1 名無しの笛の踊り :2007/08/24(金) 20:38:40 ID:iSYHNTbK
有名と言われる後期3大交響曲は大したことないわ
ピアノ協奏曲は22番以降はカスだわ(20番、21番は素晴らしい)、
その他ピアノ独奏曲、ヴァイオリンソナタ・協奏曲等、価値の低い作品だわ、
でホント、過大評価もいいとこだよね、モオツアルトって。
前にCD集めまくりましたが、買って損したような気がします。
3 名無しの笛の踊り :2007/08/25(土) 07:15:19 ID:q9nleaHKピアノ協奏曲は22番以降はカスだわ(20番、21番は素晴らしい)、
その他ピアノ独奏曲、ヴァイオリンソナタ・協奏曲等、価値の低い作品だわ、
でホント、過大評価もいいとこだよね、モオツアルトって。
前にCD集めまくりましたが、買って損したような気がします。
俺はアンチモツだが、ピアコンの23、24、27はいいと思っているがな。
モツって甘えだよね。
7 名無しの笛の踊り :2007/08/26(日) 20:46:14 ID:KX8/1FHgモツって甘えだよね。
>>1
23番イ長調はなかなかいいよ。
22番、25番、26番は確かにアレだが・・
8 名無しの笛の踊り :2007/08/26(日) 20:56:46 ID:1ztn2TSo23番イ長調はなかなかいいよ。
22番、25番、26番は確かにアレだが・・
レクイエムは名曲だと思うが
13 名無しの笛の踊り :2007/08/27(月) 22:36:10 ID:JWNiR4ey

フィガロなんか音楽only10回以上
映像ありのDVDでも10回は見たがいつ見てもつまらん。
俺が見た数あるオペラのなかで最低ランクだぜ
これで傑作か?つうかこれでも奴にしては傑作だとすりゃモーツァルトって何?
笑いのセンスひとつとってもロッシーニの足元にも及ばん。
「過大評価」 モーツァルトほどこの言葉が似合う作曲家いないと思うわ
14 名無しの笛の踊り :2007/08/28(火) 09:07:02 ID:rootTy39映像ありのDVDでも10回は見たがいつ見てもつまらん。
俺が見た数あるオペラのなかで最低ランクだぜ
これで傑作か?つうかこれでも奴にしては傑作だとすりゃモーツァルトって何?
笑いのセンスひとつとってもロッシーニの足元にも及ばん。
「過大評価」 モーツァルトほどこの言葉が似合う作曲家いないと思うわ
>>13
傑作でもないのに20回以上聴いた理由は?
17 名無しの笛の踊り :2007/08/28(火) 21:16:29 ID:Cziq8RzN傑作でもないのに20回以上聴いた理由は?
>>13
お前鈍感だなw
フィガロが出来損ないの退屈なオペラなのは昔から周知の事実。
それを公言するのがタブーなだけ。
こんなことも分からんようでは一人前のモツアルト信者とは言えんな
19 名無しの笛の踊り :2007/08/29(水) 18:49:00 ID:ebgjpNFdお前鈍感だなw
フィガロが出来損ないの退屈なオペラなのは昔から周知の事実。
それを公言するのがタブーなだけ。
こんなことも分からんようでは一人前のモツアルト信者とは言えんな
>>13
モーツァルトに、ロッシーニと同じような笑いなんぞ期待しちゃいかんよ。
すでに同時代のスタンダールが、とっくの昔に指摘していることだろ。
21 名無しの笛の踊り :2007/08/29(水) 22:09:52 ID:cPr6GKk4モーツァルトに、ロッシーニと同じような笑いなんぞ期待しちゃいかんよ。
すでに同時代のスタンダールが、とっくの昔に指摘していることだろ。
>>19
ロッシーニ云々は別にして端的に退屈・不出来なオペラだと俺も思う。
台本の下らなさはオペラ好きなら全然気にならないが音楽自体の魅力が乏しいから。
これが致命的。倒錯的っていったらバロックオペラのが俺は好きだなぁ
23 名無しの笛の踊り :2007/08/30(木) 05:38:29 ID:aJaHtH3Hロッシーニ云々は別にして端的に退屈・不出来なオペラだと俺も思う。
台本の下らなさはオペラ好きなら全然気にならないが音楽自体の魅力が乏しいから。
これが致命的。倒錯的っていったらバロックオペラのが俺は好きだなぁ
>ピアノ協奏曲
23番は悪くないよな。逆に11、15、16あたりと9番ジュナミ以前の影も薄い。
まあ何にしろモオツアルトの過大評価はその通りだろう。前評判と
実際聞いてみた印象とのギャップありすぎで初心者にすぐ飽きられそう。
24 名無しの笛の踊り :2007/08/30(木) 17:29:06 ID:gpUvqMXx23番は悪くないよな。逆に11、15、16あたりと9番ジュナミ以前の影も薄い。
まあ何にしろモオツアルトの過大評価はその通りだろう。前評判と
実際聞いてみた印象とのギャップありすぎで初心者にすぐ飽きられそう。
交響曲38番 駄作
交響曲39番 駄作
交響曲40番 いまいち
交響曲41番 まあまあ良い
P協奏曲20番 傑作
P協奏曲21番 かなり良い
P協奏曲22番 駄作
P協奏曲23番 まあまあ良い
P協奏曲24番 駄作
P協奏曲25番 駄作
P協奏曲26番 超駄作
P協奏曲27番 駄作
34 名無しの笛の踊り :2007/08/31(金) 01:35:09 ID:kXkT/+k/交響曲39番 駄作
交響曲40番 いまいち
交響曲41番 まあまあ良い
P協奏曲20番 傑作
P協奏曲21番 かなり良い
P協奏曲22番 駄作
P協奏曲23番 まあまあ良い
P協奏曲24番 駄作
P協奏曲25番 駄作
P協奏曲26番 超駄作
P協奏曲27番 駄作
>P協奏曲24番 駄作
>P協奏曲25番 駄作
24,25番こそ、傑作中の傑作ではないか。
31 名無しの笛の踊り :2007/08/30(木) 19:14:42 ID:7Nb/SLOo>P協奏曲25番 駄作
24,25番こそ、傑作中の傑作ではないか。
俺の場合、23さんあたりのいう「前評判」なしに、中学生くらいのときから
いつの間にかモーツァルトが自然に自分の耳に入るようになってきちゃったので、
特にどれが傑作とか駄作とか考えたこともなかった、というのが本音だなあ。
まあ、肌の合わない人は無理に聴く必要もないんじゃないの。
35 名無しの笛の踊り :2007/08/31(金) 01:36:46 ID:TX/3LNsNいつの間にかモーツァルトが自然に自分の耳に入るようになってきちゃったので、
特にどれが傑作とか駄作とか考えたこともなかった、というのが本音だなあ。
まあ、肌の合わない人は無理に聴く必要もないんじゃないの。
いやなら聴くな。
終了。
39 名無しの笛の踊り :2007/08/31(金) 22:14:56 ID:B4JJzLkS終了。
>>35
聴いてはじめて過大評価だと分かる。
42 名無しの笛の踊り :2007/09/01(土) 00:12:35 ID:0g5dTztg聴いてはじめて過大評価だと分かる。
どれくらいが妥当な評価?
43 名無しの笛の踊り :2007/09/01(土) 06:41:43 ID:YqGTzu3Kべつに評価する必要ないだろ。
44 名無しの笛の踊り :2007/09/01(土) 11:38:59 ID:nazWbecO>>43
同意。評価なんて糞くらえだ。
大事なことは、その美がいかに心に響くかではないか?
45 名無しの笛の踊り :2007/09/01(土) 21:03:38 ID:VCH15hAJ同意。評価なんて糞くらえだ。
大事なことは、その美がいかに心に響くかではないか?
モーツァルトは死ぬのが遅すぎた・・・・。
47 名無しの笛の踊り :2007/09/02(日) 16:40:52 ID:tGun9TPG私はいまでもモーツァルトのピアノ演奏を忘れることができない。
それは心に響くものだった。
F.J. ハイドン
52 名無しの笛の踊り :2007/09/03(月) 21:39:46 ID:LHoZoesBそれは心に響くものだった。
F.J. ハイドン
>>47
本当にハイドンがそんなこと言ったのか?あまり聞かないが。
ちなみにモーツァルトの演奏を聴いたベートーヴェンが
「モーツァルトの演奏はポツポツと音を刻むようでレガートではなかった」
等々批判的に評価していたことは有名。
出典はチェルニーの「若き日の思い出」だったかな。
68 名無しの笛の踊り :2007/09/08(土) 11:24:20 ID:qxALwPsc本当にハイドンがそんなこと言ったのか?あまり聞かないが。
ちなみにモーツァルトの演奏を聴いたベートーヴェンが
「モーツァルトの演奏はポツポツと音を刻むようでレガートではなかった」
等々批判的に評価していたことは有名。
出典はチェルニーの「若き日の思い出」だったかな。
理屈ぬきでモーツァルトは平凡・単調・退屈だと思います。
マンネリの同工異曲が多い。最初が良くてもあとの楽章が手抜き?(才能の枯渇?)の駄作も多い。
クラシックの名曲が多数あるなかで、敢えて視野を狭めてモツだけに密着して聞く必然性が
全く見当たりません。
仮にモーツァルトの楽曲が突然発掘されたものとして、
日本人のお茶の間に21世紀の今日、初めて流されたとしましょう。
もちろん余計な賛辞や作曲家の美化伝説など前情報、先入観は無しで、
音だけの世界での話です。音楽ファン100人が100人
「モーツァルトって人の音楽は素晴らしい。彼は偉大な作曲家だったのだな!」
と心底本音で思うでしょうか?
僕はモーツァルトの支持者が精々10%できれば良いほうだと思います。
安倍政権より低い支持率です。
上っ面の浅薄な世評と作曲者の実力とのギャップが激しすぎる作曲家、
それがモーツァルトだと思います。
69 名無しの笛の踊り :2007/09/08(土) 14:25:12 ID:r6ESX8mCマンネリの同工異曲が多い。最初が良くてもあとの楽章が手抜き?(才能の枯渇?)の駄作も多い。
クラシックの名曲が多数あるなかで、敢えて視野を狭めてモツだけに密着して聞く必然性が
全く見当たりません。
仮にモーツァルトの楽曲が突然発掘されたものとして、
日本人のお茶の間に21世紀の今日、初めて流されたとしましょう。
もちろん余計な賛辞や作曲家の美化伝説など前情報、先入観は無しで、
音だけの世界での話です。音楽ファン100人が100人
「モーツァルトって人の音楽は素晴らしい。彼は偉大な作曲家だったのだな!」
と心底本音で思うでしょうか?
僕はモーツァルトの支持者が精々10%できれば良いほうだと思います。
安倍政権より低い支持率です。
上っ面の浅薄な世評と作曲者の実力とのギャップが激しすぎる作曲家、
それがモーツァルトだと思います。
>>68
では、お茶の間にウケる作曲家は誰ですか?
70 名無しの笛の踊り :2007/09/08(土) 15:10:41 ID:qxALwPscでは、お茶の間にウケる作曲家は誰ですか?
>>69
僕はお茶の間にウケる作曲家が誰か?をテーマに
論じていません。そんなスレでもありません。
モーツァルトは特に過大評価な作曲家と思うだけです。
誰が一番人気かは知らないけれど、音楽だけで判断すればすくなくともモーツァルト
は低評価が似合うと思うな、というお話です。
71 名無しの笛の踊り :2007/09/08(土) 18:04:53 ID:r6ESX8mC僕はお茶の間にウケる作曲家が誰か?をテーマに
論じていません。そんなスレでもありません。
モーツァルトは特に過大評価な作曲家と思うだけです。
誰が一番人気かは知らないけれど、音楽だけで判断すればすくなくともモーツァルト
は低評価が似合うと思うな、というお話です。
>70
そのわりには
「仮にモーツァルトの楽曲が突然発掘されたものとして、」
なんていう例え話(根拠のない)を持ち出してるのは何なの?
72 名無しの笛の踊り :2007/09/08(土) 18:40:54 ID:spb2jJymそのわりには
「仮にモーツァルトの楽曲が突然発掘されたものとして、」
なんていう例え話(根拠のない)を持ち出してるのは何なの?
>>71
>そのわり
何のわり?
一体何が問題なのかさっぱりわかりません。
75 名無しの笛の踊り :2007/09/09(日) 01:05:11 ID:fXFXrmLs>そのわり
何のわり?
一体何が問題なのかさっぱりわかりません。
経験的に言えば、モーツァルトはやはり天才と認めざるを得ません。
(バッハやベートーヴェンが天才であるようにね)
自分で演奏すればわかります。
私の場合は歌ですが、彼の歌は「不自然さ」がなくて、非常に歌いやすい
(難度のことではありません。)
その内部に情熱を秘めつつ、こちらの感情のうねりにぴたりと添い、
やがて、それがいつしかほとばしり出てくる。
と、自分でもわけのわからない飛翔へと、ぐーっと引っ張りあげられる
んですな。
気がつくと、憑かれたように歌ってることがあります。
とってもエキサイティングですよ。
87 名無しの笛の踊り :2007/09/10(月) 23:01:53 ID:4rGnurjk(バッハやベートーヴェンが天才であるようにね)
自分で演奏すればわかります。
私の場合は歌ですが、彼の歌は「不自然さ」がなくて、非常に歌いやすい
(難度のことではありません。)
その内部に情熱を秘めつつ、こちらの感情のうねりにぴたりと添い、
やがて、それがいつしかほとばしり出てくる。
と、自分でもわけのわからない飛翔へと、ぐーっと引っ張りあげられる
んですな。
気がつくと、憑かれたように歌ってることがあります。
とってもエキサイティングですよ。
>>75
私の経験では、バッハやベートーヴェンが天才なのは
自分が演奏しなくてもわかります。
この3者のなかで演奏の難易度が最も低いモーツァルトは
私もピアノ曲演奏しましたが、とても天才だとは思いませんでした。
練習にはいいけど曲がつまらんです。
78 名無しの笛の踊り :2007/09/09(日) 01:57:43 ID:fXFXrmLs私の経験では、バッハやベートーヴェンが天才なのは
自分が演奏しなくてもわかります。
この3者のなかで演奏の難易度が最も低いモーツァルトは
私もピアノ曲演奏しましたが、とても天才だとは思いませんでした。
練習にはいいけど曲がつまらんです。
そりゃ、人の意見でしょう。感じ方は人それぞれ。
そう思う人がいてもむろん結構。
(それとも楽理的に分析でもして、モーツァルトはワンパターンの
フレーズ使い回し主義だとか(その面はある程度否めなくもないが)、
こんなにオリジナリティに欠けるのよんとか、研究発表なさっているのかな?)
少なくとも私は、なんでこんなに人の情動に分け入って
来るんだろう、と、その妙にぞくぞくする瞬間を味わわせてもらってますよ。
そこに彼の天才を見るわけで。
これは幸せな音楽的経験ですわ。
94 名無しの笛の踊り :2007/09/12(水) 10:59:53 ID:dXjx4DcHそう思う人がいてもむろん結構。
(それとも楽理的に分析でもして、モーツァルトはワンパターンの
フレーズ使い回し主義だとか(その面はある程度否めなくもないが)、
こんなにオリジナリティに欠けるのよんとか、研究発表なさっているのかな?)
