03日 00:32  ID:FBCcp3oj0
    >>1085
    劉備と曹操に謝れ!!
    1087  学名ナナシ  :2009年01月03日 00:32  ID:M9d1Bruy0
    自分論を押し付けるやつって嫌いだわ
    1088  学名ナナシ  :2009年01月03日 01:42  ID:eykLpivF0
    劉備の勝率は「割合だけなら」悪くないかもしれないが、「得失点差」がひどすぎるんじゃないの?賊徒との小競り合いに勝ったって、致命的な大敗北をしまくってるイメージが…。それでも生き延びて立ち直る辺りは一代の英傑として十分だと思うが。

    孔明は戦下手ってわけでもないだろうが、ゲームでは知力100より政治こそ100にすべきだろ…。それなら荀もそんな感じだが。
    実際勝てないのは当然、負けないだけで上々と言えるだけの国力差があるんだから、勝てないのは当然。守りに適した土地とは言っても、10対1〜2の国力と人材層でよくできたと思うぞ>孔明


    それにしても、よく伸びるなww
    1089  学名ナナシ  :2009年01月03日 03:00  ID:A6qPujk10
    >まず街亭の戦いは蜀の中でも有数の惨敗。
    >蜀軍は総撤退、天水南安安定が魏に平定され、数千にのぼる兵を失いそれ以上に多>くの兵站を失う。
    >趙雲、王平の活躍が無かったら全滅コースで、

    これには異議ありだな。正史でも演技でも吉川三国志でも北伐一次
    の街亭戦はあたかも決戦のように誤解されている感が強い。
    単なる三国志ファンならともかく(演技とかが好きという者もいるだ
    ろうし)、軍オタ系の者ならちゃんと地図で戦域全体の位置関係を
    確認して欲しい。

    西県や街亭との場所は、北伐戦全部を通してもっとも蜀軍が北へ突出
    した辺境の部分。魏の主力を誘引するためか占領地の確保の為か明確
    な意図は分からないが、どちらにしても主戦場(主力が展開してる場
    所じゃないと言う点で)ではない場所である点に留意。

    街亭の戦いの時点では魏や蜀の主力はその南で緩慢な展開(睨み合い)
    をしていた。つまり、北方の街亭の敗戦の結果、蜀軍の漢中への撤退
    路である南方への道がふさがれるという事は物理的ありえにない。

    街亭戦で蜀軍が敗北した点は事実なんだが、それが蜀軍をして包囲全
    滅の危機などの窮地に陥れたたわけではない。街亭は北で漢中は南方
    なので連絡線が絶たれたわけではない。


    諸葛亮は北方地域の攻勢が失敗し、今回の攻勢は手詰まりで見込
    みなしと判決してのだろう。撤退路は確保されている訳だから、険路
    ではあるが粛々と漢中に兵を収めたのが実情と考えられる。

    無論勝敗を言えば、攻勢を中止して撤退した蜀の敗北なのは言うまで
    もないが。
    1090  学名ナナシ  :2009年01月03日 04:40  ID:8u5xUXll0
    勘違いしている人がいるが、蜀を滅ぼした原因となる姜維を諸葛亮は後継者にしていない。
    諸葛亮が自分の後継者に任命したのは蒋腕と費諱の二人だけ。諸葛亮は姜維を有能な人材とは思っていたが、自分の後継者たりえる人間だとは思ってなかったようだ。
    姜維を後継者に任命したのは蒋腕。
    あと、諸葛亮は人を見る目がないと言われているが、内政家タイプの人材を見る目には優れていた。蒋腕、費諱、董允、楊洪、芝を見出し要職に付けた。(劉備が見出した人材も含めて、諸葛亮は蜀の全権を任されたとき要職につけた)
    あと軍事面での人材の失敗だが、馬謖で失敗して以来、魏延、王平たちに任せて成功を収めている。(演義だと諸葛亮は魏延を嫌っていたが、実際は気を使って軍事で要職につけている)
    南中の統治でも失敗したら、馬忠に任せ成功をおさめた。
    諸葛亮は正史で言われているとおり、失敗もするが反省しそれを挽回できる優れた宰相だった。
    1091  学名ナナシ  :2009年01月03日 05:30  ID:f5XziayI0
    恋姫無双しか知らない
    1092  学名ナナシ  :2009年01月03日 05:30  ID:9IL7mkfo0
    >>1080
    自分は
    >戦略レベルの決定打はない
    について間違っていると指摘しただけで、諸葛亮の軍事能力の無さについては言及していないつもり。
    >司馬懿の謀略とする説
    はあくまで一説だね。この時点で司馬懿に野心があるなら信憑性が出てくるけど、それも無さそうだし。
    にしても司馬懿にしてはマヌケ過ぎるからなんらかの理由があった、と思いたい。
    >231年の祁山の戦で司馬懿を敗走させている
    の部分に思い当たる節が無いので、>>1067が西暦を書き間違えているのかと思ったんだけど…
    記述は具体的にお願いしたいです。