少なくとも私は、なんでこんなに人の情動に分け入って
来るんだろう、と、その妙にぞくぞくする瞬間を味わわせてもらってますよ。
そこに彼の天才を見るわけで。
これは幸せな音楽的経験ですわ。
俺が昔所属していた音楽サークルなどでもよく耳にしたことなのだが、
幼い頃からピアノを習っていて、ソナチネアルバムやソナタアルバムで
はじめて本格的にモーツァルトに出会った、という人は、
モーツァルトが嫌いだとか退屈だとかいう人が多いようだ。
一方、声楽や管楽器の経験者は、モーツァルトを高く評価する人が多い。
素人考えかもしれんが、要するにモーツァルトのピアノ曲は、ピアニストにとって
「ピアノ的」な音楽でなさすぎてつまらないのかもしれない。
97 名無しの笛の踊り :2007/09/12(水) 15:17:38 ID:0dqoWWur幼い頃からピアノを習っていて、ソナチネアルバムやソナタアルバムで
はじめて本格的にモーツァルトに出会った、という人は、
モーツァルトが嫌いだとか退屈だとかいう人が多いようだ。
一方、声楽や管楽器の経験者は、モーツァルトを高く評価する人が多い。
素人考えかもしれんが、要するにモーツァルトのピアノ曲は、ピアニストにとって
「ピアノ的」な音楽でなさすぎてつまらないのかもしれない。
>>94
それは基本的にレパートリーの少なさからくるんじゃない?
ピアノ曲なんていくらでもあるけど、木管や金管の独奏曲、協奏曲ってあの時代以降ほとんどつくられてないし。
管のソリストのレパ見ても大体、バロック、モツ、現代って感じのがおおい
95 名無しの笛の踊り :2007/09/12(水) 13:34:41 ID:DV1jLmqDそれは基本的にレパートリーの少なさからくるんじゃない?
ピアノ曲なんていくらでもあるけど、木管や金管の独奏曲、協奏曲ってあの時代以降ほとんどつくられてないし。
管のソリストのレパ見ても大体、バロック、モツ、現代って感じのがおおい
確かにモーツァルトのピアノ曲は良いとは思わないが、管楽器の作品は良いものばかり。そんな俺はクラリネット奏者。
98 名無しの笛の踊り :2007/09/12(水) 16:53:50 ID:BhBO0b1Qモーツァルトの大部分は真面目に聴く音楽・芸術ではなくて、BGMとして右耳から
左耳に素通りしていく、いわば聞き流す音楽だな。
但しピアノ協奏曲20番だけは芸術作品として素晴らしい。
99 名無しの笛の踊り :2007/09/12(水) 17:44:28 ID:G6soMaV4左耳に素通りしていく、いわば聞き流す音楽だな。
但しピアノ協奏曲20番だけは芸術作品として素晴らしい。
モーツァルトは未完成多数作曲者じゃないかと。
しかし、天衣無縫に、あらゆる方向を歩き回ったので、
後世の作曲家に、たくさんのヒントを残した偉大さがある。
作曲家としてより、後の偉大な作曲家たちに残した種としての評価が
正しい気がする
100 名無しの笛の踊り :2007/09/12(水) 21:19:52 ID:lBsQoOF/しかし、天衣無縫に、あらゆる方向を歩き回ったので、
後世の作曲家に、たくさんのヒントを残した偉大さがある。
作曲家としてより、後の偉大な作曲家たちに残した種としての評価が
正しい気がする
>>99
後世への影響力でも
バッハ、ベートーヴェン>>>>>>>>>>モーツァルト
というのが常識の筈ですよ。
もっとも、後世への影響力の有無と
個人にとっての鑑賞価値の高さとは全然別個の問題だと思うけどね。
102 名無しの笛の踊り :2007/09/13(木) 00:35:31 ID:XD1ITYip後世への影響力でも
バッハ、ベートーヴェン>>>>>>>>>>モーツァルト
というのが常識の筈ですよ。
もっとも、後世への影響力の有無と
個人にとっての鑑賞価値の高さとは全然別個の問題だと思うけどね。
>>99
どだろう? 後世への影響という点ではモツはかなり少ないと思う。
個人的にモツが評価されてるところは、ベト以降の作曲家にもバロックにもない、古典派の土台の上にあるくつろいだ雰囲気
105 名無しの笛の踊り :2007/09/13(木) 08:30:18 ID:tYmNgjAeどだろう? 後世への影響という点ではモツはかなり少ないと思う。
個人的にモツが評価されてるところは、ベト以降の作曲家にもバロックにもない、古典派の土台の上にあるくつろいだ雰囲気
バッハもベートーベンもショパンもラフマニノフも、ああ重い重い!って気分のときに、
モーツァルトがなかったらきついな
あ、でもハイドンなどあの時期の人ならだれでもいいか、よく考えると。
106 名無しの笛の踊り :2007/09/14(金) 20:39:49 ID:EkjGHahhモーツァルトがなかったらきついな
あ、でもハイドンなどあの時期の人ならだれでもいいか、よく考えると。
モオツアルトは音楽を「デザイン」していたんだろうな
音感良すぎで、一つ一つの音が際立ちすぎ
107 名無しの笛の踊り :2007/09/15(土) 11:29:06 ID:qnD1nZUe音感良すぎで、一つ一つの音が際立ちすぎ
ピアノ曲は、確かに退屈と思うものなきにしもあらず。
でも、あれだけ多作だと、凡庸なものも中にはあってもしかたない。
レパートリー全体を見渡せば、好き嫌いは別にして、
非凡な才の持ち主というほかないな。
115 名無しの笛の踊り :2007/09/16(日) 01:21:56 ID:wyTDCWV+でも、あれだけ多作だと、凡庸なものも中にはあってもしかたない。
レパートリー全体を見渡せば、好き嫌いは別にして、
非凡な才の持ち主というほかないな。
モーツァルトが別に平凡だとは思わんが、他の作曲家と何か違った
特別な存在だという気もしない。
思うに、日本でモーツァルトの特別扱いというか、「偏愛」のようなものが
始まったのは、小林秀雄あたりからじゃないか?
クラシックと言えばベートーヴェンが代名詞になっていたような時代、
しかつめらしく荘重な音楽こそクラシック、というまだ未熟な日本人の認識に
対する一種のアンチテーゼとして、小林の論が提出され、知識人に受け入れられ、
そこから…、のような気がするな。
まだ推測の域だが。
116 名無しの笛の踊り :2007/09/16(日) 07:35:56 ID:0x/z88wy特別な存在だという気もしない。
思うに、日本でモーツァルトの特別扱いというか、「偏愛」のようなものが
始まったのは、小林秀雄あたりからじゃないか?
クラシックと言えばベートーヴェンが代名詞になっていたような時代、
しかつめらしく荘重な音楽こそクラシック、というまだ未熟な日本人の認識に
対する一種のアンチテーゼとして、小林の論が提出され、知識人に受け入れられ、
そこから…、のような気がするな。
まだ推測の域だが。
>>115 同感です。
日本特有のある種異様なモツ礼賛は、元々「アンチ」として
小林あたりから始まった(と思う)。
確かに、今で言う「精神性」をクラシックの真髄、至上価値と固く信じた
当時の日本の状況では、モツもハイドンも、ロッシーニもヴィヴァルディも
評価される余地はなかった。
当時としては、小林らのモツ論は先鋭な思潮ではあった。
だが、欧米の先端動向を容易に知り得る現在では、その意義は激減し、
弊害だけが残った。皮肉にも、日本のモツ論自体が作曲者の伝説を増幅する
排他的で頑迷な信仰の場と化してしまった。
小林本人も神格化され、影響された評論家が多数登場した。
小林以前と何が変わったのだろう?
何のことはない、崇拝対象がシフトしただけ。
子どもじみた偶像崇拝や権威主義的な姿勢こそが問題なのだが。
117 名無しの笛の踊り :2007/09/16(日) 08:34:11 ID:FcgZCZQE日本特有のある種異様なモツ礼賛は、元々「アンチ」として
小林あたりから始まった(と思う)。
確かに、今で言う「精神性」をクラシックの真髄、至上価値と固く信じた
当時の日本の状況では、モツもハイドンも、ロッシーニもヴィヴァルディも
評価される余地はなかった。
当時としては、小林らのモツ論は先鋭な思潮ではあった。
だが、欧米の先端動向を容易に知り得る現在では、その意義は激減し、
弊害だけが残った。皮肉にも、日本のモツ論自体が作曲者の伝説を増幅する
排他的で頑迷な信仰の場と化してしまった。
小林本人も神格化され、影響された評論家が多数登場した。
小林以前と何が変わったのだろう?
何のことはない、崇拝対象がシフトしただけ。
子どもじみた偶像崇拝や権威主義的な姿勢こそが問題なのだが。
「子どもじみた偶像崇拝や権威主義的な姿勢」
によって生じるデメリットって何?誰にどういう損害が生じる?
118 名無しの笛の踊り :2007/09/16(日) 09:38:06 ID:0x/z88wyによって生じるデメリットって何?誰にどういう損害が生じる?
>>117
音楽史の認識や作曲家の評価を歪める。
かつてはモーツァルトもその被害者の1人。
ベートーヴェン、それも日本流に誤解された妙なベートーヴェン像が
日本のクラシック界に於ける絶対的権威として君臨し、
モーツァルトなどは必要以上に蔑まれた。
(モーツァルト好きに多く見られる攻撃性やベートーヴェン敵視は
このアンチ時代に育まれたものか?)
でも、小林以降のモツ崇拝も結局同じ轍を踏んでるのではないか、
ということ。対象変えただけで手法は昔と一緒。進歩なし。
これは目には見えにくいが、多くの人に影響を与えうる問題だよ。
122 名無しの笛の踊り :2007/09/16(日) 12:27:49 ID:0x/z88wy音楽史の認識や作曲家の評価を歪める。
かつてはモーツァルトもその被害者の1人。
ベートーヴェン、それも日本流に誤解された妙なベートーヴェン像が
日本のクラシック界に於ける絶対的権威として君臨し、
モーツァルトなどは必要以上に蔑まれた。
(モーツァルト好きに多く見られる攻撃性やベートーヴェン敵視は
このアンチ時代に育まれたものか?)
でも、小林以降のモツ崇拝も結局同じ轍を踏んでるのではないか、
ということ。対象変えただけで手法は昔と一緒。進歩なし。
これは目には見えにくいが、多くの人に影響を与えうる問題だよ。
モーツァルトの交響曲全集、俺持ってるけどね、
クラ好きにその話すると「ヘぇ物好きだねw」みたいな反応されるよ。
だって半分以上の曲が100年以上も忘れ去られてて
演奏も録音もされなかった曲だもん。
そりゃどう考えてもベートーヴェンの交響曲全集、ピアノ協奏曲全集、
ピアノ・ソナタ全集のほうが圧倒的に売れてるよ。
モーツァルトが持続的に特別高い人気というのは真赤な嘘。
個人的に好きだという気持ちを、客観的評価にまで強引に結びつける発言
するモツオタが多いから、アンチに反感持たれやすいのだと思う。
そこが過大評価なんだよ、って。
130 名無しの笛の踊り :2007/09/16(日) 13:20:53 ID:wyTDCWV+クラ好きにその話すると「ヘぇ物好きだねw」みたいな反応されるよ。
だって半分以上の曲が100年以上も忘れ去られてて
演奏も録音もされなかった曲だもん。
そりゃどう考えてもベートーヴェンの交響曲全集、ピアノ協奏曲全集、
ピアノ・ソナタ全集のほうが圧倒的に売れてるよ。
モーツァルトが持続的に特別高い人気というのは真赤な嘘。
個人的に好きだという気持ちを、客観的評価にまで強引に結びつける発言
するモツオタが多いから、アンチに反感持たれやすいのだと思う。
そこが過大評価なんだよ、って。
ただ、モーツァルトにとって一つ不幸なことは、口当たりの良さゆえに、
ライトクラシック入門編のような扱いをされたり、ひどいときには、
色物扱いされていることだ。
これを聞かせると、植物の育ちがいいとか、牛の乳の出がよくなるとか、
子どもの頭がよくなるとか…。
コアなクラシックファンにそっぽを向かれる一つの原因になっているのじゃ
ないかと思う。
133 名無しの笛の踊り :2007/09/16(日) 18:13:38 ID:38n9K8bUライトクラシック入門編のような扱いをされたり、ひどいときには、
色物扱いされていることだ。
これを聞かせると、植物の育ちがいいとか、牛の乳の出がよくなるとか、
子どもの頭がよくなるとか…。
コアなクラシックファンにそっぽを向かれる一つの原因になっているのじゃ
ないかと思う。
モツの曲は演奏家にとっては、自身の実力をアピールするには不向きの曲だと
思うしね。(ヴァイオリンにしてもピアノにしても)
だから、名が売れ始めたソリストがモーツァルトからCDを録音するなんて、まず
ないよね。
ある程度、経歴が安定してる人が、個人的にもまあまあ好きだから演奏するみたいな感じ?
そういう意味では、強いて言うと管楽器のアンサンブルなんかは演奏者にとっても
ある程度やりがいがあるんじゃないかな?
137 名無しの笛の踊り :2007/09/19(水) 08:08:21 ID:iukPv836思うしね。(ヴァイオリンにしてもピアノにしても)
だから、名が売れ始めたソリストがモーツァルトからCDを録音するなんて、まず
ないよね。
ある程度、経歴が安定してる人が、個人的にもまあまあ好きだから演奏するみたいな感じ?
そういう意味では、強いて言うと管楽器のアンサンブルなんかは演奏者にとっても
ある程度やりがいがあるんじゃないかな?
モーツァルトが退屈だと感じさせる原因の一つは、一見「深遠な」思想性が
あまり感じられないからだろう。
特にピアノ曲なんかは、なんだかスラスラス〜っと終ってしまう印象がある。
その時代、音楽家は宮廷雇われ人で、貴族どもの注文に応じて、彼らの喜ぶ音楽を
書いたり演奏したりしなければならない。
ベートーヴェンまで下ると、ある程度自主性の余地ができ、音楽で「自分を
主張する」ことが可能になった。
それ以降は、もう「主張」の嵐。自分の思想や技巧を、これでもかと見せつける
ようになる。
そんな音楽と比べたら、モーツァルトが退屈に感じられても、ある面しかたないだろうな。
でも、現在「偉大」と評されるバッハだって、メンデルスゾーンが発掘して
再演していなければ、死後ずっと忘れ去られた存在だったんだから、結局は、
人の好みや評価なんて、あやふやなものだってことだよな。
139 名無しの笛の踊り :2007/09/19(水) 15:22:13 ID:Fi4UCJPyあまり感じられないからだろう。
特にピアノ曲なんかは、なんだかスラスラス〜っと終ってしまう印象がある。
その時代、音楽家は宮廷雇われ人で、貴族どもの注文に応じて、彼らの喜ぶ音楽を
書いたり演奏したりしなければならない。
ベートーヴェンまで下ると、ある程度自主性の余地ができ、音楽で「自分を
主張する」ことが可能になった。
それ以降は、もう「主張」の嵐。自分の思想や技巧を、これでもかと見せつける
ようになる。
そんな音楽と比べたら、モーツァルトが退屈に感じられても、ある面しかたないだろうな。
でも、現在「偉大」と評されるバッハだって、メンデルスゾーンが発掘して
再演していなければ、死後ずっと忘れ去られた存在だったんだから、結局は、
人の好みや評価なんて、あやふやなものだってことだよな。
>>137
でもベトやモツはバッハ研究してたってよく言われるしな。
聴衆には忘れられてても、専門家からは高い評価を確立してたんじゃない?
ちょうどマーラーがそんな感じがする。
戦後にこぞって有名な指揮者がとりあげたし、新ウィーン学派やタコもマーラー研究してたし
141 名無しの笛の踊り :2007/09/19(水) 16:07:31 ID:iukPv836でもベトやモツはバッハ研究してたってよく言われるしな。
聴衆には忘れられてても、専門家からは高い評価を確立してたんじゃない?
ちょうどマーラーがそんな感じがする。
戦後にこぞって有名な指揮者がとりあげたし、新ウィーン学派やタコもマーラー研究してたし
>>139
そりゃ当然、専門家だって勉強して、先人の和法や作曲法を
学んでいる。モーツァルトは、師匠筋のハイドンの影響も大きい。
144 名無しの笛の踊り :2007/09/19(水) 22:51:52 ID:kbkrwVCKそりゃ当然、専門家だって勉強して、先人の和法や作曲法を
学んでいる。モーツァルトは、師匠筋のハイドンの影響も大きい。
フルート協奏曲とホルン協奏曲は好き
162 名無しの笛の踊り :2007/09/21(金) 09:10:52 ID:tcSD41Xdまあ駄作もあるが600以上の曲を短い生涯で作っちゃったことには驚く
俺が思うにモッツァルトはDJに向いてるんじゃないか
177 名無しの笛の踊り :2007/09/22(土) 16:57:05 ID:SY0cSZuh俺が思うにモッツァルトはDJに向いてるんじゃないか
なるほど、どうやらモーツァルトを過大評価だとか言ったり、
22番以降のピアノ協奏曲を駄作だとか決め付けたりする連中は、
ベームやワルターを馬鹿にして、カラヤンあたりを持ち上げる
連中とメンバーがかなり一致するらしいな。やっとわかってきた。
要するに、モーツァルトを軽視する奴らは、本当に感動的な
実のあるモーツァルトの演奏を理解できないということだ。
178 名無しの笛の踊り :2007/09/22(土) 17:09:03 ID:81691/Dz22番以降のピアノ協奏曲を駄作だとか決め付けたりする連中は、
ベームやワルターを馬鹿にして、カラヤンあたりを持ち上げる
連中とメンバーがかなり一致するらしいな。やっとわかってきた。
要するに、モーツァルトを軽視する奴らは、本当に感動的な
実のあるモーツァルトの演奏を理解できないということだ。
古楽器の軽佻な演奏もモーツァルトを歪める駄演である。
ベームやワルターという選び抜かれた最高の理解者を得て
モーツァルトの空前絶後の天才性が正しく感得されるのである。
179 名無しの笛の踊り :2007/09/22(土) 17:26:29 ID:NlPHw5f7ベームやワルターという選び抜かれた最高の理解者を得て
モーツァルトの空前絶後の天才性が正しく感得されるのである。
くだらないとか駄作とかいう人は、
それらを超える曲を書いてみれば
いいのさ。
180 名無しの笛の踊り :2007/09/22(土) 17:59:31 ID:ipcRjmnGそれらを超える曲を書いてみれば
いいのさ。
私は古楽器の演奏を聴いてモーツァルトが好きになったよ。
181 名無しの笛の踊り :2007/09/22(土) 18:23:57 ID:jlE+T0ng>>180
私もです。
しかし私は古楽器には拘ってません。
嫌いなのは>>177あたりで挙がってる人などが、1stヴァイオリンだけで
10人以上もいるような肥大化したオーケストラで演奏するモーツァルト。
190 名無しの笛の踊り :2007/09/24(月) 23:54:38 ID:SEdthZA1私もです。
しかし私は古楽器には拘ってません。
嫌いなのは>>177あたりで挙がってる人などが、1stヴァイオリンだけで
10人以上もいるような肥大化したオーケストラで演奏するモーツァルト。
聞きたい曲を聞く、それだけです。
1はメディアが作ったマジョリティに賛同して安心してる人たちに疑問があるんだね。
気にすんな。。
277 名無しの笛の踊り :2007/09/30(日) 11:35:43 ID:25UvXrvP1はメディアが作ったマジョリティに賛同して安心してる人たちに疑問があるんだね。
気にすんな。。
だいだい好きな作曲家の曲でも、全部好きなんて人いるのかよ。
284 名無しの笛の踊り :2007/09/30(日) 13:33:47 ID:9Fs7GcLj結局、>>1をはじめとする批判者たちが何にかみついているのかが、イマイチ
よくわからない。
「モーツァルト=神・奇跡」的な思潮・発言に対してなのか、それとも
普通にモーツァルトを音楽史における優れた作曲家のラインに置くこと自体
なのか。
前者は、これはもう「妄想・妄言」の類であって、どんな作曲家のファンであれ、
ここまでイッテしまうと、失笑を買うか相手にされないかだろう。
「○○は神・奇跡」に、任意の名前、ベートーベンでもマーラーでも入れてみるといい。
こんなことを口にする者は、まともなクラファンの目からは、無視の対象となるはず。
で、後者とすると、モーツァルトの曲の、どこが他の作曲家のと同列に置けないのか、
ここのところが、今まであまり明らかに語られてきていない。
その上で、モツオタの「極論」批判に傾いているから、ますますわからなくなるし、
そして、結局は「個人の感じ方の違いだろう」という批判を許す。
そこのところは、どうなのかね。
自分にとっては、モーツァルトは、どちらかというと「退屈で面白くない」部類に入る。
他に偏愛している作曲家もいるし。
しかし、そのことと彼の音楽的な価値が相関関係にあるかどうかは、わからない。
それを知りたいと思う。
326 名無しの笛の踊り :2007/10/03(水) 05:22:26 ID:j7emNkQyよくわからない。
「モーツァルト=神・奇跡」的な思潮・発言に対してなのか、それとも
普通にモーツァルトを音楽史における優れた作曲家のラインに置くこと自体
なのか。
前者は、これはもう「妄想・妄言」の類であって、どんな作曲家のファンであれ、
ここまでイッテしまうと、失笑を買うか相手にされないかだろう。
「○○は神・奇跡」に、任意の名前、ベートーベンでもマーラーでも入れてみるといい。
こんなことを口にする者は、まともなクラファンの目からは、無視の対象となるはず。
で、後者とすると、モーツァルトの曲の、どこが他の作曲家のと同列に置けないのか、
ここのところが、今まであまり明らかに語られてきていない。
その上で、モツオタの「極論」批判に傾いているから、ますますわからなくなるし、
そして、結局は「個人の感じ方の違いだろう」という批判を許す。
そこのところは、どうなのかね。
自分にとっては、モーツァルトは、どちらかというと「退屈で面白くない」部類に入る。
他に偏愛している作曲家もいるし。
しかし、そのことと彼の音楽的な価値が相関関係にあるかどうかは、わからない。
それを知りたいと思う。
BGM作曲家モツ
327 名無しの笛の踊り :2007/10/03(水) 22:28:01 ID:j/3licET>>326
実際多くの曲は、祝典なんかのBGM(機会音楽っていうんですよ)として作曲されたものなんですよ。
他方、ベートーベンが写譜して勉強したような曲も書いてます。初心者の方には難しいかも知れませんが、
そういう曲もお聴きになられてはいかがでしょうか。
338 名無しの笛の踊り :2007/10/06(土) 06:43:47 ID:bdQenR8f実際多くの曲は、祝典なんかのBGM(機会音楽っていうんですよ)として作曲されたものなんですよ。
他方、ベートーベンが写譜して勉強したような曲も書いてます。初心者の方には難しいかも知れませんが、
そういう曲もお聴きになられてはいかがでしょうか。
>>327
>>祝典なんかのBGM(機会音楽っていうんですよ)
この説明間違っていませんか?
BGM≠機会音楽。両者は全く別個の概念。BGMで括れないオペラも多くは機会音楽。
受注と無関係に作曲された音楽=非・機会音楽でもBGMはやはりBGM。
また、祝典で使用≠機会音楽。
特定の祝典ではなく祝典一般での使用を想定し、
受注と無関係に作曲されれば、それは機会音楽ではない。
345 名無しの笛の踊り :2007/10/07(日) 10:12:30 ID:L0+4fxPX>>祝典なんかのBGM(機会音楽っていうんですよ)
この説明間違っていませんか?
BGM≠機会音楽。両者は全く別個の概念。BGMで括れないオペラも多くは機会音楽。
受注と無関係に作曲された音楽=非・機会音楽でもBGMはやはりBGM。
また、祝典で使用≠機会音楽。
特定の祝典ではなく祝典一般での使用を想定し、
受注と無関係に作曲されれば、それは機会音楽ではない。
モーツァルトの音楽はおいしい水を飲む感じ。
ベートーベンの音楽は3日間煮込んだ濃いスープを飲む感じ。
そのときの最大瞬間風速はベートーベンの方が上だが、何度も聞いてたら気持ち悪くなってくる。
もういい、分かったから落ち着けっていう。
346 名無しの笛の踊り :2007/10/07(日) 10:32:19 ID:qrjQkZD/ベートーベンの音楽は3日間煮込んだ濃いスープを飲む感じ。
そのときの最大瞬間風速はベートーベンの方が上だが、何度も聞いてたら気持ち悪くなってくる。
もういい、分かったから落ち着けっていう。
要するに、
モーツァルトの音楽はさっぱりしてて
ベートーヴェンの音楽はむつこいって事か
349 名無しの笛の踊り :2007/10/07(日) 14:18:25 ID:vjT6ByY3モーツァルトの音楽はさっぱりしてて
ベートーヴェンの音楽はむつこいって事か
>>346
「むつこい」ってはじめて聞いた。
四国の方言?
353 名無しの笛の踊り :2007/10/07(日) 19:12:55 ID:PN6NydJN「むつこい」ってはじめて聞いた。
四国の方言?
モツには心に響く曲も何も感じない曲も混じってる。
高校の音楽選択の授業では、モツのオペラを何曲か抜粋して歌った。
このとき歌うのは心地よく割と気に入っていた。
同時期に習いに行っていたピアノ教室ではモツのソナタは退屈で、
なんてつまらない曲だろうと思っていた。
今はピアノソナタの中の何曲かは気に入っていて、オペラはダメ。
他の作品にも、いいと思った時期があったものもあるし、
一度もいいと思ったことがない曲もある。
この先気に入ることがあるかもしれないしないかもしれない。
音楽は変わってないから、聞き手の自分が変わったのだとと思うし、
常に感じ方は変わるものだと思う。
高校の音楽選択の授業では、モツのオペラを何曲か抜粋して歌った。
このとき歌うのは心地よく割と気に入っていた。
同時期に習いに行っていたピアノ教室ではモツのソナタは退屈で、
なんてつまらない曲だろうと思っていた。
今はピアノソナタの中の何曲かは気に入っていて、オペラはダメ。
他の作品にも、いいと思った時期があったものもあるし、
一度もいいと思ったことがない曲もある。
この先気に入ることがあるかもしれないしないかもしれない。
音楽は変わってないから、聞き手の自分が変わったのだとと思うし、
常に感じ方は変わるものだと思う。

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確かにモーツァルトは聴いてても「はあ〜〜」とはならんのよな。
そういう意味ではブラームスの緻密さ、メンデルスゾーンの軽快さ、ドヴォルザークの語り口のが深く響いてくる。
けど、俺はオーケストラのはじまりを感じたいときにモーツァルトをよく聴くよ。
どちらかというと音楽を聴くんじゃなくて勉強する感じ。
けど、過大評価だ過大評価だと言う奴は並居る巨匠がどういう意図でモーツァルトを取り上げるのか理解しているのか?色物扱いする奴なんかは冷やかな目で見てやればいいんだから素直に数百年残った音楽を楽しもうぜ?
そういう意味ではブラームスの緻密さ、メンデルスゾーンの軽快さ、ドヴォルザークの語り口のが深く響いてくる。
けど、俺はオーケストラのはじまりを感じたいときにモーツァルトをよく聴くよ。
どちらかというと音楽を聴くんじゃなくて勉強する感じ。
けど、過大評価だ過大評価だと言う奴は並居る巨匠がどういう意図でモーツァルトを取り上げるのか理解しているのか?色物扱いする奴なんかは冷やかな目で見てやればいいんだから素直に数百年残った音楽を楽しもうぜ?
緊張を帯びたAメロ、Bメロから開放的で聴きやすいサビへと展開するポップソンングは全てトルコ行進曲型と分類してる
おまえたちは何を言ってるんだ
モーツァルトの曲が単純でどうもつまらんなぁという人は、短調の曲を聴いてみるといいと思う。
レクイエム、魔笛の夜の女王のアリア、ピアノ協奏曲の20番、23番の2楽章とか。
印象が変わること請け合いです。
もっとも、自分は同じく短調の交響曲40番はあまり好きじゃないが。
スレでは結構糞扱いされてるけど、20番以降のピアノ協奏曲は傑作が多いと思うけどなぁ。。。
27番とか長調で明るいんだけど、寂しすぎる風情が何とも言えない。
人生の最後に迎えた春をしみじみ味わっているという感じかな。
レクイエム、魔笛の夜の女王のアリア、ピアノ協奏曲の20番、23番の2楽章とか。
印象が変わること請け合いです。
もっとも、自分は同じく短調の交響曲40番はあまり好きじゃないが。
スレでは結構糞扱いされてるけど、20番以降のピアノ協奏曲は傑作が多いと思うけどなぁ。。。
27番とか長調で明るいんだけど、寂しすぎる風情が何とも言えない。
人生の最後に迎えた春をしみじみ味わっているという感じかな。
むつこいが気になる
専門スレには変態が多いんだな・・・・
モーツァルトの高音ラッシュを聞いてると気が狂う。
皆さん、何を言ってるのかさっぱり理解できません
日本語でお願いします
日本語でお願いします
モーツアルトは、現代だったらCM曲とかアニメのCM前後のやつの曲とか、
そういうのでものすごい才能を発揮すると思う。
シンプルで耳に残るフレーズをものすごいところから引っ張り出す天才。
そういうのでものすごい才能を発揮すると思う。
シンプルで耳に残るフレーズをものすごいところから引っ張り出す天才。
俺はクラシックに関しては素人なんだが、バッハやベートーベンには
そんな俺の鈍感な精神をガツンと揺さぶるくらいのパワーがあった。
モーツァルトの曲の多くにはそういうものを全く感じなかった。
レクイエムや交響曲40番は気に入ったが、他はことごとく、
当時のブルジョワが好んだライトな流行通俗音楽という感じで、心に響かない。
このスレ読むまでは、自分の音楽的感性が足りてないからなのかと
思ってたが、同じ事感じてる奴は多いんだな。
しかし、こんなに否定的なスレなのになんだか興味が湧いてきてしまった。
ピアノ協奏曲はあまり聴いてないので探して聴き比べてみようと思う。
そんな俺の鈍感な精神をガツンと揺さぶるくらいのパワーがあった。
モーツァルトの曲の多くにはそういうものを全く感じなかった。
レクイエムや交響曲40番は気に入ったが、他はことごとく、
当時のブルジョワが好んだライトな流行通俗音楽という感じで、心に響かない。
このスレ読むまでは、自分の音楽的感性が足りてないからなのかと
思ってたが、同じ事感じてる奴は多いんだな。
しかし、こんなに否定的なスレなのになんだか興味が湧いてきてしまった。
ピアノ協奏曲はあまり聴いてないので探して聴き比べてみようと思う。
むつこいってのは阿波(徳島)弁だな
味が濃いみたいな意味合いだったかと
高校までずっと徳島に居たけど聞いたことは1回くらいしかない
味が濃いみたいな意味合いだったかと
高校までずっと徳島に居たけど聞いたことは1回くらいしかない
人それぞれ、でいいじゃないか
俺にはチャイコフスキーの良さが分からん
俺にはチャイコフスキーの良さが分からん
これだからクラオタはキモいんだよ
変にえらそうというか変な選民意識持ってるんだよねこいつら
変にえらそうというか変な選民意識持ってるんだよねこいつら
ど素人だけど、バッハやベートーベンはたまに聴く。
高校の柔道の先生が無人島に何か一つ持っていくならばベートーベンのなんたら
を持っていく。あれは俺の人生の宝物だみたいなこち言ってて、俺も影響受けて聴いてた。
でもちょっと調べるとモツが一歩各上な扱いされてて、ベートーベンが好きだと言うと「プッ素人が」みたいな嘲笑されて俺のセンスはまだまだだなと思ってたけど
別に恥ずかしいことじゃなかったんだ。
高校の柔道の先生が無人島に何か一つ持っていくならばベートーベンのなんたら
を持っていく。あれは俺の人生の宝物だみたいなこち言ってて、俺も影響受けて聴いてた。
でもちょっと調べるとモツが一歩各上な扱いされてて、ベートーベンが好きだと言うと「プッ素人が」みたいな嘲笑されて俺のセンスはまだまだだなと思ってたけど
別に恥ずかしいことじゃなかったんだ。
これ、過大評価だって思ってる少数派が群れて馴れ合ってるだけじゃないの?