    >>1089
    趙雲、王平の活躍が無かったら(馬謖の軍勢が)全滅コースだよ
    >数千にのぼる兵を失い
    数千って書いたし、解った上で言ってるならもう少し書かせてもらうけど…
    1093  学名ナナシ  :2009年01月03日 06:23  ID:3z56tRCz0
    劉備は一人の将としては機を見るに敏で非常に優秀なんだよな。実際、少人数の戦においてはほとんど負けてない。
    ただ、戦略眼を持つ人間が周りにいなかったし、本人も長期的な戦略眼を持ってるとは言い難かった。
    だから、そういう意味では孔明は必要だったと言えるかもしれない(孔明の得意は国家経営)。

    劉備は良くも悪くも親分肌だったと言われてるし、孔明は正史の評価を見ると法家タイプであると推測できる。
    良くも悪くも孔明と劉備は真逆のタイプだったんだろうね。だからこそ、劉備は孔明を引き入れたと考える事もできるかも。
    1094  学名ナナシ  :2009年01月03日 08:57  ID:WJ4lx0NN0
    実際のところ蜀は負けるか引き分けしかないから、
    劉備が優れた将だとは言い難い
    1095  学名ナナシ  :2009年01月03日 14:06  ID:6Hc1L3OU0
    >>1092
    戦略レベルの決定打はない、というのは、戦略レベルでの決定打を諸葛亮が魏に与えたわけではない、という意味。こちらの記述が曖昧だった所為で誤解させたようだ。諸葛亮が戦略レベルでの決定打を食らったが為に撤退したのは全面的に同意する。
    祁山の戦いに関しては、結果として司馬懿が破れたのではなく、過程の中であったという事。まずこれが前提。諸葛亮の撤退を幾度と無く書いている以上、これについては同意してもらえると思う。
    さて、この戦いに関してだが、晋書の記述は信用しがたい。晋書そのものの精度もあるが、晋書にあるような大勝であれば小国である蜀にとっては致命傷であり滅亡の契機となる。姜維は同レベルの敗退を犯した際、自ら降格している他、これが蜀滅亡の大きな要因となっている。また、これだけの被害を被れば三年で第五次北伐の軍勢は準備できない。
    だが、蜀に滅亡の動きはなかった。諸葛亮が降格を行っていない。大敗であれば第一次の如く降格しないと納得する者はいない。つまり晋書にあるような大勝はなかったと見ていい。蜀軍を撃退し、撤退するのを追撃したというのは、張コウが王平伝にて王平を抜いていない事、蜀の撤退が食料不足によるものであるなど、疑わしい面が多い。
    諸葛亮が司馬懿を破ったとするのは正史ではなく漢晋春秋だが、これに関しては注釈であり、信用できないと考える向きもある。ただし、張コウが王平の軍を破れなかった事は王平伝にあり、漢晋春秋と矛盾しない。王平伝に戦い全体の勝敗が描かれていない事を批判の材料にするならば、他の伝でも、その人物の功績をクローズアップし、戦いそのもの勝敗が書かれていない場合はある。
    ただし、他の伝に勝敗らしい勝敗が書かれていない、というのが問題になる。
    1096  学名ナナシ  :2009年01月03日 14:12  ID:6Hc1L3OU0
    >>1092
    それに関しては仮説の域を出ないという批判は免れない。ただし、まったくの空想であると言えないのは、漢晋春秋がそれなりに資料として評価できる為である。記述どおりの功績をあげていない(つまり誇張)としても、司馬懿が張コウを王平軍に差し向けたが抜けなかった事は正史にあり、また諸葛亮の撤退が敗れての撤退ではない為、漢晋春秋にも一定の信頼は置けるものと考える。