音楽の好き嫌いなんてどうでもいいじゃまいか(´・ω・`)
音楽の好き嫌いなんてどうでもいいじゃまいか(´・ω・`)
>>13
クラシック自体もともとそういうもんだから仕方ないかも
ただ趣味で人を判断しようとすると自爆するぜ
クラシック自体もともとそういうもんだから仕方ないかも
ただ趣味で人を判断しようとすると自爆するぜ
>>1013
関係ないスレであの書き方だったらキモイが
クラオタの集まるスレなんだからあれで良いだろ
仲間内の会話なんだし
関係ないスレであの書き方だったらキモイが
クラオタの集まるスレなんだからあれで良いだろ
仲間内の会話なんだし
結局クラシックだろうと何だろうと
自分が好きなものを聴けばいいんじゃね?
評価だとかなんだとかを一切気にしないで
自分が好きなものを聴けばいいんじゃね?
評価だとかなんだとかを一切気にしないで
好きでない物が評価されてると過大評価って吼えるのはどの分野のヲタも同じなんだなw
このスレに出てくる固有名詞を入れ替えたら、アニオタやらエロゲオタの会話として成立するなw
何のオタも結局は同じ。
何のオタも結局は同じ。
200年未来の人間に普通にいちゃもんつけてもらえる時点ですごいと思うが
>>1020
確かにそうだw
>>1020
確かにそうだw
moveのラッパーMOTSUを馬鹿にしたら俺が許さん
心に響く響かないって
そんな主観ありきでどう議論しろと
そんな主観ありきでどう議論しろと
信者とアンチが選民意識丸出しでお互いを否定しあっててワロタ
エロゲオタがお気に入りのキャラ談義してるのとかわんねーな。
エロゲオタがお気に入りのキャラ談義してるのとかわんねーな。
>>1013
ガンダムとかミリタリーとかと大して変わらん気がするが
ガンダムとかミリタリーとかと大して変わらん気がするが
確かに、モーツアルトは聞きやすいけど、軽い感じがする。
食前酒みたいに最初に聞くのはいいけど、ずっと聴いていくと飽きそう
食前酒みたいに最初に聞くのはいいけど、ずっと聴いていくと飽きそう
なんか信者を批判したいんだがモーツァルトを批判したいんだかよく分からんな。
人気が高いものはアンチも多いということだ
キダ・タロー先生が過大評価されてるだと?
モっさんもキリエとかはなかなか聴かせる
ベートーベン好きな人にはいいかも
ベートーベン好きな人にはいいかも
そんなの指揮者次第
たまには、サリエリを思い出してあげてください・・・
過大評価はそうだけど、駄目じゃないと思う。
ただ、扱われ方は、クラシックやってる奴からすれば可笑しく見える。
色々聴く奴からすればクラシックはクラシックなんだろうけど。
ただ、扱われ方は、クラシックやってる奴からすれば可笑しく見える。
色々聴く奴からすればクラシックはクラシックなんだろうけど。
言ってる事は分かるが、音楽の評価なんて主観の塊だから、主観を基にして良い悪いという議論をしたところで結論なんて出ないし、無意味。好きな音楽を聴いてればいいと思うけどね。
ちゃんとクラシックやってる人たちならクラ板の妄言には付き合わんだろ。それに、こうやって議論している気分になるのが楽しいんだろうから、放っておいてやるのが一番。
ちゃんとクラシックやってる人たちならクラ板の妄言には付き合わんだろ。それに、こうやって議論している気分になるのが楽しいんだろうから、放っておいてやるのが一番。
なんかアニメの批評をしている人たちとそっくりw
ノー天気すぎる曲は耳が滑る
>>1035
根本的には同じなんじゃね。
ただ好きだってだけじゃ物足りない人が色々な理屈を付けてみる→理屈が先行するようになって作品から乖離しはじめる→廃れるってループもジャンルを問わず起きてることだし。
批評はその題材と別ジャンルの創作物だと思っておくのが無難な接し方だと思う。
根本的には同じなんじゃね。
ただ好きだってだけじゃ物足りない人が色々な理屈を付けてみる→理屈が先行するようになって作品から乖離しはじめる→廃れるってループもジャンルを問わず起きてることだし。
批評はその題材と別ジャンルの創作物だと思っておくのが無難な接し方だと思う。
モーツァルトは「多作」の天才。
あれだけの数を作り出せたのは純粋に凄い。
が、だからと言って作品の内容が濃いかどうかは別問題だと思う。
他の作者と比べると、どうしても1曲の密度が違う気はする。
あれだけの数を作り出せたのは純粋に凄い。
が、だからと言って作品の内容が濃いかどうかは別問題だと思う。
他の作者と比べると、どうしても1曲の密度が違う気はする。
誰の事かと思ったら、ウィーンのキダタローのことか・・・
日本人でクラシックをたまにでも聴かない人間は、ゴミクズ。
作業用BGMには最適だと思う
つーかバッハも多作で同じような曲ばっかりだろ
そういう時代だったんだよ糞共が
音楽史読んだ事ねーだろ
そういう時代だったんだよ糞共が
音楽史読んだ事ねーだろ
バロック時代〜古典時代にかけては貴族のBGMやらに使われるために命令されて書いていたものが多いからどうしても曲自体を楽しむというものではなかった
音楽を否定できるのは作曲家自身のみ。
音楽を分析したり比較したりするのは別に個人の勝手だけど、
それを得意気に披露して勝気になっているところが気にいらないなあ。
モーツァルトやピカソってアンチが異様に多いけど、
私はあの人達の人間味っていうか生き方っていうか、そういうところが好きなんだけどなあ。
彼ら自身以外には、誰も彼らの気持ちなんて想像できるものでもないと思うしねえ
音楽を分析したり比較したりするのは別に個人の勝手だけど、
それを得意気に披露して勝気になっているところが気にいらないなあ。
モーツァルトやピカソってアンチが異様に多いけど、
私はあの人達の人間味っていうか生き方っていうか、そういうところが好きなんだけどなあ。
彼ら自身以外には、誰も彼らの気持ちなんて想像できるものでもないと思うしねえ
気持ちとか人間味とかそれこそ受け取る方にはどうでもいいよ
見るべきは作品だけ
見るべきは作品だけ
わかんねw
みんなすげーえらそうだな
技術的にどこら辺が、過大評価なのか
説明できる人がいたら説得力があるんだけどな。
平凡とか退屈とか、主観の問題だからねえ。
説明できる人がいたら説得力があるんだけどな。
平凡とか退屈とか、主観の問題だからねえ。
なんで日本人が必死こいてクラシックなんか議論してるんだよw
文化がぜんぜん違うのにw
どうせ日本の歴史も西洋の歴史も知らずにクラシックというジャンル
の音楽だけをとりあげて議論してるんだろ?
何事も出発点から勉強しないと意味無いよ。
文化がぜんぜん違うのにw
どうせ日本の歴史も西洋の歴史も知らずにクラシックというジャンル
の音楽だけをとりあげて議論してるんだろ?
何事も出発点から勉強しないと意味無いよ。
自分たちの感性が狂っているとはつゆほども思わないのか。
勝手に評価しといて、過大評価過大評価うるせーよww
オレはやりたいようにやっただけだ
モオッアルト
オレはやりたいようにやっただけだ
モオッアルト
その時代に生きていなかった我々にはモーツァルトの評価など無理だよ
結局、人それぞれだな。
好きな奴を聴けばよし。
好きな奴を聴けばよし。
信者がバカ&「天才の音楽を理解できる俺はお前ら凡人とは違うんだぜ」的な勘違い自惚れがウザいんだよな。
バカ信者はモツが至上の音楽だと信じて疑わないが、モツよりクオリティ、創造性、独創性の優れた作曲家なんて何人もいる。
バッハ、ワグナー、マーラー、ドビュッシー、ラベル、ストラビンスキー、シェーンベルク、ウェーベルン、メシアン、ブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキス、バラケ・・・
バカ信者はモツが至上の音楽だと信じて疑わないが、モツよりクオリティ、創造性、独創性の優れた作曲家なんて何人もいる。
バッハ、ワグナー、マーラー、ドビュッシー、ラベル、ストラビンスキー、シェーンベルク、ウェーベルン、メシアン、ブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキス、バラケ・・・
※1049はクラシクで食ってる俺への挑戦状か。まぁ2chで議論なんてしないけどな。
バッハの曲の構成とモーツァルトの構成が違うのは当たり前なのです。
時代も主義も違う作曲家を比較するのは、演歌とrockを比べるようなものです。
当時それなりの評価を得ていたので、今単純に過大評価と結論付けるのはどうかと…
好き嫌いは人それぞれであり、一般大衆に好まれる音楽の作風は時代背景の影響を大いに
受けるので、今の時代の人々にはあまり好まれない作風なのかもしれません。
当時は、モーツァルトの自由奔放な曲調が、世の人々には非常に魅力的に感じられたのです。
モーツァルト作曲のオペラです↓2:09辺りから夜の女王のアリアが歌われています
ttp://jp.youtube.com/watch?v=DvuKxL4LOqc&feature=related
(最初にhを入れてhttpにして下さい)
私は個人的にはモーツァルトよりバッハが好きです。
時代も主義も違う作曲家を比較するのは、演歌とrockを比べるようなものです。
当時それなりの評価を得ていたので、今単純に過大評価と結論付けるのはどうかと…
好き嫌いは人それぞれであり、一般大衆に好まれる音楽の作風は時代背景の影響を大いに
受けるので、今の時代の人々にはあまり好まれない作風なのかもしれません。
当時は、モーツァルトの自由奔放な曲調が、世の人々には非常に魅力的に感じられたのです。
モーツァルト作曲のオペラです↓2:09辺りから夜の女王のアリアが歌われています
ttp://jp.youtube.com/watch?v=DvuKxL4LOqc&feature=related
(最初にhを入れてhttpにして下さい)
私は個人的にはモーツァルトよりバッハが好きです。
オタ用にアニメで説明すると、菅野よう子。
好きか嫌いかでいいじゃんか・・
人それぞれ感じ方が違う曲を押し付けること自体が間違い。
嫌なら他の作曲家の曲を聴いとけば良い。モーツァルトはもういないんだから
嫌なら他の作曲家の曲を聴いとけば良い。モーツァルトはもういないんだから
>>1038
多作なだけで有名ならモーツァルトよりテレマンの方が有名なはずだろ
多作なだけで有名ならモーツァルトよりテレマンの方が有名なはずだろ
モーツァルトが異様に持ち上げられてる時期があったのは確かだけど
モーツァルトを蔑むのはちょっと違うと思う
モーツァルトを蔑むのはちょっと違うと思う
う〜ん、アンチと擁護者の間にものすごいズレを感じる。
アンチはマスコミの安っぽいモーツァルト賞賛を含めて「過大評価」
って非難してるっぽいけど、
擁護者はそんな一時的なブームみたいなものは最初から無視した上で、
「やっぱモツすげーー」って再確認してる感じなんですよね。
モーツァルトほど演奏によって根本的な印象の異なる作曲家も珍しいですよ。
個人的には「優雅でお茶目でお気楽」に演奏されたモーツァルトは大の苦手です。
なんであんな風に演奏してしまえるのか不思議で仕方ありません。
アンチはマスコミの安っぽいモーツァルト賞賛を含めて「過大評価」
って非難してるっぽいけど、
擁護者はそんな一時的なブームみたいなものは最初から無視した上で、
「やっぱモツすげーー」って再確認してる感じなんですよね。
モーツァルトほど演奏によって根本的な印象の異なる作曲家も珍しいですよ。
個人的には「優雅でお茶目でお気楽」に演奏されたモーツァルトは大の苦手です。
なんであんな風に演奏してしまえるのか不思議で仕方ありません。
この作曲家の場合、過大評価と言われる原因は複数あるだろう。
1.商業的利潤追求が目的の、虚偽的・誇大な宣伝文句。
2.過去の評論家に影響された、日本特有の「神格化」現象。
排他的・独善的な「モーツァルト教」。
3.音楽趣味の相違。クラシックの王道とされてきたベートーヴェンや
ロマン派の重厚長大・複雑な音楽、大編成演奏の迫力 を好む人には、
モーツァルトはクラシック入門者専用の、
単純・貧相・退屈な音楽に感じられがち。
4.モーツァルト1人を祭上げる合理的理由、音楽学的根拠が希薄なこと。
この作曲家が生きた時代の音楽はどれも似ているものが多く、
原資料に署名がない場合、音楽だけでは作曲者の判別が困難。
素人愛好家が言う「モーツァルトらしさ」は、実は同時代の多くの作曲家の曲
にも同様に当てはまる特徴だったりする。
1.商業的利潤追求が目的の、虚偽的・誇大な宣伝文句。
2.過去の評論家に影響された、日本特有の「神格化」現象。
排他的・独善的な「モーツァルト教」。
3.音楽趣味の相違。クラシックの王道とされてきたベートーヴェンや
ロマン派の重厚長大・複雑な音楽、大編成演奏の迫力 を好む人には、
モーツァルトはクラシック入門者専用の、
単純・貧相・退屈な音楽に感じられがち。
4.モーツァルト1人を祭上げる合理的理由、音楽学的根拠が希薄なこと。
この作曲家が生きた時代の音楽はどれも似ているものが多く、
原資料に署名がない場合、音楽だけでは作曲者の判別が困難。
素人愛好家が言う「モーツァルトらしさ」は、実は同時代の多くの作曲家の曲
にも同様に当てはまる特徴だったりする。
>>1063
他にも過大評価が取沙汰される原因は色々あると思う。
ドイツ人の民族意識の高揚や、夭折者を崇めるロマン主義の気運に乗って、
死後間もなくこの作曲家は理想化され有名になった。
しかしその後、ベートーヴェンやワーグナーという、ドイツ音楽の偉大さを証明するに遥かに相応しいと目された大作曲家達が登場したので、時代遅れにもなっていたモーツァルトは、軽視されたり二流視される傾向が長く最近まで続いた。
この19世紀の伝統に慣れていると、この作曲家を持上げるのは奇を衒う珍説に感じられるかもしれない。
他にも過大評価が取沙汰される原因は色々あると思う。
ドイツ人の民族意識の高揚や、夭折者を崇めるロマン主義の気運に乗って、
死後間もなくこの作曲家は理想化され有名になった。
しかしその後、ベートーヴェンやワーグナーという、ドイツ音楽の偉大さを証明するに遥かに相応しいと目された大作曲家達が登場したので、時代遅れにもなっていたモーツァルトは、軽視されたり二流視される傾向が長く最近まで続いた。
この19世紀の伝統に慣れていると、この作曲家を持上げるのは奇を衒う珍説に感じられるかもしれない。
自分自身を過大評価してる奴が多いな
この作曲家にまつわる言説には、公平性・客観性がなく、賞賛・理想化の結論が最初から決められているかの如き言説が多い。情報操作だと疑わせるものが少なくない。これも過大評価と言われる一因ではないか。
例えば、リンツ交響曲を数日で完成させた、「だから天才ですね」というパターン。しかし、当時の音楽の類型性から言えば、それは稀有な出来事でもなく、
同時代の他の作曲家も似たような事をやっている。これで「天才」を結論づけるのは論理飛躍も甚だしい。
その理屈でいくなら、演奏に数時間を要する大作のオペラを僅か数日で作曲した上、それを大ヒットさせたロッシーニは、モーツァルトなど及びもつかない
「超・大天才」と言わねば公平ではない。
例えば、リンツ交響曲を数日で完成させた、「だから天才ですね」というパターン。しかし、当時の音楽の類型性から言えば、それは稀有な出来事でもなく、
同時代の他の作曲家も似たような事をやっている。これで「天才」を結論づけるのは論理飛躍も甚だしい。