    司馬懿に関しては追撃の機を誤ったと見るのが妥当。第四次、第五次共に、司馬懿は食糧不足で撤退する軍を追撃している。だが、第四次においては張コウを失っているのは周知の事実だ。これが謀略だとすると、反対を蹴って追撃を命じたにも関わらず成功しなかったという事実が自身にも火の粉として飛んでくるという事を考慮していない稚拙な謀略と言わざるを得ない。そして、やはり司馬懿が張コウを謀殺する理由が出てこない。魏略の張コウ反対を信じなければ、さらに理由がなくなる。
    恐らく、第四次において追撃を凌がれた経験故に、第五次において追撃を行ったのにも関わらず、整然と撤退する相手に対し慎重になり、追撃を取りやめたと考えることが出来る。司馬懿が経験を生かしたと見る方が妥当だろう。
    司馬懿は諸葛亮の決する事少なし、という欠点を見抜くなど、卓抜した指揮官であるが、孟達を不用意に離反(入朝して釈明しろというのは、蜀に走る証拠を掴んでいた、あるいはそう考えていたなら、梁機に調査をさせていたにもかかわらず迂闊にすぎる。間違いなく入朝せず反乱するからだ。証拠があるなら釈明などさせずにわずかの準備もさせずに叩くのが妥当。正史でも十分に準備不足だが)させる事もあり、完全無欠なわけではない。そのため、司馬懿にしてはマヌケすぎる、というのは司馬懿謀略説を強める根拠にはならない。
    1097  学名ナナシ  :2009年01月03日 14:44  ID:6Hc1L3OU0
    >>1092
    祁山の戦において王平が担当する南側がこの戦いの要となる位置にいる事は、司馬懿配下の中で最強の張コウが差し向けられた事が正史にある事から逆説的に証明できる。
    王平が担当しているのは南翼。ここを敵に占拠された場合、高地を占拠、転回すれば蜀軍の側面を襲う事ができ、そのまま西進していれば後方に回り込むと共に蜀軍の連絡線を遮断できる。従って、この南翼の崩壊は軍の崩壊に繋がりかねない。司馬懿が張コウを差し向けたのはこれが狙いであると見ていい。
    話を戻すと、南翼を第一次北伐で硬い守りを見せた王平が担当するのは理にかなっており、張コウはこれを破れない。そして、司馬懿は狙いが外れたが為に本格的な攻勢に出れず、蜀は予備の呉班を投入し、司馬懿を破る。ここで敗北して退き、睨み合いをしている事から、司馬懿は南翼攻略に苦戦する張コウに予備を預けた為、中央が薄くなり敗れた、と考える事も出来る。
    いずれにしても、晋書にあるような司馬懿大勝は、諸葛亮の撤退が食糧不足である事、第二次の際追撃を撃退している事、張コウが伏兵に射殺されている事などから、撤退時も蜀陣営は統率を失っておらず、したがって追撃を行っても晋書にあるような戦果を挙げられたとは考えにくくなる。そして、晋書を事実と仮定すると、その後の動きが奇妙かつ不自然なものとなる為、まずこれは除外していい。
    1098  学名ナナシ  :2009年01月03日 23:19  ID:NnOaEZT50
    この手の議論って大昔からされてるんだよな。
    今をもってさらに語られているのをみると、みんな三国志が好きだよねwww
    諸葛亮の議論に関して言えばやっぱり、公論は敵讐より出づるに如かず、だな。
    司馬懿が天下の奇才と軍事面でも称えるのだから、軍事面でも天才だったんだろう。
    後年、情勢が違うにもかかわらず、諸葛亮と同じ作戦を立てようとした軍人がいたくらいだから。
    ちなみに、諸葛亮が自身を比べた楽毅と管仲は宮城谷昌光の本が面白いと思う。