その理屈でいくなら、演奏に数時間を要する大作のオペラを僅か数日で作曲した上、それを大ヒットさせたロッシーニは、モーツァルトなど及びもつかない
「超・大天才」と言わねば公平ではない。
モーツァルトの失敗に対する、客観性を欠いた不自然な弁護も、同様。
不評に終わったオペラについて「妨害があったから仕方ないのだ」という論をよく目にする。しかし、妨害が事実だとしても、この作曲家だけが妨害を受ける訳ではない。大成功を収めたオペラ作曲家の多くは、そのような嫌がらせの洗礼を経験している。例えばロッシーニも当然その被害を受けたが、結局は彼は爆発的といって
よい大成功を収めている。
「皇帝ティトの慈悲」の初演不評については、「作曲時間が短かったから仕方ないのだ」とする論をよく見かける。しかし19世紀のロッシーニの例に限らず、18世紀後期の他のオペラ作曲家の多くは非常に限られた時間で大作を仕上げる場合が多かった。オペラだけで80作も作曲した作曲家もいる。時間が足りないのはモーツァルトだけに起こった問題ではない。
不評に終わったオペラについて「妨害があったから仕方ないのだ」という論をよく目にする。しかし、妨害が事実だとしても、この作曲家だけが妨害を受ける訳ではない。大成功を収めたオペラ作曲家の多くは、そのような嫌がらせの洗礼を経験している。例えばロッシーニも当然その被害を受けたが、結局は彼は爆発的といって
よい大成功を収めている。
「皇帝ティトの慈悲」の初演不評については、「作曲時間が短かったから仕方ないのだ」とする論をよく見かける。しかし19世紀のロッシーニの例に限らず、18世紀後期の他のオペラ作曲家の多くは非常に限られた時間で大作を仕上げる場合が多かった。オペラだけで80作も作曲した作曲家もいる。時間が足りないのはモーツァルトだけに起こった問題ではない。
「皇帝ティトの慈悲」の初演不評については、「オペラ・セリアというジャンル
自体がもう時代遅れだったから仕方ないのだ」という論もよく目にする。
しかし、この論も欺瞞に満ちている。同時期あるいはその後の時代にも、明らかに
このジャンルは存在したうえ、成功を収めた作品も当然存在する。
初演失敗の理由を、ジャンルの流行廃りの問題にすり替えようとするかの如き
こうした論は、客観性・公平性という点で疑惑が多いモーツァルト論を、象徴
する存在と言えるかもしれない。
自体がもう時代遅れだったから仕方ないのだ」という論もよく目にする。
しかし、この論も欺瞞に満ちている。同時期あるいはその後の時代にも、明らかに
このジャンルは存在したうえ、成功を収めた作品も当然存在する。
初演失敗の理由を、ジャンルの流行廃りの問題にすり替えようとするかの如き
こうした論は、客観性・公平性という点で疑惑が多いモーツァルト論を、象徴
する存在と言えるかもしれない。
>リンツ交響曲を数日で完成させた、「だから天才ですね」というパターン
これはリンツ交響曲の出来が良かっただけに、無駄に強調されてますよね。
>不評に終わったオペラについて「妨害があったから仕方ないのだ」という論
こういう弁護(?)は見た事ないですね。
>「作曲時間が短かったから仕方ないのだ」とする論
>「オペラ・セリアというジャンル自体がもう時代遅れだったから仕方ないのだ」
これらも弁護のための論としては見かけた事はないです。
確かに「皇帝ティトの慈悲」にはインスピレーションの欠ける部分がありますが。
これはリンツ交響曲の出来が良かっただけに、無駄に強調されてますよね。
>不評に終わったオペラについて「妨害があったから仕方ないのだ」という論
こういう弁護(?)は見た事ないですね。
>「作曲時間が短かったから仕方ないのだ」とする論
>「オペラ・セリアというジャンル自体がもう時代遅れだったから仕方ないのだ」
これらも弁護のための論としては見かけた事はないです。
確かに「皇帝ティトの慈悲」にはインスピレーションの欠ける部分がありますが。
>>1069
私もそれらの弁護?を読んだことはあります。いま正確には思い出せないですが
妨害の話は、上演が短期で打切りになった件でレオポルトが憶測?で
言ったのではなかったかな。
作曲時間とオペラセリアのお話は結構有名だと思います。
このような弁護?が広く言われているかどうかは別にして、1069さんも
その弁護?内容の不当性・欺瞞性についてはお気づきなんですよね?
そしてモーツァルトのオペラではヒット作のほうがむしろ少数であることも
事実として否定しがたいですよね。
私もそれらの弁護?を読んだことはあります。いま正確には思い出せないですが
妨害の話は、上演が短期で打切りになった件でレオポルトが憶測?で
言ったのではなかったかな。
作曲時間とオペラセリアのお話は結構有名だと思います。
このような弁護?が広く言われているかどうかは別にして、1069さんも
その弁護?内容の不当性・欺瞞性についてはお気づきなんですよね?
そしてモーツァルトのオペラではヒット作のほうがむしろ少数であることも
事実として否定しがたいですよね。
>>1069
>これはリンツ交響曲の出来が良かっただけに
「出来が良い」との一般論化は出来ないのではないでしょうか?
少なくとも、リンツ交響曲は、ハイドンのパリ交響曲シリーズや
ザロモン交響曲シリーズほどに広く大好評を博した作品とは
到底言えないですよね。作曲技法の点でも、後代への影響という点でも
特に画期的なものというわけではないですから。
リンツ交響曲の出来が良いから、短期間での作曲が強調されがちなのだ、
という見方はあまり説得力が感じられないんですよね。
>これはリンツ交響曲の出来が良かっただけに
「出来が良い」との一般論化は出来ないのではないでしょうか?
少なくとも、リンツ交響曲は、ハイドンのパリ交響曲シリーズや
ザロモン交響曲シリーズほどに広く大好評を博した作品とは
到底言えないですよね。作曲技法の点でも、後代への影響という点でも
特に画期的なものというわけではないですから。
リンツ交響曲の出来が良いから、短期間での作曲が強調されがちなのだ、
という見方はあまり説得力が感じられないんですよね。
天才性や傑出性が盛んに強調される割には、
その科学的根拠や音楽学的考察が示されない。
目にするのは、極めて主観的な感想や個人的な思い入れのみ。
これが過大評価論の最大の理由ではないか。
情報操作されやすい人は、このまやかしの評判にも疑問を持た
ないのかもしれない。
しかし、多方面の経験・知識を持ち、比較検討の材料を豊富に持つ人間、
つまり既存の風評に拘束されず自分なりに考えることが出来る人間にとっては、
過剰な賞賛・神格化は、科学性も客観性もない、
ある種の異常な信仰に過ぎないように見える。
学界ではかなり前からそのような認識のほうが一般的なのだが。
例えば、モーツァルト学者でありながら、実証的研究よりも
信仰の布教に熱心だった悪名高いアインシュタイン
(物理学者とは別人)は、現在では完全に過去の人であり、
その参照価値は低いと見るのがモーツァルト学者の間でも常識だ。
その科学的根拠や音楽学的考察が示されない。
目にするのは、極めて主観的な感想や個人的な思い入れのみ。
これが過大評価論の最大の理由ではないか。
情報操作されやすい人は、このまやかしの評判にも疑問を持た
ないのかもしれない。
しかし、多方面の経験・知識を持ち、比較検討の材料を豊富に持つ人間、
つまり既存の風評に拘束されず自分なりに考えることが出来る人間にとっては、
過剰な賞賛・神格化は、科学性も客観性もない、
ある種の異常な信仰に過ぎないように見える。
学界ではかなり前からそのような認識のほうが一般的なのだが。
例えば、モーツァルト学者でありながら、実証的研究よりも
信仰の布教に熱心だった悪名高いアインシュタイン
(物理学者とは別人)は、現在では完全に過去の人であり、
その参照価値は低いと見るのがモーツァルト学者の間でも常識だ。
「皇帝ティトの慈悲」はレチタティーヴォを弟子に作曲させるとか、
けっこう手伝わさせているよね。時間不足のせいで不成功作なんだよ
というのは確かに合理的な説明ではないよね。
けっこう手伝わさせているよね。時間不足のせいで不成功作なんだよ
というのは確かに合理的な説明ではないよね。
米欄に沸いてる非クラオタが目障りっぽいな
オタトークは一般人が踏み込めないからオタトークなのであって
※1051が真理だろうけどね
オタトークは一般人が踏み込めないからオタトークなのであって
※1051が真理だろうけどね
たしかに、何でモーツァルトが天才で、
その音楽が他の作曲家よりすぐれているのかを
主観的な嗜好以外の客観的視点から論理的に説明した本や文章なんて
見たことない。
結局自分の好みを押付けたいだけの底の浅い奴が多いんだろうな。
その音楽が他の作曲家よりすぐれているのかを
主観的な嗜好以外の客観的視点から論理的に説明した本や文章なんて
見たことない。
結局自分の好みを押付けたいだけの底の浅い奴が多いんだろうな。
>>1075
その通りですね。以前から私も強く疑問に感じていたのがその点です。
モオツアルトが好きなのはまったく構わないけど
好きでない人を理解力無いみたいなこと言って
その価値を普遍的なもののように強弁したり、理由も説明できないのに
他の作曲家よりすぐれているとか決めつけるのが良くないと思う。
その通りですね。以前から私も強く疑問に感じていたのがその点です。
モオツアルトが好きなのはまったく構わないけど
好きでない人を理解力無いみたいなこと言って
その価値を普遍的なもののように強弁したり、理由も説明できないのに
他の作曲家よりすぐれているとか決めつけるのが良くないと思う。
つまりモーツァルトの天才性とか優越性というのは
科学的・学術的検証の結果によるものではなく、
単なる偶像崇拝や、情報操作の結果であったり、
個人的な趣味の問題に過ぎないということだよね。
モーツァルトの天才を示すという逸話(真実かどうか疑わしい
ものもある)も、その程度のものなら他の音楽家にもあることで、
それを根拠に天才と呼ぶのであれば、音楽史は天才だらけ、
しかもモーツァルト以上の天才もゴロゴロいることになる。
それなのに、無理に「天才」とか「音楽史上最高の〜」などの評価を
すると、それはまさに「過大評価」ということになってしまう。
科学的・学術的検証の結果によるものではなく、
単なる偶像崇拝や、情報操作の結果であったり、
個人的な趣味の問題に過ぎないということだよね。
モーツァルトの天才を示すという逸話(真実かどうか疑わしい
ものもある)も、その程度のものなら他の音楽家にもあることで、
それを根拠に天才と呼ぶのであれば、音楽史は天才だらけ、
しかもモーツァルト以上の天才もゴロゴロいることになる。
それなのに、無理に「天才」とか「音楽史上最高の〜」などの評価を
すると、それはまさに「過大評価」ということになってしまう。
>極めて主観的な感想や個人的な思い入れのみ。
これは大いにありますね。
著作を発表されてる方でも、
そういうものを平気で垂れ流してることがありますから。
でもモーツァルトの良さを言葉で説明するのが難しい、
ってのもまた事実だと思いますよ。
例えばハイドンやベートーヴェン、JSバッハなら作曲技術的な面や
後世への影響って視点でとりあえず説明だけは出来るんだろうけど、
モーツァルトではそうはいかないですし。
だからといってこの3人より劣っているかと言われれば、そうでもない。
そもそも、天才性とか傑出性ってものを客観的視点から論理的に説明する
こと自体が可能なのかどうか、既に疑わしいんですけどね。
これは大いにありますね。
著作を発表されてる方でも、
そういうものを平気で垂れ流してることがありますから。
でもモーツァルトの良さを言葉で説明するのが難しい、
ってのもまた事実だと思いますよ。
例えばハイドンやベートーヴェン、JSバッハなら作曲技術的な面や
後世への影響って視点でとりあえず説明だけは出来るんだろうけど、
モーツァルトではそうはいかないですし。
だからといってこの3人より劣っているかと言われれば、そうでもない。
そもそも、天才性とか傑出性ってものを客観的視点から論理的に説明する
こと自体が可能なのかどうか、既に疑わしいんですけどね。
>>1078
>そもそも、天才性とか傑出性ってものを客観的視点から論理的に説明する
>こと自体が可能なのかどうか、既に疑わしいんですけどね。
もちろん。
そうだからこそ、それを個人の趣味や感想の範囲に留めずに一般論化すること
が問題なのであり、過大評価と言われる所以なのでしょう。
>そもそも、天才性とか傑出性ってものを客観的視点から論理的に説明する
>こと自体が可能なのかどうか、既に疑わしいんですけどね。
もちろん。
そうだからこそ、それを個人の趣味や感想の範囲に留めずに一般論化すること
が問題なのであり、過大評価と言われる所以なのでしょう。
>モーツァルトの良さを言葉で説明するのが難しい
専門知識もノウハウも無い素人にとって難しいのは当然です。
どの作曲家の説明でも同じ。
しかし、学者でも、モーツァルトの天才性や絶対的な傑出性について
実証してみせた人はいません。むしろ、研究の進展につれ、
モーツァルトはオンリーワンな存在ではなく、
多くの作曲家のなかの1人に過ぎない存在、
他の作曲家からの影響に多くを依存した存在
であることが再認識されています。
そもそも、芸術作品に公的に優劣をつけようとする試み自体が空しいもの
だと思います。感じ方、楽しみ方は人それぞれなのですから。
その当然のことに気付かず、価値を公定しようとする不遜な行為の典型例が、
特定の作曲家の神格化なのだと思います。
専門知識もノウハウも無い素人にとって難しいのは当然です。
どの作曲家の説明でも同じ。
しかし、学者でも、モーツァルトの天才性や絶対的な傑出性について
実証してみせた人はいません。むしろ、研究の進展につれ、
モーツァルトはオンリーワンな存在ではなく、
多くの作曲家のなかの1人に過ぎない存在、
他の作曲家からの影響に多くを依存した存在
であることが再認識されています。
そもそも、芸術作品に公的に優劣をつけようとする試み自体が空しいもの
だと思います。感じ方、楽しみ方は人それぞれなのですから。
その当然のことに気付かず、価値を公定しようとする不遜な行為の典型例が、
特定の作曲家の神格化なのだと思います。
そうですね。
作曲家の天才性や絶対的な傑出性について実証してみせた人
なんて見た事ないですもんね。(どの作曲家についても)
>そうだからこそ、それを個人の趣味や感想の範囲に留めずに一般論化すること
が問題なのであり、過大評価と言われる所以なのでしょう。
しかし、そうだとすると、モーツァルトだけがここで
あえて叩かれてる理由が全く分からなくなりますね。
作曲家の天才性や絶対的な傑出性について実証してみせた人
なんて見た事ないですもんね。(どの作曲家についても)
>そうだからこそ、それを個人の趣味や感想の範囲に留めずに一般論化すること
が問題なのであり、過大評価と言われる所以なのでしょう。
しかし、そうだとすると、モーツァルトだけがここで
あえて叩かれてる理由が全く分からなくなりますね。
>>1081
どの芸術家についてもそうでしょうね。しかし・・・・・
>モーツァルトだけがここで
>あえて叩かれてる理由が全く分からなくなりますね。
過大評価という指摘と、「叩く」のとは、別ではないでしょうか?