    劉備に関しては、俺的には超人的な傭兵部隊長だな。
    呂布に負けたのは、個人的には呂布が白起と同じ軍才を持っていたからだと思う。
    前半はほぼ戦い尽くめにも拘らず、摩耗しないで軍を保ち続けた才能は、確かに天才的なものだろう。
    戦いで前線に出るのも、前線でしか戦い方を知らなかったからともいえる。
    実際の劉備は人をあまり信用しない性格だったという説もある。
    だからこそ、皇帝の旗印も騙ったし、現にそれを皇帝に認められたとも言われる。(劉備の軍が欲しかったからだろうが)
    局所的な戦いにおいては曹操にも負けないんじゃないかと思う。
    そもそも、曹操の評価も高すぎると思うんだ。
    身内びいきだし……まあ身内が幸い優秀だったからよかったがwww
    俺的には織田信長の方がはるかに凄いと思うよ。何しろ国外の人物を受け入れるくらいだからな。

    1099  学名ナナシ  :2009年01月03日 23:20  ID:NnOaEZT50
    諸葛亮は地元の名士だったため、登用されてからは大事に扱われ、頭角を現すのは流浪の軍である劉備と孫権の外交だな。
    本来だったら若年の諸葛亮だし、ありえない抜擢と結果だ。
    これがなけりゃ、劉備は磨滅するかしたかも。
    でも、世渡り上手な劉備だからな。それもどうにかしたかも知れない。
    天下三分は、もともと古代中国のカイ通の策。鼎の形で拮抗するっていう手段で、それは確かに故事知ってる者にとっては当たり前の策だから、諸葛亮なしでも出来るかも知れないが……。
    天下三分までいっても、まず呉との外交が成り立たないと無理だったろうな。
    あの兵力で、呉と結べる時点で、諸葛亮の外交の凄みはあるんじゃないか?
    それがないとなると、不利な状況で呉と結ぶ訳だからな……どの道、統一は早まりそうだ。
    俺的には、諸葛亮なくして天下三分は厳しいと思われるwww

    普通に呉に喰い喰われしてる所に、曹操に攻められて同じく流浪しながらも最後まで屈せずに戦死ってのが俺の予想だな。
    1100  学名ナナシ  :2009年01月03日 23:48  ID:isgONGCP0
    もっと陸遜を評価していいと思うが。
    陸遜がいる限り呉は比較的安定してたぞ?
    結局は後継者争いで自滅しちまったがな・・・

    個人的に一番すきなのは陸抗と羊コ(漢字がマニアックなのでカタカナにさせていただきました)の話

    皆、魏と蜀の戦いに注目するのは分かるが呉のことも思い出してください
    1101  学名ナナシ  :2009年01月04日 01:04  ID:YpEG4rO60
    1077なんだが、一つ言っておく。孔明云々は置いといても、劉備のすごいところは
    負けても壊滅しないこと。普通、負けたら将軍レベルでは軍隊そのものが雲散霧消するところを
    劉備はいつ、負けても自前の軍隊は常に維持してきた。これは当時の軍を維持するコストを考えても
    有りえないほど珍しいんだよね。普通、負けたらどんだけよくても劉備と関羽、張飛のみになるやん?
    なのにいつ、負けても五千から一万の軍を常に保持し続けるというのはあの時代、マジに奇蹟です。
    ま、それでもあくまで傭兵として行動してたなら曹操も気軽に雇ってたんだろうけどねぇ
    1102  1077  :2009年01月04日 02:21  ID:YpEG4rO60
    あと、余談だが孔明自体は南蛮遠征にあっては常に前線で指揮を取っていた。
    ただし、これは自身の戦術レベルでの用兵の確認の色合いが強いのと、後日、馬蜀を抜擢する伏線であって、
    戦略自体に関しては実際には劉備と蜀軍閥との談合によって(入蜀当時)決めてたというのが実態でないかと。