過大評価だと指摘するのは、攻撃や嫌がらせなんでしょうか?
無価値だ、と言うのとは全然違いますよね。
モーツァルトが特に過大評価だと言われる理由は、既に今までのレスに
挙がっています。具体的理由を全然説明出来ないのに、
「音楽史上最高の天才」「この作曲家には駄作がない」
「この作曲家と対照的に凡庸なサリエーリ」
などという文言が、出版物も含めて盛んに公然と言われているからでしょう。
どの芸術家についてもそうでしょうね。しかし・・・・・
>モーツァルトだけがここで
>あえて叩かれてる理由が全く分からなくなりますね。
過大評価という指摘と、「叩く」のとは、別ではないでしょうか?
過大評価だと指摘するのは、攻撃や嫌がらせなんでしょうか?
無価値だ、と言うのとは全然違いますよね。
モーツァルトが特に過大評価だと言われる理由は、既に今までのレスに
挙がっています。具体的理由を全然説明出来ないのに、
「音楽史上最高の天才」「この作曲家には駄作がない」
「この作曲家と対照的に凡庸なサリエーリ」
などという文言が、出版物も含めて盛んに公然と言われているからでしょう。
過大評価だと指摘するのは別に悪くないですよ。
メジャーになり過ぎたものに過大評価は付きものだと思いますから。
でも、それに便乗してただ悪し様に貶しているだけにしか見えないものが
ちょっと多すぎると思うんですよ。(特にここでは)
≫1さんのように「過大評価の指摘」と「無価値と断言すること」
を混同してるケースもかなり有ります。
なので、あえて「叩かれる」と書かせてもらいました。
1082さんのような冷静な方には、過大評価を指摘するだけでなく、
同時に、無思慮な「叩き」に対する注意も一言お願いしたいところです。
メジャーになり過ぎたものに過大評価は付きものだと思いますから。
でも、それに便乗してただ悪し様に貶しているだけにしか見えないものが
ちょっと多すぎると思うんですよ。(特にここでは)
≫1さんのように「過大評価の指摘」と「無価値と断言すること」
を混同してるケースもかなり有ります。
なので、あえて「叩かれる」と書かせてもらいました。
1082さんのような冷静な方には、過大評価を指摘するだけでなく、
同時に、無思慮な「叩き」に対する注意も一言お願いしたいところです。
(字数をオーバーしたので、連投させていただきますね)
>具体的理由を全然説明出来ないのに、
でもこれって他の有名作曲家も同様ではないですか?
例えば大バッハとかベートーヴェンなどです。
「音楽史上最高の天才」
なんていう文言はモーツァルトに限らず、よく見かけます。
なので、過大評価を指摘するにしても、
なぜモーツァルトにだけ話が集中してるのか理解に苦しむのです。
>具体的理由を全然説明出来ないのに、
でもこれって他の有名作曲家も同様ではないですか?
例えば大バッハとかベートーヴェンなどです。
「音楽史上最高の天才」
なんていう文言はモーツァルトに限らず、よく見かけます。
なので、過大評価を指摘するにしても、
なぜモーツァルトにだけ話が集中してるのか理解に苦しむのです。
>>1083
無価値との批判は私個人も賛成しません。
価値の有無は各人次第で、一般化できるものではないですから。
ですが、それを阻止する権限・義務が私にある訳でもないので、
頼まれても致し方ないですね。
>他の有名作曲家も同様
同様の神格化がなされれば、他の作曲家でも同様でしょう。
かつてはベートーヴェンが神格化され、モーツァルトなどは蔑まれるような
風潮すらありましたね。それも当然問題だと思います。
しかし、
>モーツァルトに限らず、よく見かけます。
そう?他の作曲家も皆無ではないでしょうが、
最近の数年の傾向で言えば、モーツァルトについて最もよく目にする
ように思います。モーツァルトに議論が集中する(そのように見える)のは
そのためでしょう。
この種の神格化にも各時代の流行があるのでしょう。
その神格化の実例ですが、後日で構わなければ、
書名と該当箇所を示してもいいですよ。
無価値との批判は私個人も賛成しません。
価値の有無は各人次第で、一般化できるものではないですから。
ですが、それを阻止する権限・義務が私にある訳でもないので、
頼まれても致し方ないですね。
>他の有名作曲家も同様
同様の神格化がなされれば、他の作曲家でも同様でしょう。
かつてはベートーヴェンが神格化され、モーツァルトなどは蔑まれるような
風潮すらありましたね。それも当然問題だと思います。
しかし、
>モーツァルトに限らず、よく見かけます。
そう?他の作曲家も皆無ではないでしょうが、
最近の数年の傾向で言えば、モーツァルトについて最もよく目にする
ように思います。モーツァルトに議論が集中する(そのように見える)のは
そのためでしょう。
この種の神格化にも各時代の流行があるのでしょう。
その神格化の実例ですが、後日で構わなければ、
書名と該当箇所を示してもいいですよ。
>>1080
>モーツァルトはオンリーワンな存在ではなく、
>多くの作曲家のなかの1人に過ぎない存在
>であることが再認識されています。
学問レベルでは、そんな事は昔から認識されていた事ですよね。
一般人が知るようになったのが最近というだけで。
大衆は、真実よりも、捏造や誇張にまみれたカリスマ像を好みますね。残念ながら。大衆本や娯楽番組のレベルでは、既に学問的に否定されている情報が、
いつまでも訂正されずに反復される、これはモーツァルトに限らずよくあることです。これは本当に、誤った過大評価を蔓延させる元凶ですね。
>モーツァルトはオンリーワンな存在ではなく、
>多くの作曲家のなかの1人に過ぎない存在
>であることが再認識されています。
学問レベルでは、そんな事は昔から認識されていた事ですよね。
一般人が知るようになったのが最近というだけで。
大衆は、真実よりも、捏造や誇張にまみれたカリスマ像を好みますね。残念ながら。大衆本や娯楽番組のレベルでは、既に学問的に否定されている情報が、
いつまでも訂正されずに反復される、これはモーツァルトに限らずよくあることです。これは本当に、誤った過大評価を蔓延させる元凶ですね。
日本人が書いたモーツァルト関連本は、
著者がまるで一信者の如くモーツァルトに肩入れしたような
主観的で悪質な礼賛本が多い。イドメネオK.366も好例。
作曲者存命中、このオペラの公演は僅か3回で打切り。初演(1781年1月29日)
も、当時の評判を伝える資料は皆無なのが実態。
だが驚くことに、ソースを示さず、初演が「大成功」「成功した」
と断定する『モーツァルト オペラのすべて』(堀内修著)のような本がある。
3回で打切りは異例であり、冷静に見ればこのオペラの失敗を推察させる証拠
が圧倒的に多いにも拘らずだ。
これは氷山の一角に過ぎない。この種の本は一事が万事この調子だ。
不明な部分は勝手に都合良く解釈する。
その宗教染みた礼賛、無責任な偏向内容に呆れざるをえない。
著者がまるで一信者の如くモーツァルトに肩入れしたような
主観的で悪質な礼賛本が多い。イドメネオK.366も好例。
作曲者存命中、このオペラの公演は僅か3回で打切り。初演(1781年1月29日)
も、当時の評判を伝える資料は皆無なのが実態。
だが驚くことに、ソースを示さず、初演が「大成功」「成功した」
と断定する『モーツァルト オペラのすべて』(堀内修著)のような本がある。
3回で打切りは異例であり、冷静に見ればこのオペラの失敗を推察させる証拠
が圧倒的に多いにも拘らずだ。
これは氷山の一角に過ぎない。この種の本は一事が万事この調子だ。
不明な部分は勝手に都合良く解釈する。
その宗教染みた礼賛、無責任な偏向内容に呆れざるをえない。
「イドメネオ」ってすごく退屈でアリアも凡庸なあのオペラですよね。
このオペラも、モーツァルト絶賛の書物にかかれば
「18世紀オペラセリアの最高峰」なんだそうな。
失笑ものです。
偏狭な信奉者達が勝手に言ってるのだと思いますが、
これもモーツァルトへの病的な過大評価、盲目的信仰のいい例ですね。
音楽史に無知過ぎるというか、18世紀の音楽をナメてるというか。
勿論他のオペラセリアなどろくに聴いたこともなく言っているのでしょう。
このオペラも、モーツァルト絶賛の書物にかかれば
「18世紀オペラセリアの最高峰」なんだそうな。
失笑ものです。
偏狭な信奉者達が勝手に言ってるのだと思いますが、
これもモーツァルトへの病的な過大評価、盲目的信仰のいい例ですね。
音楽史に無知過ぎるというか、18世紀の音楽をナメてるというか。
勿論他のオペラセリアなどろくに聴いたこともなく言っているのでしょう。
>>1087
イドメネオ初演の評判らしきものといえば、
ミュンヘンの新聞に載った、
「雰囲気、音楽、訳詞ともザルツブルクの産物」という一文ぐらいですかね。
この新聞は作曲者についてはそれ以上のことを一切言及せず、他方で、
舞台装置の設計者クヴァリオ氏が観客に賞賛されたことを
彼の名を挙げて特記していますね。
ネットゥーノの神殿などの舞台装置が好評だったのは事実のようですが、
この新聞記事から音楽の大成功を読み取るのは極めて困難ですね。
たった3回の公演(2回という説もある)で打切られたことも考え合わせると、
真相は、大成功とは程遠い状況のようですね。
イドメネオ初演の評判らしきものといえば、
ミュンヘンの新聞に載った、
「雰囲気、音楽、訳詞ともザルツブルクの産物」という一文ぐらいですかね。
この新聞は作曲者についてはそれ以上のことを一切言及せず、他方で、
舞台装置の設計者クヴァリオ氏が観客に賞賛されたことを
彼の名を挙げて特記していますね。
ネットゥーノの神殿などの舞台装置が好評だったのは事実のようですが、
この新聞記事から音楽の大成功を読み取るのは極めて困難ですね。
たった3回の公演(2回という説もある)で打切られたことも考え合わせると、
真相は、大成功とは程遠い状況のようですね。
宗教に関する著書を哲学者エリック・グートキンド氏から贈呈されたアインシュタインは同氏への返信で、「わたしにとって『神』という言葉は人間の弱さの産物という以上の何物も意味しない。聖書は原始的な言い伝えで、非常に子どもっぽい」と述べた。アインシュタインはユダヤ系だが、ユダヤ教の選民思想も否定する見解を示している。
偶像崇拝。それは弱者、愚者が好むお決まりの思考
モーツァルトを神のように崇める信者は
モーツァルト学者のアインシュタインではなく
物理学者のアインシュタインに学ぶといい
偶像崇拝。それは弱者、愚者が好むお決まりの思考
モーツァルトを神のように崇める信者は
モーツァルト学者のアインシュタインではなく
物理学者のアインシュタインに学ぶといい
>偶像崇拝。それは弱者、愚者が好むお決まりの思考
昔から言われるように、まさにその通りだと思う。
でも、人文系分野の人って、そんな幼稚なメンタリティの人の割合が多い。
学者ですら、です。特に日本ではそれが酷い。
その種の人間を除外したら日本のクラシック音楽ファンは、半分以下に激減
するかもしれない。情けない話です。
モーツァルト崇拝もそうですが、指揮者ならフルトヴェングラーの崇拝者等々
枚挙に暇がありません。
偶像崇拝というスタンスとは無関係に芸術を楽しむ。
彼らにはそんな事は思いもよらない、そんな享受のあり方が想像もつかない、
そんな感じを受けます。何かを崇めなければ自己の心の安定を維持できない、
ある種の精神疾患のようにも見えます。
昔から言われるように、まさにその通りだと思う。
でも、人文系分野の人って、そんな幼稚なメンタリティの人の割合が多い。
学者ですら、です。特に日本ではそれが酷い。
その種の人間を除外したら日本のクラシック音楽ファンは、半分以下に激減
するかもしれない。情けない話です。
モーツァルト崇拝もそうですが、指揮者ならフルトヴェングラーの崇拝者等々
枚挙に暇がありません。
偶像崇拝というスタンスとは無関係に芸術を楽しむ。
彼らにはそんな事は思いもよらない、そんな享受のあり方が想像もつかない、
そんな感じを受けます。何かを崇めなければ自己の心の安定を維持できない、
ある種の精神疾患のようにも見えます。
自立心のない依存的な人間は、すぐに英雄を造りたがる。
神格化し無批判に崇拝するのは、支配されやすい種類の人間。
21世紀の今でも、こんなダメ人間はなかなか減らない。
モーツァルト崇拝は、
芸術が俗物性や幼稚さと常に隣り合わせであることをよく示している。
神格化し無批判に崇拝するのは、支配されやすい種類の人間。
21世紀の今でも、こんなダメ人間はなかなか減らない。
モーツァルト崇拝は、
芸術が俗物性や幼稚さと常に隣り合わせであることをよく示している。
モーツァルトを崇拝したり神格化したがる人は、一体何が目的で、
何が楽しいのだろう?
音楽史を歪曲したりしてまで
その方向を志向する悪質な本もあるけれど、
その著者と愛読者たちの心理というのが理解できない。
ありのままの事実のほうが何倍も興味を掻き立てられると思うのだが。
「大衆は、真実ではなく《物語》を求めている」という格言があるが
要はそういうことなのか?
歴史書は売れないが、歴史小説は読まれるのと似たような関係か?
だとしたら非生産的というか現実逃避的だな。
モーツァルトについて真実を詳しく知りたい人間にとっても有害な状況だ。
何が楽しいのだろう?
音楽史を歪曲したりしてまで
その方向を志向する悪質な本もあるけれど、
その著者と愛読者たちの心理というのが理解できない。
ありのままの事実のほうが何倍も興味を掻き立てられると思うのだが。
「大衆は、真実ではなく《物語》を求めている」という格言があるが
要はそういうことなのか?