    自分にとっての結論は、あくまで局地戦における采配向きなのであって、本当に戦略に明るかったら
    魏延との確執は個人的なこととして自分を押し殺してたろうし、孟達の裏切りに関しても
    有り得る事としての次善の策を用意していなかった為にあたら有能な将軍であるところの関羽を
    死なせてしまった。

    言えば、孔明の戦略はリスク管理の視点でみた限り、余裕がなさ過ぎて脆かった。
    孔明が行ってきたことのいずれの戦略も、確かに有り得べからざる要素はあったにしろ、
    軍略としてはオールオアナッシングの傾向が強すぎる。

    例えば漢中を集中に収めた時点で魏延を使った牽制による西方面での魏の兵力分散を強行させておいて、
    孟達を絡めた漢中東方面軍、関羽を絡めた江稜方面軍を考えるべきであったろうし、
    街亭に配置するのだって王平だけでなくむしろ、劉備を置く方が一番効果的であったろうし、
    それであれば何故か曹操自ら出陣しようとしてたかもだが(苦笑
    1103  学名ナナシ  :2009年01月04日 11:33  ID:6zk8ZUPb0
    >>1102
    魏延との確執どころか、諸葛亮は劉エンの件なんかで魏延を庇ってるんだが。孤立していく魏延の唯一の後ろ盾だぞ。
    奇襲案を蹴ったのは、正史に従っても魏略に従っても無謀すぎるからだろう。諸葛亮は魏延の力を大いに恃みにしていた。魏延が癇癪を起こして自分から嫌っていったと見るべき。まあ、そういう子供じみた人物をまとめる力が、劉備にはあって諸葛亮にはなかったのだろう。
    孟達の裏切りに関しては、劉備がブチギレちゃってるから諸葛亮は動きたくても動けん。そもそも孟達が裏切ったのは、劉封の不用意な行動も原因だし、それを補う程の人事権や戦略策定権限を、成都の諸葛亮に望むのは酷だろう。孟達に対しアクションを起こすのは劉備死後、丞相となって大きな権限を握ってからだしな。
    関羽に関しては、滅びるのは必然だったとしか言いようがない。孟達が増援を送れないと判断した時点で、関羽の置かれた環境から見て完全に詰んだ。次善の策を用意しようにも、劉備側の動きが妙に鈍い辺り、関羽との連携が密であったとは言いがたい。
    1104  学名ナナシ  :2009年01月04日 11:35  ID:6zk8ZUPb0
    >>1102
    また、この頃の有力参謀は法正であり、諸葛亮は兵站管理のお留守番役。長い間、後方の成都に在って内政、内治に努めていたのだから、丞相時代のような権限は振るえず、情報面の連携も難しい事を考慮しておくべき。戦略不備はどちらかというと劉備が叱責を受けなければならない。
    あと、漢中から北へ出て行くのは、劉備の方針からしてないと見ていい。漢中に本軍を置き、長安の曹操本軍、陳倉の張コウらを牽制できる以上、すでに戦力分散は行えているのであり、出陣する理由がない。事実、曹仁の救援に曹操は自ら向かわず、まず于禁、次に徐晃と小出しに出している。徐晃にいたっては兵隊は新たな降伏者ばかりとある。後に増援が送られているが、許都まで脅かされるこの状況で曹操本軍が動かない=動けないのは、すでに戦力分散が成功している証拠であろう。
    この後、劉備が成都に帰還する際魏延が大抜擢されるわけだが、この際の抱負が完全に守備を前提としている事、長安及び陳倉の牽制、そもそも劉備が成都に帰還している事などから、北に攻めこむ意思があったとは考えにくい。
    北伐で兵站に悩んだように、漢中は守るには要害の地だが、打って出るにはそれが害となって軍を動かしにくくなるというのも懸念の一つ。
    1105  学名ナナシ  :2009年01月05日 09:27  ID:XoGzvD0g0
    孔明って、人材厨の曹操に普通にスルーされてたりするのは
    なぜ?

    もしかしてアレか?
    孔明なんて人物は本当は存在していなかった!とか?
    蜀にはすごい軍師がいるぞ。みたいなブラフを広めるために
    作られた架空の人物だった。

    ・・・うん、
    んなわけないか。
    1106  学名ナナシ  :2009年01月05日 16:42  ID:FxzluOZT0
    みんな凄い詳しいな
    俺ニワカだったよ・・・
    1107  学名ナナシ  :2009年01月05日 23:36  ID:KtBd468c0
    正直人を見る目があったとは思わないな、反骨の相があると処刑されそうになった魏延は結局諸葛亮が死ぬまで蜀に忠を尽くしてたわけだし。魏延はもっと重用されてもよかったと思う。
    1108  学名ナナシ  :2009年01月06日 11:32  ID:51l9dV770
    >>1107
    それ演義(講談の創作)
    諸葛亮は反骨なんて評価を下しておらず重用している
    魏延が自滅したのは、議論に刀を振りかざすような真似をする、唯一の後ろ盾に悪罵を吐く、遺言に従わず味方の撤退を妨害するなど自業自得
    1109  学名ナナシ  :2009年01月07日 00:01  ID:G0LnYfeZ0
    1105 単純に思うと、孔明が居た場所が自分の支配権じゃなかったからじゃない。
    1110  学名ナナシ  :2009年01月08日 18:01  ID:vevEz96V0
    演義もそうだけど正史もかなり胡散臭く思える
    そんな俺にとって呉や蜀という国は実は存在しなかったように
    感じられる。
    1111  学名ナナシ  :2009年01月09日 10:57  ID:ZeKH6Ssf0
    >>1110
    反三国志とか、そんなノリだったな。
    ただ、中国の史家の価値観からすれば、当時の権力者に阿るのは恥ずべき事だ。
    それを行ったとおぼしき晋書なんかひどい評価だしな。
    正史が全て正しいとは思わないが、他の資料と照らし合わせていく中で、
    高い評価を得ていったという事実は無視すべきではない。
    1112  学名ナナシ  :2009年01月10日 00:47  ID:t0sg1qOY0
    基本的に中国の史書は国家が編纂してるので当時の王朝に都合よく書かれていることが多い(国家の正統性を主張するため)。
    ただ、その中でも晋書は「あんま誇張は良くないよね」って学派だったんでマシな方であるという話は聞いた事がある。詳しくはよう知らないけど。
    1113  学名ナナシ  :2009年01月11日 00:33  ID:995A.a7a0
    南蛮政略の孔明の云々って、完全に演義物の演出だろ、笑わすな。
    アンケにもあるが、こういう話題に口を出す時は演義の知識を全部捨ててから来い。
    米1105の意見も実はずっと前から出ていて、孔明は実は大したやつじゃないという説の裏づけの一つになっている。
    実務家として孔明は有能だったけど、それを発揮するようになったのは劉備らが死んだ後。もちろん曹操は既に亡くなっている。そして孔明の名声がやたら大きくなったのは劉備の計らいによる。