歴史書は売れないが、歴史小説は読まれるのと似たような関係か?
だとしたら非生産的というか現実逃避的だな。
モーツァルトについて真実を詳しく知りたい人間にとっても有害な状況だ。
モーツァルトをショボいと感じるのは
ベートーヴェンとかの「超天才」と比べちゃうからだろう。
今は両方聴ける時代だから無意識のうちに比べてしまう。
でもね、モーツァルトもそれなりにいい音楽だよ。
偶像崇拝はよくないがね。
「粗製濫造で駄作も多い」
「似た手法・雰囲気の同工異曲が多い」
「ベートーヴェン以降の音楽と比べると冗長散漫で緊張感がない」
「気持悪いほどの過大評価」
これらはモーツァルト好きとしても正直認めざるをえない所ではある。
皆、本当は分かっているんだよ。ファン心理として認めたくないだけだ。
そこを大真面目に突っこまれると困るんだな。
ベートーヴェンとかの「超天才」と比べちゃうからだろう。
今は両方聴ける時代だから無意識のうちに比べてしまう。
でもね、モーツァルトもそれなりにいい音楽だよ。
偶像崇拝はよくないがね。
「粗製濫造で駄作も多い」
「似た手法・雰囲気の同工異曲が多い」
「ベートーヴェン以降の音楽と比べると冗長散漫で緊張感がない」
「気持悪いほどの過大評価」
これらはモーツァルト好きとしても正直認めざるをえない所ではある。
皆、本当は分かっているんだよ。ファン心理として認めたくないだけだ。
そこを大真面目に突っこまれると困るんだな。
彼らの音楽が素晴らしいのは彼らの生き様や時代が
その音楽の行間に映し出されているからだ、
その美しさに乗せて観る者が読み、胸に打つ込まれる。
ここの文章には一切何も無い。
その音楽の行間に映し出されているからだ、
その美しさに乗せて観る者が読み、胸に打つ込まれる。
ここの文章には一切何も無い。
自己愛性人格障害とは、いわゆるナルシズムの過剰が病的な状態に至っている精神障害のことです。
自己を過剰に愛する者と、自己以外の偶像に代替的な自己愛を投影する者がこの障害の患者です。
自己以外の偶像に代替的な自己愛を注ぐ人に共通するのは、崇拝対象のありのままの姿を認められないこと。
彼らの発想では、その対象(カリスマ、アイドルなど)は比類なきもので、大勢の人から賞賛されなければならないのです。そのため、崇拝対象の本来の姿からかけ離れた虚像が、無関係な第三者から見れば不自然で異常・狂気と言える状態にまで創りあげられてしまうのです。
自己を過剰に愛する者と、自己以外の偶像に代替的な自己愛を投影する者がこの障害の患者です。
自己以外の偶像に代替的な自己愛を注ぐ人に共通するのは、崇拝対象のありのままの姿を認められないこと。
彼らの発想では、その対象(カリスマ、アイドルなど)は比類なきもので、大勢の人から賞賛されなければならないのです。そのため、崇拝対象の本来の姿からかけ離れた虚像が、無関係な第三者から見れば不自然で異常・狂気と言える状態にまで創りあげられてしまうのです。
そして、自己愛人格障害者は、自己の崇拝対象に対するほんの少しの批判さえも我慢がならず、自分に同調しない人を攻撃・否定し、積極的におとしめることさえします。自分の崇拝対象を崇拝しようとしない人を、差別したり侮辱したりせずにはいられなくなっていくのです。
自分の「神」を自分と同じように崇めない人間は「どうにもけしからぬ許しがたい」人間だと彼らは考えています。
ウヨ厨など、ネットで問題をおこすのは、この自己愛性人格障害者がほとんどといっていいかもしれません。
自分の「神」を自分と同じように崇めない人間は「どうにもけしからぬ許しがたい」人間だと彼らは考えています。
ウヨ厨など、ネットで問題をおこすのは、この自己愛性人格障害者がほとんどといっていいかもしれません。
彼ら自己愛性人格障害者は、幼少時から根源的な劣等感、自己不全感を常に潜在的に抱きながら生きてきた人たちです。所謂「ネクラ」な人たちで、社会不適応者も多く、ネットへの依存度も高いのです。
彼らのカリスマ好きの傾向、カリスマを仕立て上げていく心理的傾向は、
彼らの根深い劣等感、自己不全感の裏返しに他なりません。
この自己愛性人格障害は、精神科での治療の対象となるれっきとした病気でもありますが、一時的な投薬等で完治するものではなく、治療成績は必ずしも良くないのが実情です。
彼らのカリスマ好きの傾向、カリスマを仕立て上げていく心理的傾向は、
彼らの根深い劣等感、自己不全感の裏返しに他なりません。
この自己愛性人格障害は、精神科での治療の対象となるれっきとした病気でもありますが、一時的な投薬等で完治するものではなく、治療成績は必ずしも良くないのが実情です。
モーツァルトの過大評価・神格化も
自己愛性人格障害者の所業の典型例なのですね。
彼らの幼稚な内面が透けて見える。
自己の脆弱さ、傷つきやすさ、惨めさ、トラウマから逃避する為に
全能者=カリスマ創りに走り、精神の安定を得ようとする。
その白々しい空疎さ、馬鹿馬鹿しさに彼ら自身は気づかない。
現実逃避に必死だからだろうか。
根拠など無くても強引に神格化する。「始めに結論ありき」な態度。
モーツァルト絶賛本の無茶苦茶な論理展開、非科学性の謎が解けました。
このような本を書く人間、そして、好んで読む人間がいる。
世の中病んでいますね。
自己愛性人格障害者の所業の典型例なのですね。
彼らの幼稚な内面が透けて見える。
自己の脆弱さ、傷つきやすさ、惨めさ、トラウマから逃避する為に
全能者=カリスマ創りに走り、精神の安定を得ようとする。
その白々しい空疎さ、馬鹿馬鹿しさに彼ら自身は気づかない。
現実逃避に必死だからだろうか。
根拠など無くても強引に神格化する。「始めに結論ありき」な態度。
モーツァルト絶賛本の無茶苦茶な論理展開、非科学性の謎が解けました。
このような本を書く人間、そして、好んで読む人間がいる。
世の中病んでいますね。
弱い人間は真実を嫌う。真実の直視に耐えられない。
マスコミなどのメディアはそうした弱い人間の心理を熟知した上で、
彼ら弱者に格好の現実逃避の材料を提供し続け利益を貪る。
こうして、懲りずに小カルトが日々量産され続ける。
モーツァルト崇拝も無数の小カルトの一例にすぎない。
マスコミなどのメディアはそうした弱い人間の心理を熟知した上で、
彼ら弱者に格好の現実逃避の材料を提供し続け利益を貪る。
こうして、懲りずに小カルトが日々量産され続ける。
モーツァルト崇拝も無数の小カルトの一例にすぎない。
自己愛性人格障害の患者は、自己や、代替的に自己愛を投影する偶像を批判されることに過敏で、批判に対して怒りを爆発させ執拗に攻撃するなど、過剰な反応を示すことが知られています。
しかし、この人格障害(パーソナリティ障害)のより厄介で中心的な症状は「過大な賞賛の要求」です。彼らは、自己や自己が崇める偶像を、世間や他人が絶賛すること、この上なく素晴らしいものとして尊敬することを渇望しています。
そうした彼らの身勝手で甘えた期待・要求は、他人から見れば冗談かと思えるほど過大で厚かましく筋違いなものであり、実体とは乖離した分不相応なものでしかありません。ところが彼らはそれに気づくことはなく、彼らの期待通りに賞賛しない人々の人間性自体を、攻撃や軽蔑に値する「悪」とすら考えてしまうのです。
この自己中心的な「過大な賞賛の要求」により、彼らは社会・他人との間でしばしばトラブルを起こします。
しかし、この人格障害(パーソナリティ障害)のより厄介で中心的な症状は「過大な賞賛の要求」です。彼らは、自己や自己が崇める偶像を、世間や他人が絶賛すること、この上なく素晴らしいものとして尊敬することを渇望しています。
そうした彼らの身勝手で甘えた期待・要求は、他人から見れば冗談かと思えるほど過大で厚かましく筋違いなものであり、実体とは乖離した分不相応なものでしかありません。ところが彼らはそれに気づくことはなく、彼らの期待通りに賞賛しない人々の人間性自体を、攻撃や軽蔑に値する「悪」とすら考えてしまうのです。
この自己中心的な「過大な賞賛の要求」により、彼らは社会・他人との間でしばしばトラブルを起こします。
思い通りの賞賛が得られないと、自ら賞賛を捏造することもあります。幼児的でおぞましい行為ですが、いい大人でそれをしてしまうのが、この病気の患者です。
その賞賛には根拠が殆どありません。根拠なき過大な賞賛の要求と捏造。それがこの病気の特徴です。「はじめに結論ありき」であって、圧倒的な賛美という結論に根拠は一切不要なのです。
しかし、それは、合意なき支配を否定する民主的な立場、結論に根拠を要求する科学の立場とは、真向から対立します。
モーツァルトに関する書物にも、根拠を無視した一方的賛美に終始するものが少なくありません。何の検証もなく、彼が突出した天才であることを当然の前提としてしまっているのです。そのような押付けがましい書物も、自己愛性人格障害の病理が背景にあると推察できます。
その賞賛には根拠が殆どありません。根拠なき過大な賞賛の要求と捏造。それがこの病気の特徴です。「はじめに結論ありき」であって、圧倒的な賛美という結論に根拠は一切不要なのです。
しかし、それは、合意なき支配を否定する民主的な立場、結論に根拠を要求する科学の立場とは、真向から対立します。
モーツァルトに関する書物にも、根拠を無視した一方的賛美に終始するものが少なくありません。何の検証もなく、彼が突出した天才であることを当然の前提としてしまっているのです。そのような押付けがましい書物も、自己愛性人格障害の病理が背景にあると推察できます。
要するに自己愛性人格障害のモーツァルト崇拝者は
モーツァルトに否定的な感想を許さないだけでなく
他人全員がモーツァルトを絶賛し「神」として敬意を示すことを
図々しくも期待しているわけだな。
そして既存の賞賛だけでは満足できず
自ら絶賛本を書いて賞賛の雰囲気を捏造するわけか。
何とも卑しい連中だな。
モーツァルトに否定的な感想を許さないだけでなく
他人全員がモーツァルトを絶賛し「神」として敬意を示すことを
図々しくも期待しているわけだな。
そして既存の賞賛だけでは満足できず
自ら絶賛本を書いて賞賛の雰囲気を捏造するわけか。
何とも卑しい連中だな。
「モーツァルトらしさ」というのも、実体は曖昧で、彼を特別扱いする
音楽学的根拠は不充分ですよね。
モーツァルトの音楽はその時代の音楽の中で
まったく異質で類例がないタイプ、というのとは違いますね。
むしろその反対で、同時代の音楽とよく似た作風のものが多い。
素人が聴いても、似ていることはよく分かります。逆に、その区別は
スコア分析のみでは専門の学者でも困難な場合がある程です。
モーツァルトには、膨大な数の疑作(自筆譜の不存在、作品目録の掲載なし、
等の理由から真作性に疑問がある作品)と偽作(一時は真作と考えられていたが
別人の自筆譜が発見される等により、別人が作曲したと判明した作品)
があります。いま現在でもモーツァルトの作品かどうかが判断できない
作品が相当数あります。
音楽学的根拠は不充分ですよね。
モーツァルトの音楽はその時代の音楽の中で
まったく異質で類例がないタイプ、というのとは違いますね。
むしろその反対で、同時代の音楽とよく似た作風のものが多い。
素人が聴いても、似ていることはよく分かります。逆に、その区別は
スコア分析のみでは専門の学者でも困難な場合がある程です。
モーツァルトには、膨大な数の疑作(自筆譜の不存在、作品目録の掲載なし、
等の理由から真作性に疑問がある作品)と偽作(一時は真作と考えられていたが
別人の自筆譜が発見される等により、別人が作曲したと判明した作品)
があります。いま現在でもモーツァルトの作品かどうかが判断できない
作品が相当数あります。
これはもっと後の時代の作曲家間ではほとんど起こり得ない現象です。
メンデルスゾーン、シューマン、ショパン、リストは同世代ですが、
彼らの間で作品の真作判断に取違いがあることはほぼありません。
それぞれの作品には各作曲者の個性・特徴があります。
そうすると、モーツァルトについてはなぜ特別扱いするのかが疑問となります。
モーツァルトを特別視する言論が、この疑問に真正面から答えたことはほとんどありません。それどころか、別人が作曲した曲が真作と誤認され「モーツァルトらしさに溢れる素晴らしい音楽」などと賞賛されたこともありました。
これらも、モーツァルトの過大評価、そしてそれがモーツァルト個人への偶像崇拝に由来することを窺わせる要因です。
メンデルスゾーン、シューマン、ショパン、リストは同世代ですが、
彼らの間で作品の真作判断に取違いがあることはほぼありません。
それぞれの作品には各作曲者の個性・特徴があります。
そうすると、モーツァルトについてはなぜ特別扱いするのかが疑問となります。
モーツァルトを特別視する言論が、この疑問に真正面から答えたことはほとんどありません。それどころか、別人が作曲した曲が真作と誤認され「モーツァルトらしさに溢れる素晴らしい音楽」などと賞賛されたこともありました。
これらも、モーツァルトの過大評価、そしてそれがモーツァルト個人への偶像崇拝に由来することを窺わせる要因です。
「モーツァルトの音楽は、極めて個性的である」
「モーツァルトの音楽は、他とは隔絶した天才的な音楽である」
これらの命題と、
「作曲者がモーツァルトなのか別人なのか学者でも判断不可能な曲が
今なお多数存在するという事実」
とは明らかに矛盾するのではないだろうか?
上記の命題は、事実の周到な積重ねから導かれた帰結などではなく、
単なる思い込みや崇拝者達の勝手な願望に過ぎないように見える。
「モーツァルトの音楽は、他とは隔絶した天才的な音楽である」
これらの命題と、
「作曲者がモーツァルトなのか別人なのか学者でも判断不可能な曲が
今なお多数存在するという事実」
とは明らかに矛盾するのではないだろうか?
上記の命題は、事実の周到な積重ねから導かれた帰結などではなく、
単なる思い込みや崇拝者達の勝手な願望に過ぎないように見える。
自己愛性人格障害の典型症状である「過大な賞賛の要求」が、
自己愛を投影する崇拝対象の「過大評価」となって現れる。
モーツァルトの過大評価は、
「聴くと健康になる」たぐいの宣伝とは全く裏腹に、
モーツァルトに精神的に依存する病んだ人々が存在することを
図らずも曝け出してしまった。
自己愛を投影する崇拝対象の「過大評価」となって現れる。
モーツァルトの過大評価は、
「聴くと健康になる」たぐいの宣伝とは全く裏腹に、
モーツァルトに精神的に依存する病んだ人々が存在することを
図らずも曝け出してしまった。
ジジババに信者多いよな。
でそいつら大抵クラの中でもメジャーな作品しか知らない。
で、現代物どころかバルトーク、新ウィーン楽派あたりでも
チンプンカンプンだったりする。
まあホントマス受け、俗受けする作曲家だよな。
でそいつら大抵クラの中でもメジャーな作品しか知らない。
で、現代物どころかバルトーク、新ウィーン楽派あたりでも
チンプンカンプンだったりする。
まあホントマス受け、俗受けする作曲家だよな。
クラシックの世界はよくわからないけどモーツァルトは地味に凄い作曲家だと思う。
派手な味付けはないけどしみじみ狂ってるというか。
派手な味付けはないけどしみじみ狂ってるというか。
音楽は自分がいいと思えばそれでいいと思うけどねぇ
なんでくらべたがるんだろ
なんでくらべたがるんだろ
モーツァルト自体に魅力があるんじゃなくて、
モーツァルトをヨイショした小林秀雄などの評論家や
大衆向け戯曲の映画化、没後・生誕〜年のマスゴミの特集とか
に影響されてるだけの人が多いのだと思うな。
要は典型的な日本の大衆ってこと。
モーツァルト信者はクラシック初心者に多いんじゃないか?