    >中国の史家の価値観からすれば、当時の権力者に阿るのは恥ずべき事だ
    春秋時代には「トウコの筆」「崔チョによる3兄弟殺戮」というその手の故事が2つあるけど、逆に言えばそれは珍しいことだから記録に残っただけと見ることもできる。実際司馬遷の史記は当時の漢武帝を至上の君主として描いているわけだし。確かに司馬遷は武帝によって宮刑になっているけど、あれを権力へのアンチテーゼだとか平然と抜かす輩はマルクス思想に毒されすぎだと思う。
    それに中国王朝では、歴史を書くのは次の王朝の仕事。だから中国正史は24代の明までしかなく、中華民国が短命でコケたせいで清以降はまだ編纂されていない。
    1114  学名ナナシ  :2009年01月11日 15:01  ID:mX6OEfGx0
    >>1113
    同時代では君主の意に背いた韋昭なんかいるね。
    まったく筆を曲げてないとは言わんが、孔子の論もあるし、珍しいことだから記録に残った、というのはともかく、だから史家が権力者に阿るのは恥ずべき事だと考えられていた事を否定するのは難しいな。少なくとも、この時代には史家として恥ずべき事だという考えはあったと見ていいと思う。
    まして、これを守って死ぬような人がいる以上、ある程度機能していた、と見てもいいように思えるがね。記録に残った=記録に残るほど珍しかった、というのはありだけど、時代が下れば許敬宗みたいなのが記録に残ったりもしてるし、陳寿もぼかしてはいるが権力者による歴史事実の歪曲と考えられる程の記述はしていない。
    歴史を書くのは次の王朝の仕事というのは否定はしないが、資料は同時代の文献もあたらなければならないし、それを理由に全てを否定するのは暴論では? 
    あと、諸葛亮の名声が劉備らの手によって広まったとする説は一面において正しいように思えるのだけれど、蜀取りで別軍を任せたり、いつも成都の留守を任せてる辺り、劉備はその能力も評価していたように思える。
    南蛮に関しては、南部での反乱鎮圧に一応諸葛亮が軍を率いて征伐したというのがあるな。もちろん、その後の事は馬忠らの尽力によるものだが。
    1115  学名ナナシ  :2009年01月11日 20:12  ID:77bJYBeq0
    >当時の権力者に阿るのは恥ずべき事
    中国のすべての正史は、今の王朝を正当化するためだけに作られていると言って過言じゃない。だから前の王朝の最後の君主はだいたい悪く書かれる。それによって今の王朝(つまり権力者)を持ち上げている。
    史家が偽るのを嫌ったというのは、あくまで主観が前提にあってのことで、上に出ている「犖未良」の故事(晋という国で君主が殺された時、史官だった犖未賄時国境へ逃れていた宰相の趙盾が君主を殺したと記録した、趙盾がそれに抗議すると、趙盾がその犯人を捕らえていない以上趙盾が殺したも同然だと犖未反論した)なんかは「春秋の筆法」という主観ありきで記している。

    つまり何が言いたいかというと、諸葛亮は演義で過大評価をされているということだ。
    1116  学名ナナシ  :2009年01月12日 12:41  ID:ky2FPsbX0
    >>1115
    客観的な事実をただ記すのではなく、それを勘案して評価することが歴史家にとって重要であると孔子は述べている。客観的に書くのではなく、積極的な歴史評価をすべきだという事だな。その点で言えば、最後の皇帝はまさしく国を滅ぼした人物なんだから、評価も厳しくなるだろう。そこに当時の君主の意がある、というのは否定しないけどね。
    一方で権力者による歴史事実の歪曲については身命を賭してまでこれに抵抗し、重大な事実は記載しなければいけないと述べている。
    今の王朝を正当化する為に〜云々は一面を捉えてはいるがね。