昔はクラシック好きの間じゃ、モーツァルトなんていったら
バッハやベートーヴェンよりずうっと低くランクづけされてて馬鹿にする雰囲気
さえあった。その恨みがモーツァルト過大評価の一因かねえ?
モーツァルトをヨイショした小林秀雄などの評論家や
大衆向け戯曲の映画化、没後・生誕〜年のマスゴミの特集とか
に影響されてるだけの人が多いのだと思うな。
要は典型的な日本の大衆ってこと。
モーツァルト信者はクラシック初心者に多いんじゃないか?
昔はクラシック好きの間じゃ、モーツァルトなんていったら
バッハやベートーヴェンよりずうっと低くランクづけされてて馬鹿にする雰囲気
さえあった。その恨みがモーツァルト過大評価の一因かねえ?
クラシック界では長いことベートーヴェンが「神」で王座にいた。
モーツァルトは良くても脇役の中の1人の扱いだった。
マリア・カラスの「モーツァルトはつまらない」的発言も有名で
この作曲家はメジャーにはなりきれなかった。
海外の一流オーケストラやソリスト達の演奏曲を見ると
現在もそうかもしれない。
クラシックの愛好歴が長い人であるほど
「モーツァルトがクラシックの最高峰」的過大評価には
激しい違和感、ときに嫌悪感すら感じるだろう。
モーツァルトの過大評価は
王座に昇れない作曲家のファンのルサンチマンが起爆剤になっている。
そう思える。
モーツァルトは良くても脇役の中の1人の扱いだった。
マリア・カラスの「モーツァルトはつまらない」的発言も有名で
この作曲家はメジャーにはなりきれなかった。
海外の一流オーケストラやソリスト達の演奏曲を見ると
現在もそうかもしれない。
クラシックの愛好歴が長い人であるほど
「モーツァルトがクラシックの最高峰」的過大評価には
激しい違和感、ときに嫌悪感すら感じるだろう。
モーツァルトの過大評価は
王座に昇れない作曲家のファンのルサンチマンが起爆剤になっている。
そう思える。
モーツァルトは親父の名誉欲や金銭欲、
死後のドイツ民族主義等で伝説化された
「創られた」天才の典型例。
純粋に楽曲のみを判断すれば
特別傑出していたとか先駆的だったわけではない。
インチキ臭いエピソードの数々の助けを一切借りずに
楽曲だけでこの作曲家の特殊性、天才性を証明するのは極めて困難。
そこがベートーヴェンやワーグナーとは決定的に違う。
だから絶賛が情緒的、主観的なものに終始するのは当然の結果。
問題は、父親レオポルトから始まっている情報操作を
無思考のまま鵜呑みにする頭のゆるい人々がいるということ。
死後のドイツ民族主義等で伝説化された
「創られた」天才の典型例。
純粋に楽曲のみを判断すれば
特別傑出していたとか先駆的だったわけではない。
インチキ臭いエピソードの数々の助けを一切借りずに
楽曲だけでこの作曲家の特殊性、天才性を証明するのは極めて困難。
そこがベートーヴェンやワーグナーとは決定的に違う。
だから絶賛が情緒的、主観的なものに終始するのは当然の結果。
問題は、父親レオポルトから始まっている情報操作を
無思考のまま鵜呑みにする頭のゆるい人々がいるということ。
モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618
この曲、同時代の多数の宗教曲と並べて聴くと
どうってことない普通の曲なのだが。
モーツァルト信奉者の間では不世出の傑作になってるんだね。
曲自体にではなく、その受容のあり方に正直驚いた。
最晩年の作品ということで神格化されてんのかな。
この曲、同時代の多数の宗教曲と並べて聴くと
どうってことない普通の曲なのだが。
モーツァルト信奉者の間では不世出の傑作になってるんだね。
曲自体にではなく、その受容のあり方に正直驚いた。
最晩年の作品ということで神格化されてんのかな。
モーツァルト絶賛・神格化の本当の主原因は
やはり商売絡みでしょう。
クラシック業界は経済的に危機的状況。市場拡大なければ死を待つのみ。
ではなぜモーツァルトか?
難解さがなく無知な大衆の入門曲向き
天才伝説が俗物受けしそう
19-20世紀の難曲より演奏が簡単。演奏家が楽=手抜きできる
クラシックおたくに不人気なのは百も承知の上。
のだめと一緒。ターゲットは新規客なのだ。
本音トークでモーを酷評する評論家が
大衆メディアで絶賛する豹変ぶりを見て、ああやっぱりと。
やはり商売絡みでしょう。
クラシック業界は経済的に危機的状況。市場拡大なければ死を待つのみ。
ではなぜモーツァルトか?
難解さがなく無知な大衆の入門曲向き
天才伝説が俗物受けしそう
19-20世紀の難曲より演奏が簡単。演奏家が楽=手抜きできる
クラシックおたくに不人気なのは百も承知の上。
のだめと一緒。ターゲットは新規客なのだ。
本音トークでモーを酷評する評論家が
大衆メディアで絶賛する豹変ぶりを見て、ああやっぱりと。
>モーツァルトの音楽はその時代の音楽の中で
>まったく異質で類例がないタイプ、というのとは違いますね。
>むしろその反対で、同時代の音楽とよく似た作風のものが多い。
>素人が聴いても、似ていることはよく分かります。逆に、その区別は
>スコア分析のみでは専門の学者でも困難な場合がある程です。
その通り。この点は音楽学でもほぼ異論なしでしょう。
なのに、この作曲家だけ持ち上げる愚かな言論の背景には、
一部の評論家等に過度に影響されてしまった純朴過ぎる人達の
盲信的・病的な信仰・崇拝、
ジリ貧のクラシック業界の悪あがき=商売上の理由
などがあるのでしょうね。
>まったく異質で類例がないタイプ、というのとは違いますね。
>むしろその反対で、同時代の音楽とよく似た作風のものが多い。
>素人が聴いても、似ていることはよく分かります。逆に、その区別は
>スコア分析のみでは専門の学者でも困難な場合がある程です。
その通り。この点は音楽学でもほぼ異論なしでしょう。
なのに、この作曲家だけ持ち上げる愚かな言論の背景には、
一部の評論家等に過度に影響されてしまった純朴過ぎる人達の
盲信的・病的な信仰・崇拝、
ジリ貧のクラシック業界の悪あがき=商売上の理由
などがあるのでしょうね。
元来、音楽の優劣に客観的で明確な基準・根拠が存在する筈もない。
しかもモーツァルトの作品は、彼の時代において突出して個性的だとか
特別に独創的という訳でも全然ない。
その時代の音楽に詳しい人であれば、
この作曲家の他人の作品からの借用癖や、他人の作風との類似・模倣
についても知っている。その上彼は存命時にNo.1の地位の作曲家では決して
なかった(今もそうだろうが)。
にも関わらず、根拠を明示せずに「最高の天才」だの「屹立した存在」
だのと無責任に吹聴するデタラメな書籍が日本で氾濫していることが問題。
音楽史観を誤らせるその非科学性、趣味(と言うより信仰)の押しつけ
が過大評価との批判を招くのも当然。
しかもモーツァルトの作品は、彼の時代において突出して個性的だとか
特別に独創的という訳でも全然ない。
その時代の音楽に詳しい人であれば、
この作曲家の他人の作品からの借用癖や、他人の作風との類似・模倣
についても知っている。その上彼は存命時にNo.1の地位の作曲家では決して
なかった(今もそうだろうが)。
にも関わらず、根拠を明示せずに「最高の天才」だの「屹立した存在」
だのと無責任に吹聴するデタラメな書籍が日本で氾濫していることが問題。
音楽史観を誤らせるその非科学性、趣味(と言うより信仰)の押しつけ
が過大評価との批判を招くのも当然。
出版物で臆面なくモーツァルトを「音楽史上最高」等
持上げて憚らない人というのは、
よほど偏狭で無知な人か、己の好みを客観視できない、
公私の区別ができない人なんだろうと思う。
クラシック音楽も、視野を狭めず幅広く聴いていれば
素晴らしい曲は数多くあり、誰々だけが屹立して優秀
ということにはならない筈。そうした経験を積重ねていけば、
モーツァルト程度は騒ぐ程のものでもない
と思うようになる人も、少なからずいるだろう。
持上げて憚らない人というのは、
よほど偏狭で無知な人か、己の好みを客観視できない、
公私の区別ができない人なんだろうと思う。
クラシック音楽も、視野を狭めず幅広く聴いていれば
素晴らしい曲は数多くあり、誰々だけが屹立して優秀
ということにはならない筈。そうした経験を積重ねていけば、
モーツァルト程度は騒ぐ程のものでもない
と思うようになる人も、少なからずいるだろう。
自分の好みすら自分で決められない、安易な追随型の人間が多いことも
過大評価が罷り通る原因だろう。音楽評論家からしてそう。
日本人のオペラの評論読むと未だにデント著「モーツァルトのオペラ」の借用・
焼き直しに過ぎないものがあり愕然とする。
デントは19世紀生まれ、初版1913年。
学術論文ではなく随筆の一種で元々実証性が希薄な内容だが
それに古さが加わり、現在の学問的知見からは突っ込み所が満載。
この本で示された固有の「見方」に何時までも無批判に囚われ続ける人が
多いこと、その非科学的姿勢に呆れかえる。
過大評価が罷り通る原因だろう。音楽評論家からしてそう。
日本人のオペラの評論読むと未だにデント著「モーツァルトのオペラ」の借用・
焼き直しに過ぎないものがあり愕然とする。
デントは19世紀生まれ、初版1913年。
学術論文ではなく随筆の一種で元々実証性が希薄な内容だが
それに古さが加わり、現在の学問的知見からは突っ込み所が満載。
この本で示された固有の「見方」に何時までも無批判に囚われ続ける人が
多いこと、その非科学的姿勢に呆れかえる。
神童、神業、天才、天上の響き、高み、深み、悲しみ、涙…
この作曲家の信者的人々がよく使う陳腐で空疎な言葉の数々。
安っぽい白々しい言葉を情緒的・ムード的に羅列しただけの稚拙な駄文。
書き手は本当にそう感じているのか?
書き手はこの駄文を格好いいと本気で思うほど痛い人なのか?
モーツァルトにまつわる文章が発する、腐臭のような俗物臭。
この醜悪さが過大評価論にも繋がっていると思う。
小林秀雄「モオツァルト」の翻訳は欧米では冷たく無視されたが
あれでは当然だろう。
この作曲家の信者的人々がよく使う陳腐で空疎な言葉の数々。
安っぽい白々しい言葉を情緒的・ムード的に羅列しただけの稚拙な駄文。
書き手は本当にそう感じているのか?
書き手はこの駄文を格好いいと本気で思うほど痛い人なのか?
モーツァルトにまつわる文章が発する、腐臭のような俗物臭。
この醜悪さが過大評価論にも繋がっていると思う。
小林秀雄「モオツァルト」の翻訳は欧米では冷たく無視されたが
あれでは当然だろう。
>モーツァルトにまつわる文章が発する、腐臭のような俗物臭。
これあるね。
聴き慣れてる人間から見ても「変だな?」と思う作為性や不自然さ
「本当に聴いたの?」って突っ込みたくなる(笑)
この作曲家を神のように信仰する人は、自我が未成熟な人で
その未熟さ・空虚さを埋めるために権威を求めて必死な感じがするんだよね。
モーツァルトの「音楽」が本当に好きなのかも怪しい。
研究者も譜面では区別できない様式・手法の類似曲も沢山あるのに
「モーツァルトでないとダメだ」と言う。不自然過ぎるでしょ(笑)
これあるね。
聴き慣れてる人間から見ても「変だな?」と思う作為性や不自然さ
「本当に聴いたの?」って突っ込みたくなる(笑)
この作曲家を神のように信仰する人は、自我が未成熟な人で
その未熟さ・空虚さを埋めるために権威を求めて必死な感じがするんだよね。
モーツァルトの「音楽」が本当に好きなのかも怪しい。
研究者も譜面では区別できない様式・手法の類似曲も沢山あるのに
「モーツァルトでないとダメだ」と言う。不自然過ぎるでしょ(笑)
核心を突く指摘ですな。
同一素材・デザインの製品2個のうち1つに有名ブランド、もう1つに無名ブランドのロゴを入れる。ある種の人間は前者だけを高く評価し
「○○ブランドはやはり違う」「これこそが本物だ」「他の追随を許さない」等
分かったような事を言い「一流品の価値が分かる私って素敵!」と己に酔おうとする。「分かってない」のはまさにこいつらなのだが。
どの分野にもいるよ。自分の本当の好みを極めてない幼稚な俗物。
感想まで評論家のコピー。クラでは自称モーツァルト好きに多いから目につくがね。
同一素材・デザインの製品2個のうち1つに有名ブランド、もう1つに無名ブランドのロゴを入れる。ある種の人間は前者だけを高く評価し
「○○ブランドはやはり違う」「これこそが本物だ」「他の追随を許さない」等
分かったような事を言い「一流品の価値が分かる私って素敵!」と己に酔おうとする。「分かってない」のはまさにこいつらなのだが。
どの分野にもいるよ。自分の本当の好みを極めてない幼稚な俗物。
感想まで評論家のコピー。クラでは自称モーツァルト好きに多いから目につくがね。
日本でのモーツァルトの過大評価は小林秀雄が発端・元凶でしょうね。
小林自体、一時は神格化されていましたよね。インテリには失笑を買いましたが。
ああいう病的自己愛の権化のような稚拙な文章に、劣等感と歪んだ自己愛を持つ人
は心酔しちゃうんでしょうね。読むとその俗物さ加減に気分悪くなります。
モーツァルトにまつわる日本での評論はその小林の更なる劣化コピー程度のもの
が多いようですね。
小林自体、一時は神格化されていましたよね。インテリには失笑を買いましたが。
ああいう病的自己愛の権化のような稚拙な文章に、劣等感と歪んだ自己愛を持つ人
は心酔しちゃうんでしょうね。読むとその俗物さ加減に気分悪くなります。
モーツァルトにまつわる日本での評論はその小林の更なる劣化コピー程度のもの
が多いようですね。
ねらーA「自分の本当の好みを極めてない幼稚な俗物」
ねらーB「核心を突く指摘ですな」
ねらーC「心酔しちゃうんでしょうね」
ねらーD「その非科学的姿勢に呆れかえる」
ねらーE「腐臭のような俗物臭」
vs
小林「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」
ねらーB「核心を突く指摘ですな」
ねらーC「心酔しちゃうんでしょうね」
ねらーD「その非科学的姿勢に呆れかえる」
ねらーE「腐臭のような俗物臭」
vs
小林「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」
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