    演義の諸葛亮はもはや別人だろ。
    ただ、それを理由に正史の諸葛亮を過小評価する事は、それこそ馬鹿みたいな話だ。
    演義であんなスーパー軍師に描かれるのは、正史において評価されてるから。まあ演義の奴は諸葛亮という人物からかけ離れてるが。
    1117  学名ナナシ  :2009年01月13日 16:19  ID:VW6IR00t0
    正史三國志群雄銘銘傳は読むべき。
    筆者の個人的感情はときに行き過ぎだけど、読みやすい。
    ときどき正史の注を正史本体と区別なしに引いていて
    混乱するところはあるので、正史が横にある方がいいとは思うが。
    1118  学名ナナシ  :2009年01月13日 18:05  ID:8bFCzPLz0
    劉備は黄巾討伐以降、戦のための戦(侵略戦)をほとんどしてないと思うのよね。
    諸葛亮を頼んだのは、軍略というより漢朝復興の大略を立てるためだと思う。
    諸葛亮の説得力で後押しされたから動けた、ってことじゃないのかな。
    1119  学名ナナシ  :2009年01月15日 05:11  ID:Oji25yGw0
    諸葛亮は正史において単独で触れられている数少ない家臣だからなぁ。というか、家臣で他に同じ扱いされてるのは他には呉の陸遜だけだった筈。
    少なくとも並外れて優秀であった事は間違いないかと。
    呉も気にしなきゃいけない状況でちょくちょくと蜀からちょっかいを出されるのは魏にとってはウザい事この上なかったろうし。

    まぁ、戦術レベルでは経験の少ない将に大任を任せたり、退却理由が兵站関係ばっかりだったりとたまに疑問符をつけざるをえないところもあるが、それ差し引いても相当の傑物ではあるかと。
    1120  学名ナナシ  :2009年01月15日 20:09  ID:7jnwLPvN0
    正史諸葛亮は政治家として評価していいんだろうな
    特に丞相時代の政治は厳しかったようだが比較的不平不満は少なかったようだし。
    孔明死後の李厳などのエピソードを見る限り。

    諸葛亮の評価って名政治家
    +救国の英雄・判官びいき的な…楽毅・岳飛評みたいの
    +演義で三国時代が有名
    が乗っかっているんだろうね
    演義の諸葛亮はアレですが。

    劉備の方は小劉邦って感じかな。軍事面では二流の猛将って感じも似てる
    求心力でいえば劉備の方が高いのだろうけど

    反論待ってる
    1121  学名ナナシ  :2009年01月18日 11:03  ID:AbYf0eKt0
    スレ立てた>>1=人物名をカタカナで書いてる人は
    最近ちょっと暴れてた人なんで。
    1122  学名ナナシ  :2009年01月18日 16:25  ID:WUSfIsv40
    劉備と曹操の決定的な差は、拠点となる地が有るか無しかなんだよな
    曹操には親族のツテがあった、劉備にはなかった
    1123  学名ナナシ  :2009年01月19日 01:07  ID:24RTIIeD0
    なんか面白かったな、今度三戦見てみよう
    1124  学名ナナシ  :2009年01月19日 04:59  ID:nbpsW8WD0
    演技の孔明は
    内政は荀(屯田兵
    策略は程─塀庶引き抜き
    軍略は周瑜、郭嘉(赤壁、蛮族討伐
    外交は魯粛(三国鼎立
    という人の活躍を自分の活躍のように
    する悪い癖があるな
    1125  学名ナナシ  :2009年01月27日 02:14  ID:w0gXcBnT0
    ぱらめーた式じゃないせん戦略シュミレーションってないのかな
    文句があるなら囲碁、将棋やってろだとは思うが
    1126  学名ナナシ  :2009年03月07日 05:39  ID:Az.M6hbV0
    孔明がいなかったら国家経営がうまくいかなかった
    劉備は地元のごろつきの親分になってるあたり腕っ節は強かったと思う
    1127  学名ナナシ  :2009年06月29日 21:59  ID:fZFbMzwm0
    そんなことより三国伝の轟勢のキット化が異様に少ない件
    1128  学名ナナシ  :2009年08月10日 09:29  ID:94I1XeFr0
    諸葛ビーム!
    1129  学名ナナシ  :2009年08月10日 09:47  ID:k4ro1UCr0
    能力もあったのだろうが、劉備が獲りにいった理由はやっぱり家名。

    諸葛亮の名はそれなりだったのかもしれないが、
    「諸葛」家の名はかなり知られた名だった。
    魏でも呉でも「諸葛」家の人間が登用、要職に就いていることからも判る。

    こぞって名家の人間を登用し、名声を取り込むことが勢力拡大には重要だった。

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